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婚約破棄されると幸せになれると聞いたので

作者: 境野 線
掲載日:2026/01/03




 私、シュゼット・カーティスは成金令嬢である。


 小さい頃は、両親とつつましく暮らしていた。父は祖父の店を手伝って国中を巡業し、母は仕立て屋で働いて家計を支えていた。そして私はというと、普通の平民の娘らしく、近所の子たちと一緒に泥だらけで駆けずり回っていた。仕事柄父は不在がちだったが、夫婦仲も親子仲も良好で、至って普通の商人の家庭だった。


 そんなある日、しがない商人だった祖父が、辺境の地で掘り当てた魔石を元手に始めた商会が大繁盛。今やこの国でも有数の商会へと店を変貌させてしまった。

 

 そこから生活が大きく変わった。私はあれよあれよという間に泥をこすり落とされ、マナー講師をあてがわれ、いっぱしのご令嬢に仕立てられたのだ。ガワが仕立てられただけで中身は大したお嬢様精神も持たないままなのだが、とにかくカーティス家は成り上がりの金持ち、成金になってしまい、私は成金令嬢と相成ったのである。


 話はこれだけでは終わらない。


 何をとち狂ったのか、祖父は私に貴族の婚約者なるものを作ってしまったのだ。


 お世話になった貴族の方が息子の嫁探しをしており、ちょうど10歳ほどの娘をご所望だっ

たとかで、意気揚々と名乗り出てしまったらしい。ついこの前まで近所の男の子と鬼ごっこしていたような私と婚約だなんて、少し相手の男の子が可哀想かもしれない。でも嫌われたらいやだな。好きになれるかな。その時はそれくらいしか頭になかった。



 とうとう12歳の誕生日、家でひそやかに行われていたときとは様変わりした、眩いばかりのシャンデリアの光と大量の人で溢れ返った誕生日パーティーにて、私は婚約者殿と対面した。


 婚約者殿の名前はアダム・グリフォン。名家グリフォン子爵家の三男坊で、お父上のグリフォン子爵は成り上がりのカーティス商会も気に入って取り立ててくださった偏見のない温厚な方だ。


 彼は私より1歳下の11歳で、子爵の背中に隠れていて、頭だけ出してきょろきょろと広間を見渡して楽しそうにしていた。綺麗で大きなきゅるきゅるしたアメジストの目は好奇心でいっぱいで、精一杯整えられたのであろう癖っ毛の黒髪はつやつやで、生まれながらの貴族――幼少期を泥まみれで過ごさなかった人――にしか出せない輝きを放っていた。シャンデリアの効果以上に、私には彼がきらきら光って見えた。


 挨拶しなさいと子爵に言われて、ぴょこんと彼が前に出て深々とお辞儀をする。お辞儀がものすごく綺麗だったこと、「アダムと言います。シュゼットさん、仲良くしてください」という声が精霊たちが囁き合うような美しい響きとして聞こえたことを、今でもとてもよく覚えている。


 アダムは確かに泥だらけになった経験はないようだったが、外遊びが好きらしく、よく馬やボートに乗ろうとか、ピクニックに行かないかというお誘いが来た。何だか弟ができたようで嬉しくて、一人っ子だった私はアダムからの誘いには皆勤賞で参加した。多分それがいけなかったのだと思うが、アダムは私に懐き、私はアダムを可愛がる図が出来上がっていった。アダムは三男らしく甘えん坊で、聞き上手で話し上手で、いつも目をきらきらさせていて、私の今まで気づかなかった心の穴(お金持ちになってからのストレスやら何やら)がみるみる埋められていく気がした。そして、後はお察し頂きたい。つまり、


――気づいたら私はすっかり彼に恋してしまっていたのである。


 彼のことが好きだ。というより、好きすぎるかもしれない。あんなに純粋で綺麗で空から舞い降りてきた天使そのもののような汚れのない人が私の婚約者なのは、少しラッキーが過ぎたと思う。うん私、世界一ラッキーだ。ラッキー以外の言葉を使うなら、多分、前世で徳を積みすぎたとか何かが丁度いい気がする。

婚約して5年経ったけど、好きを通り越してもはやしんどい。蝶々が手に止まったとか体脂肪率がちょっと下がったとか嬉々として教えてくれる姿を見るたびに、何とかしなければならないと思う。何とかというのはつまり、私はこの人の婚約者なのだから全身全霊かけて守り抜き幸せにしなければならないということと、いやいや私なんかがこの人の素晴らしさを独り占めすることが勝手な親達の取り決めで決まってしまったのは道理に合わないから今すぐ婚約を破棄しなければならないということ、その二つのことだ。相反する感情を抱え苦しみながら、何度も彼の手を取った。


 そうして年月が経つにつれ、私は疑問を深めるようになっていった。アダムはこんなに素晴らしい人なのに、成金娘の私が独占してしまっていいのか。彼には世界中から相手を選ぶ権利があるのに、この若さで私に縛り付けてしまって本当にいいのか、と。 

