三十 秘密の話(3)
落ち着いてきた宁麗文はもごもごと口を動かしながらまた話し始める。
「……その、だ、だま、騙して、……し、肖寧に口付けしたんだ……」
「したの!?」
「しぃーー! 声が大きい!!」
唇の前に人差し指を当てて真っ赤な顔で汪仔空に向ける宁麗文に、彼女は口元を両手で押さえる。
「ご、ごめんなさい。え、えっと……し、しちゃったのね?」
「うん……最初は私から軽くしたんだけど、……その、うわあああ!! 本当に待って! 思い出すだけで死にたくなる!!」
「えっ、えっ、どうしたの!? 本当に何があったの!?」
汪仔空とは逆の方向に倒れ込んで顔を両手で覆いながら脚をバタバタと動かす宁麗文に、続きが気になる彼女は彼の肩を持って起き上がらせる。息を荒らげながら少し髪を崩した宁麗文は髪飾りを外して一つ溜息をついた。
「落ち着いて。あなた、さっきから暴れすぎよ」
「そんなに暴れてなくないか? まあいいけど……」
袖口に髪飾りを入れて懐から扇子を取り出して赤くて熱くなった顔の熱を冷ます。汪仔空に顔を向けて扇子で口元を隠しながら泣きそうな顔をする。
「本当に、ほんっっとーーに言わないんでほしいんだけど。肖寧から、そ、その、舌を入れられて」
「入れられちゃったの!?」
「だから! 声が!!」
汪仔空は目を丸くして我に返って口元を覆う。その後の彼女も顔を赤くして、宁麗文といたたまれなさで顔を見合わせた。
「えっと……災難だったわね? え? 災難で合ってる?」
「もうそれでいいよ……。まあ、そこから任務に協力してくれて、任務が終わってから旅をすることになったんだ」
「そうなのね……」
汪仔空は近くにある枝を探して火に放り込んだ。宁麗文も扇子を膝と腹の間に入れて火を見て、二人はしばらく何も言えなかった。まさか男が男に口付けをすることがあるとは思わないだろう。しかもそれが片方が女のふりをして騙してというのなら尚更だ。汪仔空は聞いてしまったような、でも世の中にはいろんな人間がいるのかと心の中で思考を巡らせていた。
「宁麗文。その……あなた、口付け以外は何を……?」
宁麗文はそれ聞いて太ももを触られたことも思い出して両耳の前のひと房を交互に引っ張って顔を隠す。もごもごと小さく声を出す彼に汪仔空は耳を近付けた。
「……太ももを……触られました……」
「……あら……」
汪仔空はやっぱり聞かない方がよかったと困る。聞いてしまったことにより宁麗文を更に羞恥に晒させてしまった。それ以上は何も聞かまいとするが、今までそういった話をしてこなかった彼女にとってはまだ好奇心が留まることを知らなかった。
「その、また恥ずかしくなっちゃうと思うんだけど。その後は普通に肖子涵と話をしてたし、あの日だって……あなたは彼に扇子で扇いでたじゃない。口付けのことは嫌じゃなかったの?」
「そんなわけあるか! あの時からはなるべく顔を近付けないようにしてるんだ。じゃないと思い出して肖寧に迷惑が掛かっちゃうから……って、なんで君はそんなにぐいぐい聞きたがるんだ!?」
また顔を赤くする宁麗文に汪仔空は「違う、違うのよ」と脚を崩し横座りになって胸の前で両手を横に振る。
「私、今までは男のふりをして生きてきたから。普通の女の子みたいな恋のお話もできなかったの。だから、こうやって話すのが楽しくて……」
「……私は男なんだけど」
「男とか女とか関係ないわ。それで、あなたは肖子涵のことをどう思ってるの?」
宁麗文はまた膝を抱えて彼女に顔を向ける。視線をあちらこちらに向けて考えてみるが、いまいちよく分からない。肖子涵は彼を贔屓しているように見えて、あえて自分のことを字ではない呼び方で呼ばせた。彼なりの友人との付き合いかと思っていたが、宁麗文はどうしても疑問にしか思えなかった。宁麗文としては、肖子涵のことを最初にできた友人で知己であり、それ以上のものではないと考えている。
