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護誓散華  作者: くじゃく
晴れの行方
53/220

十七 羊肉(3)

 秦氏の邸宅に着いて宁麗文と漢沐熙は秦麗孝を引きずって漢沐熙がいつも泊まっている部屋に入る。『曇天どんてん』という看板が掛けられていて、中に入れば結構マメな性格なのか、部屋の中はきちんと整理整頓されていた。

 「なんで俺を連れてきたんだよお!?」

 二人に両腕を掴まれた秦麗孝は部屋に入るやいなや叫ぶ。宁麗文と漢沐熙は驚愕している彼を見てニヤ……と口の端を上げた。

 漢沐熙が予め伝えて家僕が三人分の杯と酒を持ってきてもらった。それを卓に並べて宁麗文がなみなみと盃に酒を注ぐ。漢沐熙が肘を卓に置いて盃を持って秦麗孝に聞く。

 「今の気分はどうだ?」

 「いいとは思ってねえ」

 「どういう意味で?」

 「……ここに連れてきた意味だよ」

 秦麗孝はぶつくさ言いながらも盃を持って待つ。宁麗文も持ち上げてから三人で乾杯をして一気に飲んだ。

 「お前、二週間後の姉さんの結婚についてどう思う?」

 秦麗孝は自分で酒を注ぎながら不機嫌に唇を尖らせる。酒かめを置いて盃を持ったまま飲まずに水面に映る自分を見ていた。

 「そりゃあ嬉しいよ。……けど、けどさ。ここから離れんのが嫌」

 秦麗孝はまた酒を飲んで一つ息をつく。

 「なんで結婚なんかするんだよ……それも龔飛龍なんかと……あいつは女嫌いだって言われてんのに……」

 「なんで龔飛龍は女嫌いって言われてるんだ?」

 疑問を口にしたのは宁麗文だ。彼は世長会で秦麗孝たちを見ても関わったことがあるのは唐秀英、秦麗孝、漢沐熙、そして肖子涵の四人だけだ。当然の如く龔飛龍の顔と名前を知っていても性格までは知らない。漢沐熙は眉を上げて酒を注ぐ。

 「それを説明するにはまず琳玩の特徴からだな。あそこは花街と呼ばれていて、複数の遊郭と青楼が並んでいるんだ。遊郭と青楼の違いは知ってるか?」

 「知らない」

 違いの分からない宁麗文は即答し、漢沐熙はそれに笑う。

 「遊郭は主に春を売る。春ってのは……まあ、あれだ。身体を売るってことだ」

 宁麗文はそれに眉をやや顰めて首を傾げる。酒を少し飲んでから口を開いた。

 「身体を売るってなんだ?」

 それに漢沐熙と秦麗孝は愕然とした。二人の心の中では宁麗文の純粋無垢で潔白な性格に驚き、そして次に成長して汚れてしまった己を恥じてしまう。漢沐熙は盃を置いて肘をついた方の片手で額を押さえて眉を深く顰める。

 「……あのな……身体を売るっていうのはな……」

 ちらりと助けを求めるように秦麗孝を見るが、彼は目を流して漢沐熙を見ないようにした。漢沐熙は小さく舌打ちをしてそのまま睨む。宁麗文の顔を見ればまだ首を傾げて盃を持っていた。

 「……秦麗孝、お前もなんか言え……」

 「お前から始めたんだろ」

 「クソ……」

 「身体を売るっていうのは労働力って意味なのか?」

 宁麗文は自分の中の解釈を噛み砕いた。「身体を売るという表現になぜ労働力を当てはめるのか?」と二人は思ったが、「これで宁麗文くんが勘違いしたままでいてくれると助かる!」と特に漢沐熙がありがたみを感じた。

 「ああ、そういうこと。遊郭はそんなもんだ。金さえ払えば誰でも行けるし簡単な仕事をしてくれる。で、青楼ってのは教養がないと入れない。科挙にも合格できるような頭のいい女性がそこにいて、そこに行く人は金と教養がなけりゃ入れない。主に政治家とか俺たちみたいな者とかな。そういう人から頼まれた仕事をするのがほとんどかな」