  

 私は彼に幸せになってほしかった。少女小説を読んでいるときに、あまりにのめり込んでしまって「頼むから早く結婚してくれ」「末永く幸せでいてくれ、尊い」としか考えられないときがあるのだが、まさしくその心境であった。そこに私が登場する必要はないのだ。ただ、幸せを祈る。私のアダムに対しての感情は、それだけで満足を覚えるほどに巨大化した。


 そして私は17歳の夏、ついに結論に辿り着いた。ふと家に献本として送られてきた小説を手に取って、私は閃いてしまったのだ。


 幸せにしたいから別れたい。これである。「甲は乙の婚約者として乙の幸せを保証する義務がある。乙の幸せとはすなわち甲との婚約を取り消して素晴らしい出会いを経て自分の幸せを見つけることである。よって、甲は直ちに婚約の取り消しを申し出なければならない。」これだ。私の今までの心情に整理をつけるためには、きっとこれが一番だ。


 かくして私は、アダムという天使を幸せにすべく婚約破棄を申し出ることを決意したのである。



***



「婚約破棄されると幸せになれるらしいんだよね」

「……急にどうなさったの?」


ちゅんちゅんと小鳥が鳴いている。小鳥が止まっている木の方から爽やかな風も吹いてきた。周りでは御令嬢がたがさざめき合い、ティーカップとサンドイッチを手に昼休みを謳歌している。そんな麗らかな5月の風景の中で、私の唐突な発言は異質な響きを持って繰り出された、ようだった。特に何か変なこと言ったかな、と首を傾げていると、目の前の親友も同じように小首を傾げる。この人理解してないなと直感した私はすぐに咳払いした。仕切り直し。


「だから、幸せになるには婚約破棄をした方が良いらしいんだってば」

「……うーーーん…………?」


目の前でうーんうーんと唸っているのは私の親友、ミカエラ・ルルー伯爵令嬢。そして何とかして彼女の理解を得ようと、私、シュゼット・カーティスは頭を捻っていた。遠くで誰かが魔花火を爆発させた音が響いて、私は今日も平和だなぁと思いながら紅茶を一口啜る。


私が住むドラティア国では、3人に1人ほどが魔力を持って生まれる。魔力と言っても、ちょっと物を浮かせられるとか1分先の未来が見えるとか、小さなおまじないのような能力を一人一つ使えるだけだ。しかし、安全上の観点から魔力を持って生まれた子どもと持って生まれなかった子どもは大学に入るまで別学になっており、幸運なことに魔力を持っていた私は、ここ、イリス学園魔力者科に中学校から通うことになった。今は無事に進級を重ねて、現役高等部二年生だ。


ミカエラは、中学校の入学式で私に話しかけてくれた、初等部からの筋金入りの内部生だ。私は小学校には行かずホームスクーリングを受けていたから、ミカエラがいなければ学園で生きていけなかったと思う。


「シュゼットの婚約者ってどなただったかしら」

「グリフォン子爵家の三男のアダム。高等部一年生」

「あぁ………いや、お待ちになって。婚約破棄なんて出来るわけないでしょう」

「えっそう?対等な婚約だと思うし問題はない気がするけど」


王政が廃止され、議会を中心とする立憲君主制に移行したこのドラティア国では、もはや爵位はちょっとした箔付けのようなものだった。だからこそ、私は今頭を地面に擦り付けながらミカエラと話さなくて済んでいる。成金の娘と伯爵令嬢なんて、世が世なら絶対に親友にはなれない。せいぜいお嬢様と出入り業者の娘とかが良いところだ。


「あるでしょう。中身がないとはいえ子爵位は重いものですし、それにグリフォン家はカーティス社の事業拡大に出資しておりますわよね?」

「そうだね、子爵は祖父の恩人のようなものだし」

「なら、尚更婚約破棄なんてしたらダメじゃありませんか、絆に亀裂が走るかもしれませんし、貴族と婚約破棄だなんて外聞も悪いですし、そもそもなぜ私は真剣に婚約破棄の相談を受けているんですの……?」


 真理の世界に放り込まれた猫のような顔をして、ミカエラが中空に目をさまよわせる。私は首を横に振った。


「私とアダムの婚約を知ってる人は少ないからどこにも傷はつかないと思うよ。そもそもカーティス社よりグリフォン家の方がお金も地位もあるし、ぶっちゃけ向こうには私と婚約するメリットはあんまりないから。……婚約も向こうが年頃の娘さんを探していたところにたまたま祖父が手を挙げて、仕方ないなカーティス君ならまあいいか、みたいな理由だったし、向こうも三男だからそこまで家と家との結合を狙ってたわけではないと思う。それに、婚約破棄云々で簡単に消えるような安い絆でもないしね」

「そういう話は私にすべきではなくってよ。私が一番気になるのは、あなたがどうして婚約破棄幸福論なんていう荒んだ思想を抱くようになったかということですわ。だってあなた、婚約者様のこと大好きよね?」


