俺、僕になる
両親の話を盗み聞きしてから二年が経った。
俺が生まれてから早三年、健康にスクスクと育ち、舌足らずなところはあれど、ほとんど自由に話せるようになっており、家族と会話をするのも珍しくなくなった。
他に変化と言えば、当たり前のように歩けるようになったことかな。
ふらつかず、しっかりと自分の足で歩ける様になってから行われた、家族みんなでのお散歩は実に心満たされた日だった。
その時には視力もしっかりしており、家の外の光景をぼやけることなく認識出来た。
あの光景は今でも昨日のことのように思い出せるよ……【記憶】スキルのお陰でねっ!
土を踏み締める感触、家の横にある畑には青々とした大麦が目に新しく、さらに周囲を見渡せばご近所さんたちの家々が目に入る。
何より一番感動したのが、見上げると空が高く、なにより真っ青だったこと。
前世では地震が多かったこともあり、至る所に電柱や電信柱、そして空を這う無数の電線が否が応でも視界に入る。
そして温暖化の影響なのか、排気ガスの影響なのか、空は灰色がかった薄い水色に見えた。
綺麗な青で彩られた美しい風景写真を見ても、どうせ加工だなんだと素直に楽しむことも出来なくなっていたのだ。まあ、色彩感覚も年齢と共に衰えたり、思い出には補正がかかってしまうなどとも言われていたが......。
なんにせよ、視界いっぱいに広がる青い空に、自分でも驚くほど心が震え、姉に声をかけられるまでずっと空を眺めていた。
全てが初めてでドキドキワクワク。姉と手を繋いでいるにも関わらず大はしゃぎ。
感情のままに走ろうとして足をもつれさせ何度も転んだ。それでも何度も走って、跳ねて、転んで、それでもずっと笑っていた。
そんな俺を見て、姉はずっと俺を気にかけてくれて、両親は優しい目で俺を見つめていた。
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散歩をした日の夜。家族が寝ついてから今日のことを【記憶】で観返すたびに、家族からの深い愛情を感じざるを得なかった。
その時にふと気付いてしまったんだ。
俺は心の中で、ずっと産みの親であるカルとサフィーを、父や母、両親と呼んでいることに。姉であるエレアも同様だ。
普段、会話をする時は、もちろんお父さんお母さんお姉ちゃんと呼んではいる。
だがそれはただ呼んでいるだけで、俺は家族を家族と認める事が出来ていないのではないか?
俺は一度たりとも、自分を「アッシュ」として見ていないのではないか?
生まれてから今日まで俺は、ずっと「《《和田日向》》」だったのだと。
それがいけないことなのかは、きっと誰にも分からないことなのだろうと思う。
でも俺の【記憶】には前世の事も入っているのだ、《《忘れることはもう出来ない》》。「和田日向」の両親からの愛情を俺はどうしたって忘れられない。
忘れて良い記憶とは思ってはいないが、そう簡単に割り切れるものでもない。
どうしても前世で過ごした両親との時間が頭を過ぎる......もう会えないのに。もう言葉を交わすことも出来ないのに。
ウィンドウさんに「行ってらっしゃい」って言ってもらったのに、俺の精神がずっと向こうにいる。「和田日向」でいたいと思っている......。
その日、幼い体のせいか感情の抑制が上手く出来ない俺は、ずっと涙を流し続けていた。
ただ静かに、嗚咽を漏らすでも無く、泣き喚くでも無く、涙を流し続けていた。
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翌る日、泣きはらした目を擦りながら体を起こした俺は、両親が俺と姉を包み込むように眠っていることに気付いた。
きっと、涙を流し続ける俺に気付いて少しでも安心させるためにこうして寝てくれたのだろう。
それを見た瞬間、俺の中で何かがはまったような気がした。
「和田日向」と「アッシュ」は分け隔てる必要のないものなのだと心がようやく理解したような。
今までバラバラに動いていた二つの大きな歯車が上手く噛み合ったような、そんな感覚。
何故だか分からない。分からないけど、また俺は泣いていた。
今度は大きな声でわんわん泣いた。それに気付いて起きた《《お父さん》》と《《お母さん》》と《《お姉ちゃん》》に、《《僕》》は抱きしめられて、頭を撫でられて、泣き疲れて眠ってしまうまで泣き続けた。
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目が覚めると流石に皆んなはもう居なかったが、まだ布団が暖かかったのでギリギリまで側に居てくれたのだろうと思う。
その事実にまた目頭が熱くなって、感情を目一杯吐き出したくなったが、流石にこれ以上は自制せねばとキツく戒める。
寝室を出てリビングに入ると、食事を取り終えたばかりのみんなが目に入る。
「アッシュ! 大丈夫かい? あまり無理はせずに今日はゆっくり休むんだよ?」
「何かあったらすぐにお母さんを呼んでね! すぐ駆けつけるから!」
「今日はエレアがずっと一緒にいたげるからねっ」
カル父さんは気遣わしげに優しく声をかけてくれて、サフィー母さんは不安を取り払うかのように力強く宣言して、エレアお姉ちゃんは元気づけるように手を握りながらそう言ってくれた。
どれだけ涙を流せばいいのか、胸はもういっぱいなのにまた溢れ出してしまいそうだ。愛情の過剰供給だよ。
「うんっもうだいじょうぶ。僕、もうだいじょうぶだよ!」
そう言った僕の言葉に何かを感じたのか、父さんと母さんが僕のことを力強く抱きしめる。
「いたっ! いたいいたい! どうしたの? お父さん、お母さん?」
「なんでもないよ。ただぎゅーっとしたくなったんだ」
「そうね。お母さんもぎゅーってしたくなっちゃっただけ」
そう言った二人の顔を見ても、それがどう言った感情から出た発言なのかはわからなかった。
わからなかったけど、それで良いんだと思えた。痛いくらい強く抱きしめられているのに、とても心地よくて暖かくて、気づけば僕も二人に抱きついていた。
「へんなの!」
「エレアもアッシュとぎゅーするー!!」
そのあとはエレアお姉ちゃんも混ざってみんなでもう一度ぎゅーっとした。
なのに何故かお姉ちゃんだけご不満な様子。
「エレアお姉ちゃんどうしたの?」
「アッシュとぎゅーってしたかった……」
こんなにも可愛いお姉ちゃんが存在するのか!?
その気持ちに、このアッシュ応えて見せましょう!
僕はカル父さんとサフィー母さんから離れて、エレアお姉ちゃんに向けて両手を広げて「どうぞ!」と声をかける。
「……なんかちがう」
そう言いながらも、ぎゅーっとするのだから、エレアお姉ちゃんが何を思ってるのか僕には分からなかった。
その後は僕もご飯を食べ、お姉ちゃんと一緒に手遊びをしたりした。
途中でお姉ちゃんが、自慢げに文字と計算をお父さんお母さんに教わっているから教えてあげると言い出したので、喜んでお姉ちゃんの拙い授業に耳を傾けた。
一生懸命、分かる範囲で文字と計算を教えてくれるお姉ちゃんはなんだかとても微笑ましくて、僕はずっとにこにこしながら聞いていた。のだが。
お姉ちゃんは突然むすッとした顔をして、授業は打ち切られてしまった。
エレアお姉ちゃんがどうしてむすっとしたのか、授業を途中で辞めてしまったのかは僕には分からなかった。




