君は花が好きだから
「…えっ」
ついさっきまで公爵邸に居たというのに、今目の前に広がっているのは青空。そして、ひゅおぉと強い風の音と圧を全身に感じる。
嘘、でしょう?
「ちょっと待って、落ちてる?!」
いやぁあという叫び声が空に響き渡った。
どうしよう、どうすればいいの。勘弁してよ神様、車に惹かれてお陀仏の次は落下死?!
あぁごめんなさいソフィア。貴方を主人公にしてあげる♪なんてかっこつけたことを言ったくせに、私はこんなに情けない死に方をしてしまうなんて。
間違えてブレスレットの魔法を発動してしまって、結果それに飛んで、そのまま落ちて死んだ。
情けなさ過ぎる、こんなの脇役以下のモブじゃない!!結局、私には脇役すら務まらないんだ、主人公ヒロインなんてもってのほか。
建物が視界に入ってきた。あと数秒で私は死ぬ。
あぁもう、ここで死ぬくらいなら…
「さっさと鈍感皇子を恋に落としておけばよかったぁっ!!」
回りくどいやり方をせず、ブレスレットの力で皇宮に行ってこのソフィアの可愛さでメロメロにしちゃえばよかったのよ!私のバカ!どれだけ考え事をしていても、そのまま体は落下していく。
必死の抵抗で目をギュッと瞑った瞬間、トスっという音が体に響いた。
あぁ、もう一度死の感覚を味わうことになるなんて、痛くて苦しくて……。
「ん、?」
あれ。痛く、ない。
おかしい、私結構な高さから落ちたはずよね。地面に叩つけられたような強い痛みもない、それどころかなんだか優しい。何かに包まれたかのような感覚。
恐る恐る目を開くと。真っ黒な瞳と、目があった。
ぱちりぱちりと何度も瞬きをするが、その景色は変わらない。真っ黒な髪が風で揺れている、黒い髪と瞳が白い肌に生えていて、とても綺麗な男が目の前にいる。貴方は一体誰?そう問おうとした瞬間、目の前の男の人は口を開いた。
「やっと、______。」
(今、なんて言ったの?)
風が草木を揺らす音がうるさくて、なんて言ってるのか聞こえなかった。
もう一度言ってください、なんて言える空気ではない。分かっていることは、今私は目の前の男の人にお姫様抱っこをされていると言うことだけ…。
私、まだ死んでいないみたい。目の前にいる人は誰?何歳くらいだろう、私と同じくらいなのかな。うーん、私よりも少し上かな。
睫毛が長い。アナスタシス公子に勝てるイケメンなんて居ないと思っていたけど、この人も負けていないくらい。…いや、それ以上に綺麗な顔をしているかもしれない。凄く、かっこいい人。
「あの、貴方は一体…?」
「………」
(え、無視?)
私の顔を見つめて何も話さないでいる、いやちょっと怖いんだけど。貴方は誰?ここは、どこ?この人が私を抱きとめてくれて居なかったらきっと私は死んでいた。助けてくれたんだよね。お礼を言わないと。
「助けてくれて、ありがとうございます…。あの、ここはどこですか?」
「ここは、皇宮の裏庭さ」
(今、なんて?皇宮って言った…?)
おうきゅう。オウキュウ。え、あの、皇族の住む、あれだよね?
「嘘でしょ…これ、もしかしなくても不法侵入…?」
皇宮への不法侵入、これは立派な犯罪…。
こんな所、誰かに見られたら。ただでは済まない。早くここから逃げなきゃ、確実に…終わる!!
「あの、とりあえず降ろして貰えませんか…?」
彼は一体何者なのか、どうして皇宮にいるのか。疑問はいくつもあるが聞いている暇はない。
私は一刻も早く、ここから立ち去らなくてはならない。
それに、お姫様抱っこ状態で平然と会話をするのは、正直恥ずかしい。目の前の彼は平然としているけれど、さっきから顔が熱い。きっと、私の顔は今真っ赤に染まっているだろう。
「僕はこのままでも大丈夫ですよ」
すました顔で笑うこのイケメン。
はい?大丈夫って何よ。私はぜんっぜん大丈夫じゃないんだけど…?