 呆れた目のミカエラに、よくぞ聞いてくれたと微笑む。鞄を漁り、お目当ての本を取り出してミカエラに差し出すと、ミカエラが顔をしかめた。


「令嬢マリーの物語?なんですの、これ」

「今話題の少女小説だよ!主人公は普通の商人の娘なんだけど、ある日荷馬車に激突して死んでしまって、気づいたら侯爵令嬢マリーに転生してるという」

「奇抜な設定ですわね」

「で、彼女はそのマリーという女の子が、彼女が前の人生で読んでいた少女小説の悪役だと気づく」

「あ、悪役」

「でも、悪役と言えない悪役で……彼女が読んでいた小説の中のマリーは、普通にヒロインの非常識なマナーを指摘しただけなのに、ヒロインにベタ惚れした婚約者の王太子にいじめだと言いがかりをつけられてしまうのです。そのまま婚約破棄されて国外追放されちゃう」

「いつの時代の話ですの?法による統治は成されていますの?というかその少女小説、ひどい三文小説ですのね」

「マリーになってしまった少女はなるべくヒロインに優しくしようとするの、言いがかりつけられたら困るから。……でも失敗して、あわや国外追放……というところで!」

「ところで!?」

「彼女の今までの正しい行動を見ていた隣国の王太子に求婚されて、そのままハッピーエンドまっしぐら。バカ王太子に統治された母国は隣国からの圧力もあり財政破綻します」


 一気にあらすじをまくし立てると、ミカエラは怯えた顔になった。この本がうちのお得意様の新聞社が出版したものだということは黙っておこうと思う。

「気味が悪いですわ!!まず荷馬車に激突して転生するわけないでしょうが!ざ、ざ、財政破綻だなんて恐ろしすぎますわ」

「でも、実際ベストセラーなんだよ。確かに上流階級の皆さんが手に取るような本ではないかもしれないけど、ほら、すごく薄い」

「とても薄いですわ。世間の皆様は、こういうお話がお好きなんですの?」

「やっぱり名前だけとはいえ、爵位に対する憧れはみんな持ってるんじゃないかな。ある日突然お嬢様に、とか、夢見る子はいるんじゃない?」


 ミカエラがはっとした顔をする。その表情が険しくなって、私はすぐに身構えた。


「まさかシュゼットあなた、その…………婚約破棄をして、隣国の王妃の座を狙っているんですの?」

「ストップストップ。ミカエラは私のこと何だと思ってるの?」

「成金商家の次男坊の一人娘ですわ」

「うーんそうなんだけどね」


 冗談ですわ、とミカエラが紅茶を啜る。紅茶がなくなったティーカップの底を眺めて眉毛を動かした彼女を見て、私はため息をついた。私のティーカップには、まだゆらゆらとダージリンが揺れている。そこに映った私の顔は、お世辞にも綺麗とは言えない、苦しそうなものだった。


「…………私が望むのは、アダムに幸せになってもらうことだけなの。私がバカ王太子になって、アダムが隣国のお姫様みたいな人と結婚できるようにしてあげたい」

「あなたが王太子役なんですの?」

「そしてこの物語では王太子があまりにバカだったから財政破綻したけど、私はちゃんと勉強してるからそこまで酷いことにはならないと思うし……成金らしく普通の平民と恋愛して結婚して、わが子に泥だらけで走れる自由を与えてやることができると思う」

「壮大になってきましたわ……あとイマイチ地に足つかない論展開ですわね、根拠薄弱ですわ」


 そこまで語って、私は幸せそうなアダムの後姿を思い浮かべる。あ、ダメだ、感動のあまり涙が……。


「じゃああなたがバカ太子ポジションなら、マナーのなってないヒロインポジション男にベタ惚れする予定はあるんですの?」

「そこはもちろんカット。純粋なアダムに不貞を働くなんていくら自分でも許せない」

「それじゃあ隣国の王太子ポジションのご令嬢がアダムさんの正しい行動を見ることはできなくてよ?」

「何言ってるのアダムはいつだって品行方正で質実剛健で没落貴族の対義語みたいな人だからねそんな小芝居打たなくても皆見てるからね」

「だんだんあなたが怖くなってきましたわ」


 アダムの善性にもとらない行動で、アダムを幸せに導くしかないのだ。愛とはその人のそばにいることを願うことではなく、その人の真の幸せを願うことだと、この本ではないけど前に読んだ小説にも書いてあった。私は何も間違っていない。


 ミカエラは少しショックだったらしく、何か言いかけていた口をつぐんでしまった。熱が入りすぎてしまったかもしれない、と私は反省する。しかし何秒か経って、ミカエラは口をもごもごさせながら、そっと呟いた。


「あなたの気持ちはどうなるんですの?」


 ミカエラは寂しそうな顔をしていた。形のいい眉が力なく下がり、目も少し潤んでいる。その顔を見ていると心の奥深く、一番傷つきやすい部分に大きく亀裂が入るような気がした。

