三十 秘密の話(1)
宁麗文と肖子涵は湯皓宇を連れて雑木林の中を歩いていく。しばらくうろうろとしているとようやく小さな民家を見つける。湯皓宇は二人と民家を互いに見た。宁麗文は一歩前に出て戸を軽く叩く。少し間が空いて小さく戸が開かれる。そこにいたのは青白くなっている汪仔空だった。
「宁……麗文……?」
「汪仔空。湯一鳴は?」
汪仔空は弱々しく瞼を伏せてから開ける。
「阿鳴は食糧を取りにいったわ」
「そっか。……その、君たちに客がいるんだけど。中に入れてもいいかな」
「お客さん……?」
汪仔空の手が更に戸を大きく開ける。そこにいたのは神妙な面持ちをしている湯皓宇だ。彼女は彼の顔を見てすぐに戸を閉めようとする。気付いた宁麗文は咄嗟に戸と壁の間に足を挟み込んだ。
「ちょっと待って! 今、大変なことになってるんだ。湯一鳴もいたら話が早いんだけど、とりあえず中に入ってもいいかな。このままだと気づかれてしまうだろ」
彼女の手が止まり、しばらく躊躇ってしまいながらも中に入るよう促す。汪仔空を除く三人は中に入って湯一鳴を待っていた。しばらくすると食糧を持ってきた彼が戸を開けて入る。その時に湯皓宇の存在に気付いて、狩った動物を持ちながら宁麗文の元へ向かって彼の胸ぐらを力強く掴んだ。
「宁麗文、これは一体どういうことだ? 兄さんがいるなんて聞いてもない。まさか話したのか? なんのために? 俺たちを裏切ったのか!?」
「湯一鳴、落ち着いて。私を殴るなら湯皓宇の話を聞いてからにしてくれ。それでも気に食わなかったら何回も殴っていい」
胸ぐらを掴まれた宁麗文は息を詰まらせながらも湯一鳴を宥める。その途中に肖子涵が彼の腕を掴んで力を込め、湯一鳴はその痛さに顔を歪めて渋々ながらも腕を下ろした。そして卓に狩った食糧を置き、湯皓宇につま先を向けて顰めた顔のまま言い分を聞く体勢を取る。湯皓宇は弟の顔に瞼を伏せるが、それもすぐに止めた。
「阿鳴。今すぐ帰ってこい。親父が戦争をふっ掛けようとしてる」
「……は? 戦争?」
それに汪仔空も唖然とする。湯皓宇は頷いてまた口を開く。
「お前がいないことで、親父が北武汪氏に攫われたって勘違いして戦争をおっぱじめようとしてるんだ。この機に北武に奇襲を仕掛けるつもりなんだよ。一瞬だけでもいい、すぐに帰ってきてくれ」
「そんなバカげたことを……どうせあいつの戯言だろ。兄さんだって嘘だって信じてるだろ?」
「違う。本気でそうなんだ。全員に戦争の準備をしろって報せてる。このままじゃ、下手したら俺たちと汪氏が滅ぶ」
湯一鳴は絶句した。視線をあちらこちらに流しながら、すぐに青ざめた顔を浮かべて一歩退く。そして汪仔空を見て口を震わせた。
「俺のせいなのか?」
そう呟いて、彼女をずっと見る。汪仔空は微かに瞼を伏せて上げてから首を横に振った。
「私のせいなのよ」
宁麗文たちは怪訝な顔をしたが、湯皓宇が下唇を噛んでから「今はここを出よう」と吐いた。
「お前は剣を佩いてないけど、俺は佩いてる。すぐに出ないと親父たちに見つかる」
「……なら、兄さんたちが出ろよ。俺と阿仔はここに残る」
「すぐにバレる。だから出るんだ」
湯一鳴は首を横に強く振って唇を震わせながら「嫌だ」と強く言った。汪仔空の身体を抱き締めて宁麗文たちを見ない。
「嫌だ、絶対に嫌だ!! だって出たら俺はともかく、阿仔はどうなる!? ただでさえ阿仔の腹には俺たちの子供がいる。あいつにそんなことがバレたらすぐに殺されるに決まってる!」
それに湯皓宇は驚いてスッと顔を青ざめる。汪仔空はそれを見て眉を顰め、瞼を伏せて下唇を噛む。
