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護誓散華  作者: くじゃく
始まりの君
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二 前日祭(1)

 ──それから二ヶ月後。残念ながら件の凶鶏事件には最後まで参加できなかった。宁麗文はそのことに大変落ち込んでしまい、無名に引き籠もることも多々あった。

 「どうして……」

 宁麗文の口から溢れ出たのは短い不満と落胆による溜息のみだった。寝台に寝転びながら本を読み、食事の時間になれば渋々部屋を出る。そういう毎日に浸っていると遂に堪忍の尾が切れた青鈴が無名の戸を開けた。

 「いい加減にしなさい!! ほら、さっさと部屋から出る!」

 中に入ってきた彼女を宁麗文は鬱陶しく思っていると、青鈴はそんな彼の腕を引っ張って引きずり出す。いやいやと引っ張られながら無名から出ると、外には宁雲嵐ともう一人の男がいた。

 「君は……」

 白の毛皮を端になめした臙脂色の分厚い外衣に身をまとっており、そこから見える黒ずくめの中にわずかな臙脂と金が目立つ。艶のある黒い髪は高く結い上げられており、それを外衣と同じ臙脂の髪紐でまとめている。眉は太いがそれほど威圧感はなく、切れ長の目には漆黒の瞳が存在している。鼻筋は高く、宁麗文にとってはおそらく今まで見た中でも一番端正な顔立ちだろう。

 その男は、肖子涵だった。

 「お前も見たことあるだろ。半年ぐらい前にいた奴だよ」

 宁雲嵐は肖子涵の肩に肘を乗せて笑う。宁麗文の双眸には久しぶりに会った人物に夢中になってしまっていた。

 (どうしてここに? 何か問題でもあったのかな)

 戸惑いを隠せていない彼に肖子涵は拱手を向ける。

 「改めて名乗らさせていただく。姓は肖、名は寧、字は子涵。あなたの名前は宁雲嵐殿から聞かせていただいた」

 肖子涵の拱手に宁麗文も慌てて拱手で返す。その際に顔も伏せてしまったが、恐る恐る上げてみると彼はそこにいたまま、拱手を下ろしていなかった。宁麗文が手を下げれば肖子涵も下げる。凛々しく、宁麗文よりも背丈も体躯も段違いな彼だが、丁寧な作法に素晴らしいと感嘆する。

 (洛陽肖氏の教育は、こんな些細なところもしっかりと植えつけられているんだな)

 懐から取り出した扇子を広げて口元を隠して宁雲嵐を呼ぶ。彼は肖子涵から離れて宁麗文の傍に寄った。

 「なんでこの人がここにいるんだ? 兄上が呼んだの?」

 宁雲嵐は首を横に振る。

 「ここ最近の事件がないか探し回ってたらウチの近くに来てたらしい。ついでに凶鶏事件に参加できなかったお前を心配して来たんだってよ。よかったな」

 「よかったなって……」

 扇子を軽く扇ぎながら肖子涵を見る。彼もまた宁麗文を見つめていたようで、視線が合えば気まずくなって扇子を閉じた。拳を口元に当てて軽く咳払いをして扇子を懐に入れる。

 「肖子涵殿。ご心配に感謝します。実はここ半年ほど前まで鍛錬に力を注いでおり、それ故に事件の助太刀に参ることができませんでした。ですが、今後から──」

 「構わない」

 肖子涵が宁麗文の言葉を遮ったことに、最後まで紡げなかった彼はぽかんと口を開けてしまう。宁麗文とその隣にいた青鈴、そして宁雲嵐も彼と同様に唖然としていたが、その中にいた青鈴が慌てて宁兄弟の前へ出て宁麗文に顔を向けた。

 「麗文、まだ外に出てなかったでしょ。ちょうどいいわ、今日は華伝投かでんとうの前日祭だから町に出かけてきなさい」

 「前夜祭!?」

 宁麗文は目を輝かせ、しかし肖子涵がいることを思い出してすぐに表情を消す。人前ではしゃぐ様子は宁雲嵐と青鈴以外に見せたことがないので恥ずかしくなってしまったのだ。肖子涵はそんな彼を見ても何も思わず「華伝投ですか」とだけ返した。

 華伝投というのはここ江陵の毎年の恒例行事であり、江陵宁氏の先祖を祀るものだ。これまで宁麗文以外の一族はこれに参加をし、祝詞を唱えながら咲き乱れた沢山の種類の花を術で雨のように降らして祀っていた。春節という祝日もまた存在していて、それにも先祖を祀るのもあるが、華伝投は初代宗主の命日に合わせて行っているのだ。今年からは宁麗文も参加の対象になるので、当の本人はいても立ってもいられないほどの嬉しさを彼の前で全面に出してしまったのだ。