 彼女はこれまでずっと私とアダムの話を聞いてくれていた、大切な相談相手だ。さんざん頼りにしてきたのにこんな形で終わりにするのは、真摯に向き合ってくれた彼女に失礼だと、それはわかっている。アダムの幸せにかこつけて逃げているように見えるのも、わかっている。彼女はきっと失望しただろう。でも。


「アダムとお話ししていても、ミカエラとお話ししていても、感じることがあって」


 アダムの髪の毛が、塵一つ挟まったことがないかのように輝いていたのも、今こうして話しているミカエラが、食事をするとき一切音を立てないのも。


「私とあなた達は根本的に違う。いつかそれが、アダムの負担になるのが怖い」


 私という存在が酷く場違いに思えた。付け焼刃のマナー講師なんてたかが知れている。


「だから、これが一番いいんだよ。間違いの芽は摘んでおくべきだと、思う。……それに、初恋は実らないものだと他の小説にも書いてあったから」

 決意新たに、ぎゅっとスカートを握りこむ。ミカエラがぽつりと呟いた。


「もう、身分など無くなったことになっているのに……この世は真に、生きにくいですわね」






 庭のひまわりが満開だから、お茶を飲みに来ないか。


 アダムからそんな可愛らしいお誘いが来たのは、ミカエラとの会話から一週間ほど経った頃だった。アダムの寄越した質の良い封筒と便せん、流れるような美しく元気な筆跡、グリフォン家の家紋の蝋を見て、私は胸が締め付けられるようだった。この招待を受けた先で、私は婚約破棄を申し出るつもりだったのだ。もう、こうした手紙が届くことは、ない。


 といっても私が婚約破棄を申し出たところで、これからもこの封筒はうちの商会にたくさん届くだろう。グリフォンとカーティスの提携は、小さな婚約、それも分家同士の婚約を破棄したところで綻びるような安いものではない。アダムも私に対して恋愛感情など抱いてはいまい、姉のように慕ってくれているだけなのだ。すぐにちゃんと恋をできる人を見つけるだろう。私のような思い上がりのぽっと出の成金ではなく、泥や砂など触れたこともないような人を。


 これからもすべては粛々と続いていくのだ。何事もなかったかのように。


 もちろん喜んで伺いますと返事を書きながらふと目を上げると、机の上の写真立てに目が止まった。

 

 写っているのは4人の子どもたちだった。私と、アダムと、そのお兄さん二人。4年くらい前のものだ。ちょうど今と同じような季節、咲き誇るひまわり畑の中で、全員が楽しそうに笑っている。写真の中の私は、ぼさぼさの髪の毛でペチコートにも泥が跳ねているが、何の悩み事もありませんといった風に満面の笑みをこちらに向けていた。アダムも、筋肉おばけになってしまった今とは違い、ふくふくした小さな少年の姿で、はにかみながら微笑んでいる。


 写真の中のアダムが手紙を書く私を見ているような気がして、何だかいたたまれない。ごめんねと思いながら、私は手紙を書き続ける。


 そのごめんねというのが、私に向けたものなのか、アダムに向けたものなのかは自分でもわからない。得体のしれない罪悪感は、机を離れてからも消えなかった。





 ***



「シュゼ、シュゼ、見てくださいよ!今年もたくさん咲いたんです!」


 アダムは巻き毛の黒髪を跳ねさせて、アメジストの目を輝かせながら、私の手を引いて走っていた。正直手を引かれている側の意見としては、一刻も早くやめていただきたかった。このままでは冗談でなく腕がもげる。現に私の肩は脱臼ギリギリである。アダムはどうも、自分がどれだけ剛腕なのか理解していない節がある。


 猛スピードで駆けていくアダムに、あの写真に写っていた少年の面影はほとんどない。彼は最近グリフォン家のSPに天下りしてきた元宮廷警護のお兄さんに格闘技を習い始め、みるみるうちに恐ろしい体格の持ち主へと進化してしまったのだ。もともと高い身長と長い手足を持て余していた彼はすっかりハマってしまったようで、今ならゴリラと戦っても良い勝負だと思うくらいに筋肉をつけてしまったのだ。それでいて服を着ていると細身に見えるのだから、着やせとは恐ろしいものである。私は彼の筋肉をじかに見たことは無いが、彼の2人のお兄さんがいつも私にその肉体美を報告してくれるのだった。


「ほら、すごいでしょ!」


 走り回りながら心底楽しそうなアダムを見て、胸がずきずき痛む心地がした。婚約を破棄しても、またこの距離で会話することができると考えるのは楽観的過ぎるだろう。弟のように思ってきた彼との繋がりを断つというのは、相当の痛みを伴うものだった。でもこれは彼のためなのだ、彼が将来辛い目に遭うよりは、私が今辛い方がいいのだ、と必死で泡立つ心を宥める。


