二十二 戸惑う晩夜(3)
宁麗文を見た彼は一回瞼を瞬かせて驚きもせずうんともすんとも何も言わない。寝台にきちんと座っている彼の隣にはこれまたきちんと畳まれている臙脂色の外衣があり、宁麗文はそれを四年前の初めて共に行動した日、そして埜湖森での別れの二度だけ見たことがあった。
(なん、なん……なんで肖寧がここにいるんだよ!? そもそも修練中の修士だよな? 修士なのにここに来る必要なんてあるのか!? いや……ていうか、私だってバレたら色々とおしまいだ!)
宁麗文は顔を青や白に染めながら心の中で両手で頭を抱えて横に振る。全身に「気付かれたら終わり」を意味する震えが走っていて今すぐここから逃げ出したくなった。
「……大丈夫ですか?」
肖子涵の心配する言葉に我に返る。宁麗文はぎこちない微笑みを返して戸を後ろ手で閉めた。
「すみません、初めてなもので……」
「そうですか」
今、自分が女の声になる飴を舐めていてよかったと心の底から安堵する。もしここで飴を舐めていなかったら肖子涵は目の前にいる『子麗』が『宁麗文』だと気付かれてしまっていただろう。宁麗文は小さな溜息をついて彼の前に立つ。
「初めまして。私は子麗と申します。恥ずかしながら、今回が初めてなので……不慣れな点がありましたらすみません」
頬を引き攣らせながら愛想笑いを浮かべる。肖子涵は何も言わないまま頷くだけだった。
宁麗文は彼の隣に座ってただただ俯く。頭の中でどう説明すればいいのか、そもそも気付いていないのだからどうやって気を失わせてやればいいのかを考える。肖子涵はその間でも何もせずに隣の彼の様子を見ていた。
(そもそも肖寧を気絶させられるのか? 無理そうなんだけど……だったら玥さんの言ってたことをやるべきか? いやでも、バレたときが怖いんだよな……ただでさえ私も肖寧も男だ。もし、もし致すっ……致すことになれば、私の初めては肖寧になっちゃうし、肖寧の初めてが私になっちゃうじゃないか。そうなったら今後どうやって関わればいいんだよお! ていうか男同士の致し方ってなんだよ!? そもそもあるのか!?)
目をぐるぐる、顔を青くしながらうんうんと唸り出す宁麗文に肖子涵は「あの」と声を掛ける。宁麗文はまた我に返って少し冷や汗をかきながら「なんでしょう?」とまだ愛想笑いを向ける。
「体調が優れないのでは?」
「あ……あは、あはは……いえ、違うんです……本当に初めてすぎて、何をすればいいか分からなくて……」
(本当は知ってるけどな! こっちは君にバレたくなくてどうやって切り抜けようかなって考えてるんだよ!)
本音と建前を間違えずに肖子涵と向き合う。意を決してもやはり羞恥が勝ってまた下を向いてしまう。それを数回繰り返して、ようやく本当に意を決して顔を上げた。
「あ、あの」
「はい」
「く、口付けを、しっ……てもいいですか?」
宁麗文は目を回しながら上手く口を動かすことができず、声を裏返しながらも唯一出たものがその言葉だった。それに肖子涵は少し目を見開いて何も言わない。
(だよな、急に言われたら困るよな!? 私だって困るから、頼む、断ってくれ!)
宁麗文は眉を少し顰めながら下唇を噛む。拒否を念じる彼とは裏腹に、肖子涵は「はい」と応えた。宁麗文はその返答に心の中で頭を抱えたまま膝から崩れ落ちていた。
(嘘だろ!? なんでっ……いや、私が女の人だって思われてるからだ! 宁麗文じゃなくて子麗だって思われてるからだ! いやそうなんだけど、けど!)
当たり前のことだというのに彼はそれでも困っていた。徐々に赤くなる顔に気付いて思わず視線を逸らす。心の中で龔親子に対する不満をきっちりと並べて、そして最後に目の前の肖子涵に対する不満をこれまたきっちりと並べる。
(でもどうせ、肖寧には避けられたんだから。唇ぐらい奪って泣かせればいい!)
宁麗文は唾を飲んで肖子涵に向き直り、彼の頬に両手を添えて瞼を閉じてから顔を近付けた。肖子涵はその瞬間に驚いて少し身動ぎをする。しかし、宁麗文をかわす前に二人の唇が一瞬だけ合わさった。
宁麗文は彼の頬から両手を離して代わりに肩に置く。わずかな間に軽い口付けをして顔を離して瞼を開けると、今度はかわそうとしていた肖子涵から口付けをされた。
(──え!?)
宁麗文は想定外の行動に驚いて目を白黒させる。肩に置いた手に力を入れて身を離そうとすると、それに気付いた肖子涵が彼の腰に手を置いて自分に寄せた。
(ちょ……ちょっと待って、どうして!?)