 「君たちはそこに行ったことがあるのか?」

 それに二人は断固として「ない」と答える。

 「行ったら行ったで変な噂が立つだろ。そもそも俺たちは修士なんだから修練しなきゃダメだ」

 「なんで変な噂が立つんだ?」

 次々と湧き出る宁麗文からの質問に漢沐熙は遂に両手で顔を覆った。「もうどうにもならない、誰か俺を助けてくれ!」と心の中で叫びながら長い溜息をつく。

 「……」

 「……」

 「おい、なんで黙るんだ? 教えてくれよ」

 宁麗文は彼の肩を揺らすが頑なに口を開けようとしてくれない。宁麗文は結局分からないまま不満げに酒を呑むしかなかった。

 「……それで、龔飛龍はその花街に囲まれて生まれて育ってきたんだ。当然暇になったら町に行って遊んだりする。もちろん遊郭にも顔を出したりするだろうし、中に入るかまでは分からないけど。まあ、そんなことはどうでもいい。で、あいつはそこで事件だか事故だかに巻き込まれたんだと」

 「巻き込まれた?」

 漢沐熙は酒を飲んで頷く。

 「俺も秦麗孝も詳しくは知らない。ただ、それのせいで塞ぎ込んで遊郭にも顔を出さなくなった。そこから修士として修練するようになって、たまに所用で女性と話をするときも距離を置くような冷たい態度を取るようになったんだってさ」

 宁麗文は「ふうん」とだけ言って酒を飲みきって盃に残りの酒を注ぐ。空になってしまった酒かめを卓に置くと秦麗孝が戸を開けて家僕に追加の酒を頼んだ。

 少ししてほどよい酒の回りが来たところで秦麗孝が口を小さく開き始める。

 「……俺ってさ。本当に昔から、それこそ生まれた時から姉ちゃんのことが好きなんだよ。他の誰よりも俺のことを理解してくれて、考えてることも分かってくれて。このまま姉ちゃんと生きたかったんだよ。だけど……けど、結婚するから。姉ちゃん、きっと俺に姉離れしてほしいとか思ってる」

 自分の中の思いを呟くのを二人はずっと聞く。

 「姉ちゃんは俺の髪の毛を毎日編んでくれるんだ。手も優しくてさ、ずっと編んでいてほしいんだよ。それももうできなくなるんだ。俺は次期宗主になるし、いつまでも甘えられるわけにはいかないのは知ってるし分かってる。いつか俺にも妻ができて姉ちゃんから離れるんだって分かってる。分かってるけど、それでも、俺の中では姉ちゃんが一番なんだ」

 秦麗孝は瞼を伏せて残りわずかの盃の中の酒を回す。くるくると回って手を止めれば小さく渦巻きを止めていく。それを彼はずっと見ていた。

 「どうすればいいんだろうな。結婚するのは嬉しいことだけど、してほしくないんだ」

 「……決まったことだからな。俺たちにはどうすることもできないさ」

 漢沐熙は酒を一気に飲んで小さく息をした。彼の背中を手で軽く叩いて「喜んであげるしかないよ」とだけ言った。秦麗孝は眉を下げて小さく首を縦に振る。

 宁麗文は二人の様子に昨日の寝る直前に考えていたことを思い出した。

 (私もきっと秦麗孝みたいに悲しくなるだろうな。決まったことでも。離れたくないし……)

 持つ盃に入っている酒の中に映る自分を見て、くるりと一度軽く回して水面を作った。

 (うん、やっぱり嫌だな。私も青鈴と離れたくない)

 家僕が持ってきた追加の酒かめを全員で注いで呑むを数回繰り返し、漢沐熙の部屋に転がっているのは三かめの酒壺だった。その頃には漢沐熙以外の二人は机に突っ伏したまま寝てしまっていて、彼は「またやらかした……」と遠い目をしながら酒かめを回収して家僕を呼ぶ羽目になってしまった。