 彼の幸せのためなら喜んで自分を犠牲にできると思ったのに、全然喜べていない。むしろ見苦しい。内心の自嘲が顔に表れないように、努めて口角を上げた。


「うん、すごく綺麗。満開だね」


 見渡す限り一面、ひまわり。と言ってもひまわりは私より背が高いので、視界には緑ばかり映り、目を上げないと陽気な黄色は見られなかった。太陽に向かってぴんと胸を張るひまわりが、青い空とのコントラストに良く映える。真っ青な空の下の黄色の海、私の心情とは裏腹なこの上ない情景だった。


「あ、でも……」

 

 ふとアダムが顔を曇らせる。アダムが手を伸ばして引き寄せたひまわりは、少ししぼんでいた。


「この子は元気ないね」


 アダムがそのひまわりのようにしょぼんと肩を落とす。飼い主が出かけてしまった檻の中のウサギのように見えて、私は小さく笑いそうになった。アダムがちらりとこちらを向く。そろりと上目遣いするその顔に、私はとても弱い。


「あの、シュゼ、今元気ですか……?」


 アダムの問いは脈絡のないものではない。彼は、私の魔力と能力について問うていたのだ。私は頷いて、しぼんだひまわりに手を翳す。

 

「元気だよ。ほら」


 息を吸い込んで、腹式呼吸でゆっくり息を吐いていった。私の呼吸に合わせて、じわじわとひまわりが頭をもたげていく。息を吐ききる頃には、ひまわりは周りと同じように、元気に空へと顔を向けていた。ゆっくり手をひまわりから離して、様子を見る。特に元気のなさそうなところ、反対に育ちすぎているところがないかチェックしてから、アダムに微笑んだ。


「できた」

「すごい!やっぱりすごいです、シュゼの魔力!」

「ふふ、ありがとう」


 私の魔力を見て、アダムが手を叩いて喜ぶ。このくしゃっとした笑顔が大好きで、私はたまにこの力を見せてあげていた。


 私の魔力は、花を最盛期の状態にさせる、というものだ。アダムが体調を気遣ってくれたのは、使用すると1キロ走ったくらいの体力を消耗するからだった。この能力はそれだけの代償を伴うくせに、一日につき花一つにしか使えない。なんともハイリスク・ローリターンな能力である。ロマンチックな能力に聞こえるかもしれないが、それは多分満開の桜の樹などを思い浮かべているからだろう。私の能力は「花一輪、花一つ」の制限があるため、桜の樹に使ってもたくさんある花のうち一つの花しか咲かせられない。やっても虚しいだけだと思う。


 そんな地味な能力ではあるけれど、アダムは見るたびにすごいすごいと心から嬉しそうにしていて、それを見ているとじんわりと胸の奥の方が暖かくなっていく。彼は小さな幸せを大切にする人だった。そんなところにも、多分私は惹かれたんだと思う。この期に及んで、そんな感傷に浸るのはおかしいだろうか。


「シュゼ、今日あんまり喋らないですね」


 ひまわりが元気になって喜んでいたアダムが、また顔を曇らせる。私は慌ててそんなことないよと首を振った。もちろん嘘である。アダムは本当によく見ているなと感心しながら、内心冷や汗をかく。

 今日、私はあまり言葉を発せていない。口を開けばすぐにでも婚約破棄について喋りだしてしまいそうで、極力口を噤んでいたのだ。

いつも私が聞き役でアダムがよく喋っているから、私が少し黙っていても気づかれないと思っていたのだが、そうはいかないらしい。 


 アダムは少し不審に思ったようだった。三男という立ち位置で、人に甘えたり人の感情の機微を読み取ったりすることに長けている彼には、私のお粗末なセルフコントロールを見抜くことなど朝飯前だったのだろう。


「でも本調子じゃなさそうです。魔力使いたくなかったですよね、無理させてごめんなさい、」

「違うよ、ほんとに大丈夫。ちょっと……考え事してただけ」

「……今日はずっと、考え事が多いです。寂しい」


 きゅるきゅるした目が伏せられる。かわいい。思わずそう考えてしまう自分が嫌だ。


 アダムが不安そうに首を傾げて、癖っ毛の黒髪が揺れる。このまま彼に気遣わせるのも、かえって失礼かもしれない。私はじっと地面を見つめた。私の、ついこの前王都であつらえた夏用靴と、ぴかぴかしたアダムの外用ブーツ。汚れなど知りませんといった風を装いながら、どこかごてごてしている私の靴と、汚れているけれど品があり、質の良さを感じさせるアダムの靴。人はなかなか足先まで見ないらしい。だからこそ、そこの整え方には明確な差が出る。


「ごめんね、お話ししよっか」


 私の声は震えていなかっただろうか。たぶん大丈夫だったのだろう、アダムは嬉しそうに顔を輝かせてはいと返事をした。あそこのガゼボに行きましょうと手を差し伸べるアダムの手を取る。これが、私の取る最後の彼の手だ。息を吸い込んで、私は足を踏み出した。







