僕、ちょっと大きくなった
剣の稽古を始めた日から早三年。
エレアお姉ちゃんは十歳になり、どんどん容姿が優れていく。身内贔屓を取っ払って「俺」で見てもとっても美少女だ。
ここ数年はサフィー母さんに憧れてか髪を伸ばしており、年齢よりも少し大人びて見える。
あと胸も膨らんできたようで、事あるごとに見せてきては大きくなったか聞いてくる。
弟だから理性を保てた。弟じゃなかったら危なかった。
そんな僕は六歳になった。
身長がすでにエレアお姉ちゃんと頭一つ分ほどしか差がないのだが、エレアお姉ちゃん曰く抱き着きやすくてこの身長差がお気に召しているらしい。
髪は少しくせ毛で朝起きると髪がぼさぼさになって大変だ。エレアお姉ちゃん曰くそんなところも可愛いらしく、いつも髪を整えてくれる。なんなら髪を整えてあげるから、櫛で髪を梳かしてほしいとおねだりしてくる毎日だ。
そう…………この三年でエレアお姉ちゃんはとてつもないブラコンになってしまった。
サフィー母さんはそれの何がいけないのかと楽しそうに見守っている。
カル父さんも苦笑いしながらこちらを 眺めている。
この三年間、二人三脚かってぐらいずっと手を繋いで仲良く一緒にいたけど……けれどもだよ、限度があるよ。
弟はちょっと恥ずかしいんだ! 広場の勉強会に向かう時の村の人の生暖かい目線、ご近所さんからは今日も仲良しだねなんて毎日言われる。
エレアお姉ちゃんがブラコンなのはもう良いとして、僕がシスコンだと言われるのは心外だ!
ただエレアお姉ちゃんが良いお相手を見つけるまでそばに居るだけなんだ。時々ちょっかいをかけてくる男を威嚇している程度だ。断じてシスコンではない!
まあなんにせよ、僕との距離が近すぎては他の同年代の男子は寄り付きにくいだろうし、エレアお姉ちゃんも僕以外に意識が向きにくいはずだ。
なので! 今日から「エレアお姉ちゃん」のことを縮めて「エレ姉」と呼んでみようと思う。
これを機に、可愛い弟からちょっとでもイメージを変えて、精神的な距離をとっていく作戦だ。
ゆくゆくは弟離れしてほしいが、急いては事を仕損じるからね。少しづつアプローチしていこう。
早速、エレアお姉ちゃ――エレ姉と共同のベッドから出てリビングへと顔を出す。
そこにはすでに家族みんなが揃っていた。
「おはよー。父さん母さん、『エレ姉』」
「おはようアッシュ……ん?」
「おはよう。どうしたのかしら?」
「…………っかい」
おや、ショックのあまり声も出ないらしい。俯き気味で何かを言ってる気もするが上手く聞こえない。
どうやら想像以上に動揺しているようで、作戦は上手くいっている——
「もう一回言って!!」
「……えっ??」
えっ??
心の声がそのまま漏れてしまった。
どうなっている、なんであんなに目がキラキラしているんだ!?
どうしてあんなに期待のまなざしをこちらに向けているんだろうか!?
「あー……エレ姉?」
「ふわぁ! エレ姉いいかも……!」
これはあれか、この呼び方が逆にツボに刺さってしまったのか!?
予想外過ぎる、これじゃあ逆効果だ。
事を仕損じるとか言ってる場合じゃない、最悪を想定せねば!
ここはいっそ呼び捨てにしてしまおう!
カル父さんやサフィー母さんには怒られるかもしれないが、今回の作戦は中途半端にやったところで逆に喜ばせてしまうことが発覚した。このまま色んな呼び方を試しても、結局いつも通りに落ち着くか、好みの呼び方に変えられてしまいそうだ。
とにかく当たって砕けろの精神だ!