あまりにも驚きすぎて身を硬くした宁麗文に、唇に目を向けていた肖子涵はちらりと彼の目を見て、そのまま自分の唇から舌をのぞかせて彼の唇を舐める。宁麗文はそれにぼっと火が出るような顔の熱さを感じて必死に手に力を込めて離そうとする。その力を更になくすように肖子涵の舌は固く閉じられている彼の唇の裂け目を、慣れたように何度か擦って少しずつ割って入った。
「んうっ!?」
突然入ってきた舌に宁麗文はまた驚いて歯を少し開けてしまう。それに気付いた肖子涵が更に攻めようと口を大きく開けて舌を奥に入れ、自分よりも小さく短い宁麗文の舌と絡め合わせた。赤くなっていく顔は次第に耳までその色が染まり、首元から鎖骨にかけて広がっていく。元々白い肌が色に染まるのだから、妓女としている『子麗』は更に妖艶な姿へと変わってしまった。
艶かしい女の嬌声を上げながらビクビクと身体を震わせていく宁麗文の手に力が入らなくなり、肖子涵が寄せた腰が更に彼へと寄る。そのうち彼の膝に乗り上がってしまい、両脚を器用に割られ片脚を寝台の上に置かされた。宁麗文の手はずるずると下りてしまい、肖子涵の胸元を力のないまま必死に押すしかなくなる。顔を離そうと顎を引いてもそれを元に戻すようにぐっと顔を近付けられる。終いには宁麗文の頭を肖子涵の大きな手が支えるように包み込まれて行き場をなくされてしまった。ぐるぐると目を回している宁麗文の口の中で二人の舌が絡み合い、その度に耳の中で水の音が鳴る。そのいやらしく聴こえる音にとうとう泣きたくなってきていた。
(もう……これから……どう関わればいいんだよお……ていうか私が泣かされてどうするんだよお……)
宁麗文は羞恥のあまり顔を更に熱くして目尻に涙を溜めながら目を瞑る。肖子涵は目を開けたまま彼の顔を見ていて、息も絶え絶えに喘ぎながら力をなくしてきていると気付いてからまた更に深く舌を絡め、次は自分の唾液を彼の口の中に注ぎ込んだ。
(なっ、つっ、つ、唾!?)
なぜ自分の口の中に彼の唾液が入れられているのだろうか。驚きつつもこのままでは溢れて自分の口元が濡れてしまう。そんなはしたない姿を見られたくないという謎の自尊心でそれを懸命に飲み込んでいく。その間も動揺と混乱でバクバクと心臓が跳ね上がっていた。
肖子涵は懸命に飲んでいく彼に唾液を押し込み続けながら瞼を伏せて浅く鼻で息を吐き、そのまま寝台にゆっくりと押し倒していく。絹のように滑らかな茶色の髪は扇状に広がりながら横たわっていく。
宁麗文の頭が敷布に置かれた時に肖子涵の、頭を支えていた手が彼の頭から抜き取って腕輪ごと左手首を敷布に押さえながら自身を支えた。腰を掴んでいた手が離れて宁麗文の服を少したくし上げ、そこから見える白い太腿に伸びていく。
「んっ!?」
少し指がかするような触れ方をされた宁麗文は太腿を一度大きく、そして強く震わせて瞼を思いきり開けた。
(助けてっ、誰か助けて! なんでっ、肖寧なんでそんなことするんだよっ!? バカ! 恥知らず! バカバカバカ!!)
まさか自分にとって一番最初にできた友人はこれほどまでにとんでもない恥知らずだとは思わなかったのだ。口の中では舌で蹂躙されるわ唾液を飲ませられるわ腰を掴まされて身を寄せられるわ、挙句の果てには太腿に触れられるわで、宁麗文の彼に対する印象がガラガラと変わっていく。
そのままかするかそうでないかの触り方をしていき、宁麗文の目尻から涙が零れたのを見た肖子涵は彼から唇を離し、そこから一本の銀の糸が引かれる。それを切るようにもう一度軽く口付けをして彼の唇を舐めてから顔を離し、そして彼の耳元に口を寄せた。
「なぜ女の声をしているんだ」
その言葉に宁麗文は今度は青くなる。ぎこちなく視線を肖子涵に向けると、彼は平然としたまま宁麗文を見つめていた。
「あ、え、あ嘘、え…………」
言葉があまり出てこず、餌を欲しがる鯉のようにはくはくと口を動かすことしかできない。身体中の力は抜けきってしまって自分で起き上がることすらもできない。
嘘だとは思っていたが、その実宁麗文は彼に最初から気付かれてしまっていたのだ。
肖子涵は彼から顔を離し、宁麗文は触られた太腿をさらけ出してしまった服の裾を正すこともせずに両手で自分の顔を覆う。そしてその青さはまた赤く染まりあげ、今度は全身にゆっくりと広がっていく。そのまま身体を震わせて手の中で羞恥と困惑を入り混ぜた目で本気で泣く寸前になっていた。
「宁巴」
「ちょっと……ごめん……待って……」
「待つ」
「ありがと……」
宁麗文の目尻に次第に涙が膨らんできて、そのままこめかみに流していく。
(バレないと思ってたのに! 騙して泣かしてやろうと思ってたのに! なんで私が泣かされる羽目になるんだ!!)
心の中で悪態をついてから両手を離して手の甲で涙を拭う。拭えば拭うほどとめどなく溢れてくるし、鼻水も出てきたからか鼻をすするようになった。小さけれど嗚咽も出てきており、宁麗文は寝台に横たわったまま涙を拭いながら情けない声で泣き始めた。