*****







 初めて彼女に出会った時のことを、今でもとてもよく覚えている。


 彼女の家は、いわゆる成金だ。魔石を用いた半永久エネルギーで成功を収めた祖父と、その家族。彼女の父は次男坊で、彼女はその一人娘。貴族であればスペアのスペアと言ったところだが、彼女の祖父は彼女をとても可愛がっていた。うちの家に、長男のところの孫娘ではなく、彼女を連れてくるくらいには。


 だから、彼女はあの誕生日パーティーが初めての出会いだと思っているみたいだけど、実際はそうじゃない。彼女は彼女の祖父とうちの父が会談するとき、うちの家に来たことがある。彼女が成金になる前に、一度だけ。彼女は覚えていないのだ。


 父は、カーティスが金持ちになる前から、その腕を見込んで頼りにしていた。もともとうちの爵位が「名実伴った」ものだった頃、カーティスはグリフォン領に商会拠点を置いていたらしい。領土を失った今も、父は巡業するカーティスを通して生の国内情勢を聞くことを狙ったのだ。


 その日、僕は庭園で遊んでいて、ぼわぼわの癖っ毛が本当に酷いことになったまま走っていた。その日は、母に花を摘んであげようと思って庭に行ったのだ。


 僕が生を受けてすぐ、母が病に倒れた。産後の肥立ちが悪かったらしい。父は母のことも僕のことも気にかけてくれたが、仕事もあって平日に関わることは少なかった。兄二人はすでにイリスの初等部に入学していたから、あまり家にもおらず、朝食と夕食をともにするくらいだった。


 だから、僕は必然的に一人遊びや勉強、読書ばかりする子どもになった。一人は寂しいと言うけれど、工夫すればひとりぼっちも悪くはない。一人で遊ぶうちに字や花の種類も覚えた。本を読み聞かせてあげたり花を摘んであげたりすると、母はとても喜んだ。


 その日もいつもと同じように、母にあげる花を探して庭園に入った。そこで、僕は庭園にいる人が僕だけではないことに気付いた。


 ガゼボに女の子がちょこんと座っていたのだ。僕より背が少し高い。ゴワゴワした服を着て髪もくすんでいたけれど、同年代の子ども、ましてや女の子と接した経験が少ない僕には、とても印象に残る初対面だった。驚いて走る足が止まり、彼女の目と僕の目がばっちり合ってしまった。


 そういえば、今朝、父が「今日はお客さんが来るから、知らない人に遭ってもお行儀よくするように」と言っていたような、気がする。女の子が興味津々といった様子でこちらを見るので、思わず叫んでしまった。


「父さんのお客さん?」


 彼女がそれに驚いて立ち上がる。僕の身なりを見てなんとなく察しがついたのか、それとも僕のあまりにぼさぼさの頭に引いたのかはわからないが(前者であることを願う)、彼女は居心地悪そうに周囲を見回した。


「わたし……私、付き添い。私のおじいちゃんがお客様で、外に出てろって言われて」


 しどろもどろに答える彼女に、僕はなんだと安堵した。お行儀よくしろとは言われたけれど、この子のおじいさんが来た時にお行儀よくすればいい。どうやら付き添いらしい彼女に行儀が悪いと怒鳴られることはないだろう。怯えることはない、と僕は胸を張った。


「じゃあ、僕、花を摘むけど、一緒に来てもいいよ」

「お花?」


 彼女の瞳が輝く。せっかくだから、この大きな庭をお客に自慢したかった。僕は頷いて、ガゼボの中から彼女が出てくるのを待った。


「母さん花が好きなんだ。いつも持って行ってあげてる」

「すごい。このお花畑、全部あなたのお家のものなの?」

「そうだよ、すごいでしょ」

「うん、すごい!」


 得意満面で彼女の手を引いて、庭を案内した。彼女はあれだけの花に囲まれたことはないらしく、何歩か歩くたびにすごいすごいと喜んでいた。


「どの花を摘むの?」

「決めてない。どれがいいと思う?」


 首をすくめて、彼女を先に歩かせる。彼女は花畑を歩きながら、うーんと考えていた。後ろから見る彼女の靴は僕のものより少し汚れていて、これは小さい子特有の感覚だと思うが、僕はそれを見るにつけ、彼女に畏敬の念のようなものを抱くようになっていった。小さい頃は足が速かったり外遊びが上手かったりする子に注目が集まりがちだが、そんな年頃の少年だった僕には、少し汚れた靴の彼女が外遊びの達人のように思えてならなかったのである。


 それに何より、彼女の後ろを歩くのはひどく安心した。理由はわからない。


「これはどうかな?綺麗なピンク色」


 彼女が指さしたのはアネモネだった。頷いてしゃがみ込んで、手を伸ばす。そこで初めて僕は一輪の花弁が少し枯れていることに気が付いた。


「これ、枯れてる」


 ぽつりと呟く。途端にざわっと胸が嫌な感じになった。この女の子にうちの庭の手入れが行き届いていないと思われるのも嫌だったし、母にあげようと思った花がなんだか不吉に思えるのも嫌だった。思わず立ち上がると、女の子が息を吞む。


