二十九 混乱の町(2)
雨の音が止んだ頃に肖子涵は目を覚ます。まだ目の前には宁麗文が眠っていて、少し開いた口からは涎が垂れていた。起こさないように離れて、もう乾いている自分の分厚い外衣を彼の背中に掛ける。そして目の前に片膝を立てて宁麗文の口元を親指で拭った。口元を少しだけ上げてからまたすぐに戻して、立ち上がってから守霊術を破る。すると雨の湿気と少し寒い気温が洞窟の中を包んだ。そのまま外に出てみると木々の間から光が漏れているのが見える。その下には雨粒を垂らした植物たちが青々と風に揺れていた。
振り返って宁麗文の幸せそうに眠る顔を見る。瞼を伏せてつま先が向いている方へ顔を上げる。
息を吸って吐いて、また洞窟の中に入って廓偲を土壁から取り出した。それを佩いてから洞窟の外へ再び足を踏み出す。外側からまた守霊術を掛けて肖子涵は朝餉のための食糧を狩りに行く。雨が止んだからか、あちらこちらにうさぎや蛇が顔を見せ始めた。肖子涵はうさぎを狩ろうと思ったが、昨日に宁麗文が描いていたうさぎと呼べない絵を思い出して踏みとどまった。それならばと蛇に脚を向け、廓偲を引き抜く。彼の気配を感じた蛇も威嚇をするように口から舌を覗かせて、互いに睨み合った。
その頃、宁麗文は肩に掛かる重みで目が覚める。口元に涎の跡があったことに気付いて手の甲で拭った。辺りを見回しても振り返っても肖子涵がいないことに驚き、次第に焦り始める。
「肖寧?」
宁麗文は彼の外衣を掴んで羽織ったまま洞窟の中をうろうろと探し回る。どこにもいないが守霊術は張られたままだ。焚き火は消えていて周りが見えていても薄暗いせいで細部までは見えない。宁麗文は顔を青ざめながら肖子涵の外衣を握り締めたままその場で蹲った。もうすぐ秋に移ろうとするのに朝は冷えていて、少し身震いをする。
そのうち誰かの足音が聞こえて顔を上げた。同時に術を破る音も聞こえて外から流れていく風でまた身を縮こませる。
「肖寧……」
立っていたのは宁麗文が探していた肖子涵そのものだった。肖子涵は重々しく声を上げる彼に目を丸くして蹲っている彼の元へ寄った。
「どこ行ってたんだよお……」
肖子涵の外衣を掴みながら彼の顔を見る宁麗文は今にも泣きそうだった。肖子涵は彼に心配を掛けさせてしまったと後悔しながら身体を支えて共に立ち上がる。
「すまない、食糧を取りに行っていた」
「ご飯を? だからいなかったのか?」
頷く肖子涵に宁麗文はほっと息をつく。急に置いていかれたと勘違いしてしまった己を恥じて外衣から手を離した。彼の手を見ると二匹ほどの蛇が握られていて、宁麗文は戸惑いながら「これか?」と聞く。それに肖子涵はまた頷いて燃え尽きた焚き火に新しい枝を入れて点火符で点す。その間に蛇の身を解体して食べやすい部分のみ残して、綺麗にした枝に刺して焼く。宁麗文は肖子涵の後ろ姿を見てから、彼に掛けてくれていた外衣を後ろ姿に掛ける。肖子涵は振り返って宁麗文を見上げた。
「外は寒かった?」
「それほどでも」
「そっか」
宁麗文は彼の隣にしゃがみ込んで焼かれている最中の蛇を見る。皮のないそれは段々と脂を出し始めて照りつきを見せた。肖子涵は少し待ってできた焼き蛇を取り出して宁麗文にあげた。
「ありがとう」
宁麗文はそう言って蛇にかぶりつく。何度か食べて飲み込み、火を見ながら全て食べきった。肖子涵も少し遅くなった頃に食べきって、立ち上がってから身支度をする。宁麗文も倣って身支度をして服装を整え、肖子涵と顔を合わせた。