「普通に、友人だと思ってるよ。肖寧からしたら分からないけど。でも、そうしたら、なんであの時、舌を入れてきたんだ……」
「さあ……でも、それをする友だちなんていないわよ。あなた、口ではそう言ってるけど、あんなに距離が近いんだったら別の感情でもあるんじゃない?」
「別の感情って?」
汪仔空はにっこりと笑う。宁麗文は膝から顔を離して手を後ろに置いた。代わりに彼女が膝を抱えて彼を見上げる。
「恋とか」
「恋?」
「うん。それ以外ないと思うよ」
宁麗文は半ば呆れて片手を横に振りながら「ないない」と笑う。
「そんな、男が男を好きになるわけないだろ? そんなのだ……」
「だ?」
宁麗文はふと、湯一鳴から言われた「二度と断袖という言葉を言えば射ってやる」発言を思い出して苦い顔をする。汪仔空はなんとなくその後の言葉を分かって「大丈夫よ」と声を掛けた。
「敏感なのはあの子の方。私は何を言われても平気よ」
「……嫌だったら言ってね? すぐに直すから」
汪仔空はおかしくなって笑う。
「優しすぎるわ。阿鳴みたいね」
「はは……まあ、そういうこと。私は友人だと思ってるし、肖寧も私のことを一人の友人だと思ってる。それ以外の何ものでもないよ」
汪仔空は肖子涵の外衣の端をまた引っ張って被ってから「そっか」と返した。
後ろからザクザクと音が聞こえて二人が振り返る。肖子涵が帰ってきたようだ。宁麗文は彼女を置いて先に出口に向かう。
「肖寧。遅かったな」
「色々と狩りに行っていた」
そう言う彼の片手には既に天に召されたイノシシと鹿がまとめて引きずられていた。宁麗文は頬をぴくぴくと動かしながら「君、すごいな……」と声を漏らすしかなかった。
中に入って肖子涵はそれらの血抜きを始める。その間の汪仔空は疲れからだろうか、うたた寝をし始めていた。
「汪仔空。ここだと火に当たって火傷をしてしまう。こっちにおいで」
「うん……ありがとう」
汪仔空は宁麗文に連れられながら、穴ぐらの一番奥に寝そべる。下に宁麗文の外衣を敷き、上に肖子涵の外衣で包む。
「枕がなくてごめん。首が痛くなるだろうけど、我慢して」
「平気よ。肖子涵の外衣でどうにかするわ」
「ふふ、そっか」
彼は立ち上がって汪仔空から離れて、次は肖子涵の隣に座る。血抜きの途中の彼は少しだけ宁麗文を見た。
「外で何か起こってたりは?」
「していなかった」
「そっか。……湯一鳴はいつ来るんだろう」
肖子涵は首を横に振る。
「分からない。連絡が来るまでここにいるしかない」
「だよな。とにかく、楠塔森には小川もあるし食糧もある。しかも結構うねり曲がっていたから、探されるのにも時間が掛かる。ここだって偶然見つかったんだし、こっちから案内したらすぐに来てくれるだろ」
「そうだな」
血抜きを終えた肖子涵は適当な大きさに切って木の棒に刺して火に当てる。ぼたぼたと脂が落ちていくのを見ながら、たまに汪仔空の様子を見る。彼女は二人から背を向けて、肖子涵の外衣の端で枕を作ってから寝始めていた。
宁麗文は顔を火に向けて眺める。肖子涵は目を細めて宁麗文を見つめていた。
「宁巴」
「うん?」
宁麗文はふと彼に顔を向ける。
「近い」
そう言われてやっと気が付いた。宁麗文は話している途中からぐいぐいと肖子涵の近くに寄っていたのだ。また琳玩での任務を思い出した彼は慌てて後ろ手で退いてから背中を向ける。どうやら彼には人と話している時に無意識に寄ってきてしまう癖があるらしい。
汪仔空に話していた全てのことをまた思い出して、消えない顔の熱さと羞恥から死にたくなり始めていた。