「ご、ごめんね。見えなかった」

「いいよ。……他のにすればいいし。枯れてないのならいっぱいあるよ」


 彼女は僕が不貞腐れていることに気付いたようだった。それが更に僕を不機嫌にさせた。我ながら子どもっぽかったと思う。だが、僕があそこで機嫌を悪くしていなかったら、きっと何も始まらなくて、僕の人生はさぞやつまらないものになっていたことだろう。


「……あのね」


 彼女が口ごもりながらしゃがみ込む。先ほどとは逆の位置関係になった。僕が訝しげにしている横で、眉間にしわを寄せている。


「さっきお菓子食べたから、大丈夫だと思う」

「……なにが?」

「誰にも言わないって約束して。家族が心配するから」


 彼女はぎっと鋭い目でこちらを見て言った。話はよく分からなかったが、真剣そうなその顔に気圧されて首を縦に振る。


「約束する」

「ありがと」


 彼女はすっと花に向き直ると、目を閉じて花に手を翳した。何をしているのだろうと見ている僕の前で、彼女は深く息を吸い込み、そしてゆっくりと吐いていった。


 自分が見ているものが信じられなかった。


 茶色に侵されていたアネモネが、みるみるうちにもとのピンク色に染め直されていく。奇跡を見ているかのようだった。こころなしか、彼女がキラキラしているように見えたのを覚えている。彼女が息を吐ききる頃には、すっかり見頃のアネモネがそこにあった。多分僕の口はあんぐりと開いていたに違いない。


 彼女がパチリと目を開け、アネモネの状態を確かめはじめる。僕はじっと彼女を見つめていたのがばれないように慌てて目を逸らした。彼女がアネモネに触れないぎりぎりのところで手を動かしていく。そして満足そうに微笑んで、僕に向き直った。


「元気になったよ。どうぞ」


 彼女が満面の笑みを浮かべて言った。

 

 びびび、と体に電撃が走って、頭がくらくらして、僕は訳もわからず彼女の差し出すアネモネを見ていた。貴族の女性や使用人しか見たことのなかった僕には、彼女はお世辞にも身なりが良いとは言えなくて、しかもこんな泥と草と花しかないところで、僕の頭はぼさぼさで、彼女も力を使った後で若干顔色が青ざめていて、でも、その時、本当にその瞬間、


 僕は彼女に恋をした。


 そしてかすかに震えた手でアネモネを受け取って、彼女の手と僕の手が触れあった。茫然自失して彼女に見惚れていた僕は、そのまま彼女が倒れていくのを、為す術もなく見守ることしかできなかったのだった。


 

 もうお気づきだろうか。僕、アダム・グリフォンの初恋の人はシュゼット・カーティスである。初恋で、最後の恋で、人生ぜんぶの愛。うん、最高にロマンチックだよね?


 僕はあれから父の周りを跳ね回って、何とかして彼女とまた会わせてくれと駄々をこねた。それはもう、父がノイローゼになったり、無事回復した母がまず真っ先に真面目な顔で諭したりするほどに。しかし彼女を倒れさせた僕(加害者)が彼女(被害者)に会わせてもらえるはずもなく、僕はそれから長い間、彼女に会えなかった。彼女が倒れたことを心配した彼女の祖父が、彼女を連れてこなくなったのも一因である。


 しかし何年かして、僕は彼女の祖父に「魔力」をそれとなく引っかけることに成功した。僕はもちろん、僕との婚約に名乗り出てくれないか頼んだ。あとはご想像のとおりだ。


「だからね、アダム、その……婚約したままでいるのも、どうかなって思って」


 紆余曲折を経て婚約まで漕ぎつけた愛しい彼女は、先ほどからよくわからないことをまくし立てていた。ガゼボに座るまでは、普通の雰囲気だったのに。いや、僕が彼女に魔力を使わせて疲れさせたのは悪かった。もしかして、そのせいで混乱しているのだろうか。


 僕を幸せにしたいらしい。だから別れたいらしい。意味がわからなかった。僕の幸せは彼女とずっと一緒にいることなのに、別れたらできなくなっちゃうよ。


「アダム、聞いてる……?」

「はいっ、聞いてます!婚約破棄したいんでしたっけ?合ってますか?」

「……合ってるよ」


 自分で言い出しておいて、復唱されると傷つくらしい。顔を小さくゆがめた彼女を見て、なんだか可哀想になってくる。理由はよくわからないけど、やっぱりシュゼも婚約破棄なんてしたくないんだ。それなのにこんなに切羽詰まって、苦しそう。


 僕はにっこり笑って、両手を伸ばした。


「シュゼ、やっぱり疲れてるんですよ。おかしなこと言って……、あ、わかりました、また何か変な少女小説読んだでしょ!読書は悪いことじゃないですけど、現実と混同するのはどうかと思います!」