「お前、今なんて言った? 汪仔空の腹に子供がいる? もしかして、今までいなかったのはそれを知られたくなかったからなのか?」
「そうだよ。だからなんだ? 兄さんには関係ないだろ、これは俺と阿仔の問題なんだ。だから帰りたくない」
湯皓宇は片手で頭を抱えながら俯く。
彼にとって二人との間にできた子供の存在は一番最悪なことなのだろう。なぜなら、そのことが二つの世家に気付かれてしまったら、それこそ問答無用で戦争が始まってしまうからだ。互いに仲の悪い世家同士での、それぞれの子供たちの関わり方にも十分気をつけているはずだし、互いに互いを敵だと吹聴もしているだろう。たった一つの河のためだけに神呉湯氏は、いや、湯連杰は自分のためだけに汪氏を滅ぼそうとしているのだ。
湯皓宇は舌打ちをしてから顔を上げて「分かった」と続ける。
「早いうちに帰って嘘でも言ってまた戻ればいい。怨詛浄化の任務でしばらく家を空けるって言えば多少なり時間が稼げるだろ」
「そんなことをあいつに言ってみろ。ますます嫌な方向に向かっていくだろ。それに怨詛浄化の依頼だってあいつを経由しないと受けられない。どう嘘ついたってすぐにバレる。意味がないだろ」
「今の親父は病でまともに動けてない。だから代わりに俺が引き継いでる。俺がお前に言ったって言えばなんとかなる」
湯皓宇は湯一鳴の元に一歩近付く。彼は汪仔空ごと一歩下がった。汪仔空はしばらく瞼を伏せたまま視線を動かしてから、彼の掴んでいた手を下ろさせる。湯一鳴は彼女のその行動に驚いて顔を見て固まった。
「大丈夫。それで構わないわ」
「阿仔!!」
「いいのよ。ここに湯皓宇がずっといればすぐに分かられてしまう。そうなる前に私は宁麗文たちとどこかに行くわ。後から合流しましょう」
汪仔空はそのまま宁麗文を見る。彼はじっと彼女を見つめた。汪仔空は小さく頷いて湯一鳴から離れる。彼は彼女が自分から離れることに酷く怯え、小さく口を震わせながら開いた。
「阿仔……」
汪仔空が振り返って湯一鳴を見る。目を細めて小さく笑った。
「大丈夫。私を信じて」
また宁麗文に向き直り、肖子涵とも顔を合わせる。宁麗文は頷き、肖子涵は彼女を見る。汪仔空は自分の布団の近くに置いた剣を持って二人の元へ戻った。
「出ましょう」
「分かった」
宁麗文が答えて戸を開ける。そのまま汪仔空の手を繋いで走って雑木林の中を駆け抜けていった。残された兄弟の内、湯皓宇が湯一鳴の肩に手を置いて「帰るぞ」と呟いた。
木々を避けながら三人は北武の近くへ着く。途中から汪仔空は走るのも酷く疲れるようになり、肖子涵が抱えていった。そこから三人は舟を探して河を渡る。
「とりあえず、楠塔森に行こう。そこにいれば少しは時間稼ぎができる。体調はどうだ?」
走った汗で身体が冷え始めている汪仔空は口を少し震わせる。
「大丈夫よ」
「大丈夫じゃないな。肖寧、外衣を着せてやってくれ」
「分かった」
肖子涵は汪仔空の方に自分の外衣を着せる。汪仔空は顔を上げて驚いた。
「な、なんで? 大丈夫って言ったのに」
「小さい頃からよく身体を壊してた私から見たら大丈夫じゃないんだよ。いいから羽織って身を隠して」
「え、ええ……」
汪仔空は宁麗文の言われた通りに肖子涵の外衣を掴んで俯く。彼の外衣は一人の女性にしては大きく、ちょうどすっぽりと重なった。
「船酔いはしていないか?」
「してないわ」
「よし」
肖子涵は力を込めて舟を漕ぐ。
二時辰より遅くなった頃に河の端に着いて三人は楠塔森へ急いだ。