「エレア! おはよう!」
「ぐはっ! アッシュがかっこいい……」
…………。
これ、どう呼んでも変わらなさそうだな。
「アッシュ? どうしたんだい、急に呼び方を変えて?」
「そうよアッシュ、急にどうし——ッ!! せっかくだから母さんじゃなくてママって呼んでもいいのよ? ほらアッシュ? 遠慮しなくていいわよ!」
「……呼び捨ても良い!!」
サフィー母さんがこの流れに乗って欲望をぶちまけてきた。エレアお姉ちゃんは呼び捨ての余韻に浸って戻ってこない。
まともなのはカル父さんだけだ、ごめんカル父さん、僕の思い付きで朝からこんなことに……。
「そういうことかっ! それなら僕のことも、父さんじゃなくてパパと呼んでくれて良いよ?」
「……ママ、パパ、おはよう……」
僕の言葉に頬を緩ませながら挨拶を返してくるカル父さんとサフィー母さん。
今日一日は何度か呼ばせて来るんだろうなぁ。
きっと今の僕の顔は人生史上最高のアルカイックなスマイルだろう。
ちなみに基本的に両親の呼び方は変えるつもりはないが、エレアお姉ちゃんは「呼び捨てでお願い~」と頼み込んできたので「エレア」呼びになった。
距離をとるどころか縮まった気すらしてしまう。悪いことではないんだけどね……。
僕の浅慮な行動で、我が家は朝から賑やかになり過ぎた。
賑やかなまま朝食を終えた僕らは各々の仕事へと向かう。
僕はカル父さんについていき、畑仕事を手伝いながら教えてもらう。
サフィー母さんとエレ……ア、おほん! エレアは家事を午前中に終わらせておくと言っていた。
「アッシュー? がんばれって応援して?」
「ん? 家事がんばれ……?」
「ちがうー! そうじゃないー!」
どういうことだ? 応援を求めておきながら、応援したら受け取ってもらえなかった。
カル父さんとサフィー母さんは何かを察したのか、にやにや静かに見つめてくる。
「ん~? っ! あぁ、えっと。」
「……」
「家事がんばれ、エレア」
なんだかすごく気恥ずかしいぃ!!!!
なんだこれ!? どこの思春期真っ盛りの付き合いたてカップルだ!
見てる方は良いかもしれないが、なまじ客観視出来るだけに余計につらい!
「うん!! アッシュも頑張ってね!」
上目遣いでこちらを窺ってからの、満面の笑みと応援を頂きました。
うちのお姉ちゃんをどこの馬の骨かもわからないいやつにくれてやる義理はあるのだろうか……?
いやいや! 危ない、思考のベクトルがぐるんと真逆を向くところだった! 恐るべし我が姉!
「うん。行ってくる……」
照れて顔見れない! ささっと家出ましょ!
カル父さんはそんなにやにやこっち見ないで!
腹が立ったので、家の外に出たところで目の前に無詠唱で水球を出して嫌がらせをしてみた。
「うおっと! ごめんよ、アッシュ~怒らないでくれ~」
平然と手刀で切り払わないでくれ~!
やっとの思いで畑に着いた。
今日は種を植える日だ。
まずは鍬を手にもって、慣れた手つきで土を耕していく。
僕らが暮らすこの村、名前をカンロ村というらしい。
カンロ村は山に囲まれた場所、いわゆる盆地に作られた村で、周囲の山には霊獣と呼ばれる存在が住んでいる地とされており、国教の光の神とは別に霊獣と霊獣が住む地を丸ごと信仰している。
地鎮などの一環なのか、あるいは本当に存在して恩恵を与えてくれているのかは知らないが、僕が生まれてから特に目立った事件などは起きておらず、この平和こそが霊獣の恩恵かもしれないので、一応祈るときはウィンドウさんと一緒に感謝をささげている。
そんなカンロ村はイーティリアム王国の中央にある王都から馬車で十日のところにあるようで、行商人はそこそこやってくるので、食卓には割と色んな食材が並んでいる。
だがこの村で育てている作物も多い。今日は僕もその中から二種類、育てていくのだ。
今の季節は春。少量の雪が解けて小動物なども顔を出し始めた頃だ。
周り半数ほどの畑では秋蒔き小麦が青々と生い茂っている。
今日僕らは春蒔き小麦の種と種芋を植える予定。
畑仕事自体は、五歳の頃から魔力の循環による身体強化で手伝っていたのだが、今年からは最初から最後まで作物の面倒を見ていく所存だ。
「アッシュ~こっちは終わったから、アッシュが耕し終わったら次は畝を作って種を蒔いていこう」
「僕より後に始めたのにもう終わってる」
「あっはは! 流石に年季が違うよ! といってもまだ十年と少ししかやっていないけどね」
「それでも速すぎるよ父さん……」
僕が一列耕した時には、カル父さんは一列と半分は耕し終わっている。体の違いはあるだろうが、無性に悔しい。
だが悔しいからと言って適当に耕すようなことは出来ない。ただひたすら耕していくしかない。
「ん~? お父さんじゃあないだろう? アッシュ~?」
うわああ!! 僕の浅慮な行動がまだ後を引いているうぅ!!