「別におかしなことじゃ……」

「おかしなことです!ほら、手握って。落ち着いてください」


 私、十分冷静だと思うけど、とシュゼは言うけれど、冷や汗かいてるし、どう見ても冷静とは言えない。それに、シュゼはよく本で読んだ内容に影響されるのだ。この前は小説の中で主人公が振舞ったフルーツタルトを作ると言って厨房に入り大騒ぎになったらしいし、僕もよく小説の解釈について延々と語られるし。この子は、暗示にかかりやすいらしい。いや、多分暗示にかかりやすいのは、そういう家系なのだろう。僕には心当たりがあった。


「聞いてください、シュゼ、僕の婚約者さん」

 

 話しながら、一言一言に、心を込める。シュゼは僕の目をじっと見つめていて、僕はこのガゼボの中全てを飲み込むくらいの勢いで目を大きく開いた。


「僕、シュゼと婚約破棄するなんて嫌です。確かにそりゃ、最初は一目惚れみたいな感じでしたけど、シュゼと婚約して、5年間すごく楽しかったんです。シュゼは素直で純粋で、本当に人のことよく見てて、努力家で、いつも僕のこと気遣ってくれて、筋トレの話なんて興味ないのに覚えてくれて、本当に嬉しいんです。大好きなんですよ」


 両目が熱くなってくる。シュゼはじっと僕の瞳だけを見つめ続けている。その瞳はいつも通り鋭いように見えて、どこか虚ろだった。


「シュゼがどうしてこんなこと言い出したのかわかりませんし悲しいですけど、覚えててほしいんです、シュゼといることが僕の幸せなんだって。身分も、少しは違うかもしれないですけど、もう形骸化してますし、努力家のシュゼなら何の問題もないです!僕も全力でシュゼのこと守ります!それに、もし仮に婚約破棄なんてことになっても、また婚約します。あなたのお家の人、皆暗示に弱いみたいだし……」


 僕の魔力は「ちょっとした記憶混濁」だった。相手と目を合わせたとき効果が発揮される。


 シュゼと初めて会ったあの日、シュゼが倒れたのも、僕と会った記憶をなくしてしまったのも、その力が暴発して発現したかららしい。


 カーティス家の人はこのタイプの魔力に耐性がないのか、僕の推量通り暗示にかかりやすいのか、ちょっと心配になるほどだった。シュゼのおじいさんは、僕がちょっと上目遣いで話しかけただけで、すっかり婚約話に乗り気になってしまったし。


 こんなことしたって言ったら怒るかな。でも、シュゼはいつも「アダムは控えめで怖がりなところあるけど、もっと欲張っていいのに」と言う。なら、これくらいは許される、よね?


 僕は彼女の目を見つめ続けた。そろそろ魔力が切れる。詰め時だ。


「シュゼ、いいですか?……シュゼは、婚約破棄したいなんて思ってないですよね?僕と一緒にいることに、反対なんてしませんよね?」


 シュゼはぼんやりしていたけれど、「婚約は、しない……一緒にも、いる……方がいいの?」と小さく呟いた。僕はぶんぶん首を縦に振る。


「はい、ぜひ!一緒にいてほしいです!」


 シュゼがうん、うん、と操り人形のように頷く。


「じゃあ、破棄、しないでいいよ……」

「やった!」


 ばちん、とシュゼが瞬いて、目からもやもやが消える。僕も乾いた眼をぱちぱちと瞬いた。シュゼは何度か瞬きを繰り返し、そっと僕とつないでいた手をほどいた。まだ少し混乱しているらしい。ちょっときつかったかな、と僕は声をかける。


「シュゼ?大丈夫ですか?」

「う、うん?何の話だっけ……」


 僕は微笑む。魔力を使ってすぐは、絶対に「魔力にかかる前の意志」に関係することを言ってはいけない。必ず「魔力で埋め込んだ記憶」通りのことを喋らないといけないのだ。さもなければ、記憶が正常に戻る可能性が高まる。


「シュゼと僕、これからも仲良しでいましょうねって話です」

「あ、そうだっけ。もう5年だもんね、早いなあ」

「ね!学校卒業して、大学行けば結婚です!どこ行きたいですか?」

「え、もしかしてもう新婚旅行の話なの?さすがに早いよ」

「え~、いいじゃないですかあ」


 上手くいったようだ、と僕はニコニコ笑みを深める。彼女にはそれがニヤニヤデレデレしている顔に見えたらしく、「楽しみなのはわかったから」と眉を下げて微笑んだ。うん、この顔が好き。よかった、婚約破棄になんてなったら頭おかしくなってたかも。


 「ずっと一緒にいましょうね」と言うと、彼女は「当たり前だよ、婚約してるんだから」と笑う。幸せだ。幸せ。


 やっぱりバッドエンドになるよりは、将来のことを話す幸せなエンディングの方がいいでしょ?例えば、あなたが大好きな少女小説みたいに。僕は思いっきり腕を広げて、慌てる彼女の体に抱きついた。






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