 「でも……私が明日、いきなり華伝投に参加なんてしたら、何か言われるんじゃないか? 町の中を歩くだけでもいいかな……」

 「なあに、心配はいらないぞ。父上がこの日のために令を敷いているんだ。これで堂々と道を歩けるぞ。あっでも俺たちが歩いてたらそれこそ話題になっちまうか、ははは!」

 陽気に笑う宁雲嵐に宁麗文は呆れ笑いを返し、肖子涵に顔を向ける。

 「君も華伝投を見に?」

 「いや。江陵は何度か来てはいるが、観光まではしていなかった」

 「じゃあ、肖子涵殿も見に行けばいいし、今から行ってくるといい。麗文のいい護衛にもなるだろうよ」

 「兄上!?」

 宁麗文は愕然とした表情を浮かべ、すぐに兄の二の腕を扇子で何度も叩く。宁雲嵐は痛くも痒くもない様子でただ笑う。青鈴は宁雲嵐の言動に呆れ笑いをしていた。

 「いいだろ。このままじゃお前はどこも行かないんだろ」

 「そっ……そういうわけじゃないけど、その、私が他人と話すところなんて見たことないだろ! ましてや一緒に行動するなんて。兄上は気でも狂ってるのか? それとも狂ったのか? ほら肖子涵殿も困ってるだろ、勝手に相談もなしに決めつけるのはやめてくれよ。彼と一緒に行って困らせるぐらいなら兄上と一緒に行った方がいいよ」

 「そんなに喋れるなら問題ないだろ」

 「私の話聞いてた!?」

 「あの」

 肖子涵が二人に声を掛けたところで宁麗文は我に返ってまた扇子で口を隠す。

 「俺でよければ」

 「嘘ぉ!?」

 宁雲嵐は目を白黒とする弟の背中を豪快に叩く。その表情には天真爛漫と貼りついていて、まるで面白がっているように見えた。

 「決まりだ。ほら麗文、準備しろ。肖子涵殿は客室に連れていくから、支度が終わったら来い」

 「いや、あの、ちょ……」

 宁麗文の言葉に耳を貸さずに宁雲嵐と肖子涵は中庭を後にする。残された宁麗文は手を伸ばしていたが、それもやめて下ろして空を仰いでやや落胆するように肩を落とす。視線を空から青鈴に通せば彼女は二人を見送った後に視線に気付いて顔を上げた。

 「青鈴……助けてくれ……」

 彼女は乾いた笑声を出して彼の肩を軽く叩く。

 「まあ、行ってきなさい」

 そうして二人の後を追うように宁麗文から離れていった。

 (私の味方はいないのか……?)

 宁麗文は晴天を泳ぐ鳥に心なしか腹が立ちつつも、せっかくの客人を待たせてはいけないと頭を振ってまた無名に戻った。

 

 生まれて初めての外に、それも町へ歩を進める機嫌のいい宁麗文と、感情が読み取れない肖子涵は至る場所に開かれている店を見つめながら練り歩く。ここは『青天郷せいてんきょう』と呼び、江陵の中でも一番栄えている町だ。

 宁麗文はどれもが目新しく、特に何を手にするわけでもないし、してもいいかも分からずにその場を過ぎていく。しかし星が輝いているかのような目でじっと商品を見つめているので、肖子涵は彼の様子を見ているだけだった。

 「あっ、山査子さんざし飴だ。家にあるものと作り方が違うんだな」

 「家にあるものとは?」

 「棒に刺すんじゃなくて、そのまま飴に絡めるんです。山査子も父上が特注で頼んでて……美味しいんですけど、やっぱり串に刺したものが食べたいんですよね」

 甘いものが好きな宁麗文にとって、町の屋台にある山査子飴というものは喉から手が出るほどに欲しいものだった。それでも家ではその夢は到底叶うわけではなく、いつか家から離れたときに食べると決めていたのだ。

 肖子涵は山査子飴の屋台へ向かい、不思議に思った宁麗文も彼に着いていく。肖子涵の手には財囊ざいのう【財布】が握られており、その結び目を解いてから「飴を一つ」と中から銀貨を取り出して置いた。

 「えっ」

 宁麗文の声を聴いても肖子涵は女店主から山査子飴を受け取り、そのまま彼に渡す。彼のその行動に宁麗文は瞬きをするばかりで、中々受け取ることができなかった。

 「いらないのか?」

 「えっ、あ。ありがとう、ございます」

 おずおずと彼から山査子飴を受け取り、それをじっと見つめる。

 (言ってみただけなのに。どうして買ってくれたんだろう)

 それでも念願の飴なもので、見ているうちに口から涎が湧いてくる。小さく口を開いてそれにかぶりつき、飴と山査子を中に入れた。

 「美味しい……!」

 ぱっと明るくなった顔で次々と食べていく。急に我に返り目の前の肖子涵を見た。恥ずかしくなり、熱くなった顔でまた小さく食べ始めた。

 (人前でみっともないことしちゃった……恥ずかしい……)

 己を恥じながら最後まで食べ終え、女店主に「美味しかったです。ありがとうございました」と礼を告げる。

 宁麗文から声を掛けられた彼女は瞬いてぽかんと口を開ける。それに宁麗文は首を傾げ、肖子涵は何も言わずに彼から串を取って懐から出した懐紙に包み、二人を目で交互に見る。

 「何か顔についてましたか?」

 我に返る彼女は小さく噴き出して困ったように笑う。

 「いやね、違うのよ。あなたみたいな綺麗でお若い貴公子様が、こんな山査子飴で子供みたいにはしゃいでるのが可愛くて。それに、食べた後にお礼を言う人も中々いないのよ? 子供なら母親に言われて『ありがとう』って言うのは何人も見たけれど。でも、あなたみたいなお若い人では初めて。何十年もやってきたけど、やってきてよかったわ。こちらこそありがとうね」

 にこにこと笑いかける女店主に肖子涵も軽く会釈をして隣の男の腕を取って歩き始める。宁麗文は彼からの行動に驚き、引っ張られながらも「また食べに来ます!」とだけ返してその場を後にした。

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