「神呉に行こう」
肖子涵も頷いて二人で洞窟から出て行く。外は昨夜の雨などなかったかのような、晴れ晴れとした天気になっていた。
日が昇っているお陰で神呉へ行く道が分かりやすい。二人は雨露の滴る植物たちを掻き分けながら歩いていき、ようやく道という道へ辿り着いた。どうやら昨夜は夜の薄暗さと悪天候により、北武から神呉までの道を外れてしまっていたようだ。宁麗文は何度も掛かってしまった水滴を払いながら歩いていき、肖子涵は彼のその様子を見ては前に視線を戻す。数刻ほどしてようやく神呉に着き、二人は門の中へと入っていった。直後、何やら騒ぎが起きていて二人は面食らう。互いに顔を見合わせて首を傾げてから、とりあえずと湯氏の邸宅へと急ぐ。町の中は混乱に満ちていて、その中でも大きい話し声が聞こえた。
「湯二の若様! 返事をしてください!!」
「どこに行ったんだ? もう探せるところは全部探したぞ!?」
歩きながら宁麗文は眉を顰める。まだ状況が把握していないが、何やらよからぬ事態であることは間違いない。
「湯二の若様って……湯一鳴のことだよな?」
宁麗文は肖子涵に寄って小声で言う。肖子涵も頷いて「なぜ探しているのだろう」と返した。
「何かあったのかな。とりあえず湯宗主のところに行こう」
「ああ」
二人は足早に湯氏の邸宅へと急ぎ、混乱に満ちている人々をかわしながら一炷香ほどして到着する。門の銅の輪を掴もうとしたところ、いきなり開いて中から宁麗文と同じくらいの背丈の男が出てきた。
「湯皓宇?」
湯一鳴と同じ茶髪を上に一つまとめて垂らしており、彼と同じ服をきっちりと着込んでいる。ややつり目の中の焦げ茶色を何度も瞬いて、日焼けているその肌には汗が滲んでいた。湯皓宇と呼ばれた男は驚いて一歩退くが、すぐに宁麗文だと分かると息をついた。
「なんでお前がここに……って、肖子涵!?」
湯皓宇は宁麗文から視線を肖子涵に向けると、また驚いて一歩退いた。二人はただただ困惑するばかりで、どこから聞けばいいか分からなかった。
「あのさ、聞きたいことがあるんだけど」
宁麗文が湯皓宇に問う。彼は外から門を閉めて「なんだ?」と返した。
「なんで皆、あんなに騒いでるんだ? 湯一鳴がいなくなったとか言ってたけど」
「ああ、あいつ……もう随分前から家に帰ってきてないんだ」
「帰ってきていない?」
そう返したのは肖子涵だ。湯皓宇は頷いて二人の間を通った。
「一ヶ月か二ヶ月ぐらい前からいなくなったんだ。どこに行っても見つからないし、外に行ってもどこに行ったのかも見当もつかない。お前たちは知らないか?」
それに宁麗文は首を横に振った。肖子涵も顎を引いただけで、何も言わない。本当は知ってはいるが、彼からは他言無用と言われたのだ。ここで言ってしまえば湯一鳴と汪仔空の存在を告発しているのと同じだ。
湯皓宇は頭を掻いて溜息を吐いた。
「そうか。……それより、いつから二人で行動するようになったんだ?」
「一ヶ月もしないうちから」
それに答えたのは肖子涵だ。宁麗文はすぐに彼の顔を見て、というより睨んで「頼むから琳玩のことを言うなよ」と念を込めている。肖子涵はそれに気付いているので、ただ簡単に説明した。
「割と最近なんだな。まあいいや、早く見つけてくれよ」
「分かったけど、なんでそんなに急いでるんだ?」
湯皓宇は二人を手招いて先に進み始める。宁麗文と肖子涵は瞬きをしながらも続いていった。