しつこく、何度もお願いだから降ろしてほしいというと。仕方ないといった様子降ろしてくれた。
「…それより、ここだといつ人が来てもおかしくないでしょうね」
「そ、そんな…!」
どうしよう、皇宮の人間だったらソフィアの姿を見たことがある人がいるかもしれない。それ以前に不審者だと通報されてしまったら…
「そんなに怯えないでください。…こっちです。さぁ僕の手を取って」
不法侵入犯罪者(仮)の私が逆らえる訳もなく、彼から差し伸ばされた手の平に手を置いた。
その途端、その手を握りしめられ。彼はそのまま私の手を引いて歩き始めた。
一体どこに向かっているのか。初めてくる場所に土地勘があるはずもなく、全く分からない。暫くすると、彼はピタッと立ち止る。
「ここなら誰も来ません、安心してください」
「…綺麗」
思わず声がこぼれた。
だって、彼が連れてきてくれたそこはあまりにも綺麗だったから。
「如何ですか?」
「…とても、綺麗ですね」
とても美しい、花畑。強い風が吹くと、花びらが舞う。思わず見とれてしまうほど美しいその景色。
「気に入って頂けると思ったんです。貴方に」
「私に?…どうして?」
(初めて会ったのに、私が気に入るって分かったって?)
黒い髪に黒い瞳。こんな容姿をしたキャラは小説には一切出てこなかった。皇宮の使用人の人かな、それともその子供とか?
垂れた目元が甘いのに。キリっとつった眉がかっこいい。彫りの深いその顔立ちは、正面から見てもはっきりとわかる。
(まるで、童話に出てくる王子様みたい…)
「だって、君は花が好きだから。」
目の前に立つ彼と私の距離は段々と近くなる。
突然手を伸ばしてきたかと思えば、彼は私の頬に手を添えるようにして、風で揺れる髪を耳にかけてくれた。
(なんなの、本当に…っ!!)
「私が花を好きって、どうして知っているんですか…?」
「さぁ、どうしてでしょう」
必死の抵抗で絞り出した言葉も虚しく、彼は気にする素振りすら見せず、さらに距離を詰めてきた。
近い、近い。近すぎる。前世も合わせ、生まれてこの方男性経験ゼロのソフィアにとって天地がひっくり返ったとしてもありえない状況なのだ。百歩譲って恋人関係の相手ならまだ理解はできる、でも彼はついさっき会ったばかりの関係。初対面の男性と、目と鼻の先の距離になったソフィアの頭は今、オーバーヒートを起こしかけていた。
カウントダウンをするとすれば、残りの時間は。3・2・1……
ボンッ
「ち、近いってば!!」
バシンッと音が静かな花畑に響いた。
手の平がヒリヒリと痛む。
や、やってしまった。
今私は、力いっぱいに目の前の男性の頬を、叩いてしまった。
ビンタってアニメやドラマでしか見たことがなかったけど、まさか自分がする日がくるなんて。
何も知らない人が見れば、この状況は恋愛ドラマでありがちな男女の痴話げんかに見えるかもしれない。
「ごっ!ごめんなさいっ!」
「っ、」
嘘でしょう、そんなに強く叩いたつもりはないんだけど…。
彼は頬を押さえて俯いてしまった。
もしかして、小説にはなかったけど実はソフィアは怪力だったとか?自分でも気づかないうちに信じられないくらいの強さで殴ってしまったんじゃ。この綺麗な顔が崩れてしまったら。やばい私、なんてことを!
すぐに駆け寄るが、それでも彼は俯いたまま動かないでいる。
「大丈夫ですか?私ったらなんてことを、どうしよう医者を呼ばなきゃっ………………はっ、」
大丈夫ですか。そう何度も問いかける私の声は塞がれた。彼の唇によって。
ちゅ。と、小さく鳴ったリップ音が、頭に響く。
それは突然のことだった。ついさっきまで俯いていたはずの彼の顔は今、私の目と鼻の際。彼の長い睫毛が顔に当たってくすぐったい。
何が起きたの。
顔を上げたかと思えば、彼は私の頬に手を添えて。
・・・私の唇に、キスを落とした。
「何してっ…!」
唇から彼の熱が伝ってきた。意味が分からない、なんなのこいつ…!!
イケメンだからって何しても許されると思ってるの?
「離して!!」
彼を振り払いブレスレットを付けていない反対側の手で上から魔法のブレスレットを握りしめる。
お願い、お願い!!侯爵家に…戻して!!この変態から逃がしてお願い…!!
願いが通じたというより、正しい使い方を行ったのだろう。ブレスレットは見覚えのある光を放つ。
「また会おう、ソフィア・ティアルジ。きっとまた、すぐに…」
叩いたはずの頬は腫れるどころか、赤くなってすらいない。さっきのは彼の演技だったのだろう。完全に騙された…!!
「絶対に嫌よ、この変態男!!」
助けてくれた優しい紳士かと思えば初対面の相手に突然キスをする奴となんて誰がまた会いたいと思うわけ?
変態男。そんな悪態付いた言葉を言い残して私は皇宮から光と共に消え去った。
・
ソフィアが魔法の力で消え去った後。
男は自身の唇を指で触り、薄ら笑いを浮かべた。
その表情は大人の色っぽさを感じるような。また、欲しかったおもちゃをやっと手に入れた無邪気の子供のような。そんな笑みだった。
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