「仕事速すぎるよ!! パパ!! これでいいですか!?」
目を閉じて腕を組みながら噛みしめるように頷いてる。
その顔やめて!? かつてこんなにもカル父さんに腹が立ったことはないよ!
……さっさと畑を耕そう。なんだかズルをするようで気が引けるが、色んな意味で負けた気がする僕からのささやかな抵抗だ!
「『我が意に応え、豊饒の大地よ耕起せよ』!」
範囲指定はばっちり。土への魔力の浸透もばっちり。そして詠唱もばっちり。
魔法が発動した場所が一斉にもこもこと耕される。
面白い光景だ。
「アッシュ? 畑を耕すのはアッシュの体作りも含めた作業なんだよ? ズルはいけないなあ?」
「父さんがずっとうんうん頷いて暇そうにしてたから終わらせてみたんです~」
「まったくもう。にしても、また新しい魔法を作ったんだね。それもすごく便利な魔法だ。これがあれば土地の開拓が……落とし穴も……食糧も安定する?」
また始まった。
カル父さんは僕が新しく作った魔法を見ると、すぐにいろんなことへの活用法や応用法を考え付く。その思考をまとめるために集中する結果、独り言が漏れてしまっているのだ。
僕は僕で魔法の可能性を広げることに夢中になっている。
僕が良い意味で魔法の適当さを実感したとき、サフィー母さんと同じ考えに至った。好きなように使えるじゃんと。
それからは先ず魔法の範囲や効果、過程と結果をイメージし、そこに基礎の魔法の詠唱を参考に、独自の魔法の詠唱を考え、当てはめている。
そして基礎の魔法を参考にしたことで、魔力の消費も僅かで済むようになった。どうやらそれがカル父さんの戦士の心を疼かせてしまったらしい。
一応これまでの魔法の練習で基本の四属性と光の魔法は《《憶えた》》。
これにより、魔力が各属性の魔法にどう変質していくのかを理解できた。その感覚をもとに魔法を開発している。
闇属性はカル父さんが知っているそうだが、剣術をある程度収めるまで教えない、と餌を目の前にぶら下げられながら稽古をしている。
余談だが、剣術のほうでは【記憶】は上手く力を発揮出来ない。
魔法は詠唱という補助輪があることで簡単に【記憶】出来たが、剣術は一度自らの技量でもって、まぐれでもいいから会心の一撃を放たなければならない。その感覚を《《憶えられたら》》一気に上達するだろうけどね。
まあそれ故に、剣術はいまだ年相応といったところだろうか。
と、カル父さんが独り言を漏らしている間に、魔法で耕した土と人力で耕した土を比べてみる。
なんだろう、魔法のほうがしっとりふわふわしているような気がする。土に魔力が根付いているようにも感じるな。詠唱に入れた「豊饒の大地よ」って言葉がそのまま反映されたのかな?
……だとしたら相当不味い魔法が出来たかも。不毛の大地や砂漠でもこの魔法が同じ結果を出したら、世界情勢すら壊してしまいかねない。世界情勢よく知らないけど。
「父さん! カル父さん!!」
駄目だ、全然戻ってこない。
くっ、仕方がないっ!
「ぱぱー!!」
「なんだい! パパだよ!!」
速攻で意識が戻ってきた。すごく嬉しそうだ。
魔法の言葉も作ってしまったな僕。代償は僕のメンタル。
「もう……えっとね、魔法で耕した土と、普通に耕した土を比べてみて? どうかな? これ使って良い魔法かな?」
「んん!? まるで別物の土じゃないか!? 魔力はどれくらい消費したんだい、アッシュ」
顔つきがまた変わって、ものすごい真剣な顔だ。正直気圧される。
「うん……えっとね、だいたい水球五回分くらいかな?」
「たったそれだけの魔力で、これほどの効果を及ぼすのか。今回発動する際に何かしていたことはあるかい?」
「そうだね……魔法の範囲を指定するために対象の土に事前に魔力を行き渡らせて馴染ませていたよ。その馴染んだ魔力を使って魔法を発動したから、馴染ませる範囲によっては魔力の消費量もかわるかも。あと、魔力の体外操作も必要かな!」
「あっ…………うん、それなら大丈夫だ。常人には出来ない魔法だよ。安心していいよ」
急に遠い目をしたカル父さん。今日は表情が忙しいね?
あと言外に常人ではないと言われてしまったけど、サフィー母さんとエレアならちょっと教えればすぐに出来ると思うよ。
ていうか、僕たちまだ種まいてないよカル父さん………。