 

 それから一週間が経った頃。宁麗文は相変わらず秦氏の邸宅にずっと泊まっていて、家に帰ろうともしなかった。漢沐熙が帰ろうと思った時に一緒に着いていこうと思っていたが、彼は従兄弟で親に連絡もしているのだろう、特に帰る素振りもせずにずっと膳無にいた。

 蒼茫亭の中をまわっている二人は秦麗孝が教えてもらった乾酪を食べながらだべっていた。

 「漢沐熙はまだ帰らないのか?」

 宁麗文は流石に心配になって彼に聞く。漢沐熙は乾酪を食べきってから頭の後ろで腕を組みながら眉を上げた。

 「別に。長くて一ヶ月ぐらいここにいたことあるし、気にすることはないな。あ、もしかしてもう帰りたいのか?」

 「いや、そうじゃないんだけど……親が心配しないのかなって。いくら従兄弟でも一回は家に帰った方がいいんじゃないのか?」

 漢沐熙は腕を解いて歯を見せながら手を横に振る。

 「父さんももう分かってる。元々俺は動物が好きでずっと膳無にいるんだ。もちろん秋都にだって動物はいるけど、うちは工芸品とかもあるからさ。動物の立ち入り禁止の場所とかもあるんだ。だからほとんどここにいるんだよ」

 膳無に来た初日に唐秀英が言っていたことを思い出す。自ら動物が好きと言うのなら自他公認なのだろう。

 「犬と猫だったらどっちが好き?」

 宁麗文も食べきって扇子で扇ぎながら聞く。漢沐熙は片方の肘を支え、支えられた方の手で顎を支える。ずっと唸りながら熟考し始めたので、宁麗文は慌てて「今のなし! どっちも好きなんだな!?」と漢沐熙が考え込んでいるのを止める。

 「いや、そうじゃないんだ。犬と猫とでいいところがありすぎてそれぞれ紹介しようかなって思って……」

 「き、君……よっぽど動物が好きなんだな……」

 扇子で口元を隠しながら頬をぴくぴくと動かす宁麗文に漢沐熙は照れながら「うん」とだけ答えた。

 そのまま歩いていると、一週間前とは違って人の数が多くなっていることに気付く。

 (商人以外の外部の人間を入れ始めたのが二週間前って言ってたけど、それにしても多すぎるな。まあ、ここでしか食べられないものだっていっぱいあるもんだしこんなもんだろ)

 相変わらずいろんなものに目移りをしながら扇子で口元を隠して歩いていると、ふと見た路地裏辺りから話し声が聞こえた。漢沐熙に目配せをすると彼もそれに気が付いたようだ。二人は路地裏から見えない場所で息を潜めながら目視する。そこには二人の男が何か談笑でもしているようだった。

 彼らは笑っていながらも、その顔には普通に見せるような顔ではなく、ニタニタと薄笑いを浮かべている様子だった。手には小さくて薄い囊を持っていて、それが何個もあった。

 「なんだあの二人」

 すかさず漢沐熙が口を出す。

 「よくないことでも企んでるんじゃないか? まあ、大方遊郭に行く話でもしてるんだろ」

 「なんで遊郭の話が出るんだ?」

 宁麗文からの問いに漢沐熙はスッと真顔になる。昨夜のことを思い出して口を閉じた。宁麗文は怪訝に首を傾げて見るが、彼は一切宁麗文を見ようとしなかった。

 「あ、もう出てきた。なんだったんだろうな」

 漢沐熙は先程のをなかったことにして路地裏から出る男たちの様子を窺う。彼らは人混みの中に入ってしまって探すのも無理な状況になってしまった。宁麗文と漢沐熙は互いに顔を見合わせて首を傾げながらも、そのまま大通りの中に入って見てまわった。

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