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護誓散華  作者: くじゃく
晴れの行方
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十六 双子(3)

 漢沐熙が秦麗孝を引きずりながら食室を後にするのを見送った、宁麗文も秦雪玲も席を立って食室から出る。

 彼女は歩きながら「宁麗文さんはあの子のことをどう思ってる?」と宁麗文に問いを投げた。宁麗文は驚いて足を止める。一歩遅く立ち止まった秦雪玲は振り返って微笑んだ。

 「変な意味じゃないのよ。聞かせてほしいの。あの子、私にはああだけど沐沐にはふざけたりするでしょう? もしかしたらあなたにも私がいる時以上にふざけてるんじゃないかなって」

 宁麗文は視線を多方向に動かしながら言葉を選ぶ。

 最初の印象は最悪だった。助けてもらったのはいいけれどボロボロのぐちゃぐちゃな格好を見て笑われたし、その後も悪びれた様子はなかった。

 しかし、膳無に入ってからの彼は丸っきり人が変わっていた。それはまるで無邪気な子供で、そして動物にも民にも優しい。宁麗文は彼のその態度の変わりように驚いていたが、その実悪くない奴だなと憎む理由もなかった。

 「もちろんふざけてますよ。私の最悪な格好になった時に笑うし、許してもらう時に奢るとか言ってて」

 「あはは、やっぱり。ごめんなさいね、うちの小麗が」

 宁麗文は首を横に振って口角を上げる。

 「いえ。それでも親しみやすいと思っています。実際、彼がいなければ私も兄上も邪祟にやられていたし、彼がいたお陰で世長会の不満も一緒に吐き出せることができた。彼は優しい人です」

 秦雪玲は微かに目を見開いてからまた微笑む。

 「そう言ってもらえて私も嬉しい。ここだけの話なんだけどね、あの子ああ見えて泣き虫なの」

 「えっ」

 秦雪玲は花を咲かすように笑った。

 「私が風邪を引いた時も、怪我をしちゃった時も泣いて『姉ちゃんの代わりになりたかった』って言うのよ。怪我なんて、指をちょっと切っただけでも言うのよ? 大袈裟だと思わない?」

 「……そ、そうですね……」

 宁麗文は知ってはいけない一面を知ってしまった気分で頬をぴくぴくと動かす。「いつもはあんなにはっちゃけているような態度なのに姉の前では泣いてるのかよ!」と心の中でつっこんで、しかし秦雪玲がいる手前では表に出せないので何も言わなかった。

 「でも泣くのは私と沐沐の前だけよ。あなたは泣いてるところは見たことある? ない?」

 「ないです。ずっと笑ってますよ」

 「ふふ、でしょうね。やっぱり私と沐沐の前だけなんだわ」

 秦雪玲は拳を口元に寄せて笑う。弟の話をするのが好きなのだろう。その顔は仕事をしている時よりも柔らかかった。宁麗文はそれを見てより一層彼の気持ちが分かった。

 (あいつ、すごく愛されているんだな)

 その後に宁麗文に手招きをして「少し来てほしいの」と言った。宁麗文は彼女に着いていってふと廊下の外側を見る。その日は冬に近い気温で、既に冷え始めていた。しかし、この邸宅だけはずっと暖かい。宁麗文が不思議に思っていると秦雪玲が「どうしたの?」と首を傾げた。

 「いえ。今日は冷えると思っていたのに、暖かいと思って」

 「ああ、これはね。膳無全体に快適な温度を調整して掛けているのよ」

 「術ですか?」

 秦雪玲は頷く。

 「秋都漢氏……沐沐の住んでいるところの壁があるお陰でより頑丈になったわ。だから雪が降っても寒くなんてならないの。あなたのところはどう? 寒いのかしら」

 「そうですね、寒いです。ここよりも寒いけど、他のところよりかはまだマシかもしれません」

 秦雪玲はまた笑って歩き、少しほどして露台に着く。秦雪玲は露台の先に腰掛け、宁麗文も彼女と同じように座った。

 「小麗から私が嫁ぐことは聞いた?」

 「聞きました」

 「どこに嫁ぐかは?」

 宁麗文は首を横に振る。秦雪玲は弱々しく口元を上げる。

 「琳玩龔氏よ」

 宁麗文は驚いて彼女を見た。秦雪玲は分かっていたと言わんばかりに露台にぶら下がる自分の脚を見る。

 「政略結婚っていうのかしら。お父さんと龔宗主が話し合って決めたの」

 「琳玩龔氏の息子は確か、龔飛龍キョウフェイロンでしたよね」

 「ええ。でも、彼の顔は見たことないの。顔も声も知らないまま結婚するのよ」

 秦雪玲は宁麗文に目もくれずただ前を向く。彼女の目の先は遠くに広がる草原だった。そこは暗くて何も見えない。それは彼女が思う、これからの不安な人生を意味していた。その深い青は酷く落ち込んでいるように見える。宁麗文は瞼を一度だけ瞬いた。

 「そうなんですね。秦麗孝はそれをどう思っているんですか?」

 「ふふ、やっぱりね、嫌だって。私が嫁ぐのは嫌なんだって」

 秦雪玲の顔が俯く。背中を少し丸めて露台にぶら下げた脚を軽く振った。ゆらゆらと振ってまた動きを止める。

 「あの子ね、いつまでも私の元にいるのよ。私が結婚するんだから、少しぐらい姉離れしてくれたっていいんだけど……でもね、無理よね。私も嫌なの」

 宁麗文は何も言わなかった。

 「今までここで生まれて育ってきたのに、急に知らない場所に嫁ぐのよ。牛も羊たちも、暖かいこの空気も小麗たちもいない……私の知らない場所に行かなくちゃいけないの。そんなの、怖いでしょう」

 「……」

 「ふふ、だからね、私も嫌なの」

 秦雪玲は一つ息を吐いた。

 「……私ね、毎朝あの子の髪の毛を編んでるのよ。今日も元気にいられますようにって、願いを込めて編んでる。私がいなくなったら誰があの子の髪の毛を編んでくれるのかな……」

 彼女の言葉は段々と小さくなり、最後はやや掠れていた。秦雪玲は顔を上げて苦笑しながら「しんみりさせちゃったね」と謝る。宁麗文はそれにゆっくりと首を横に振った。

 「私にも一緒に暮らしている女の子がいるんです。その子は私と兄上にだけ本当の自分を出してくれて。怒る時はしっかり怒ってくるけど、慰めてくれる時はちゃんと慰めてくれて……」

 宁麗文はそこで口を噤む。

 青鈴は琳玩の生まれだ。彼女の琳玩での生き方は知らない。けれど、彼女は今は江陵に住んでいる。もし、青鈴も嫁ぐことになるならば、彼女はどこへ嫁ぐのだろうか。宁麗文は目の前の秦雪玲の話を聞いてそう思い始めてしまった。

 秦雪玲は瞼を一回閉じて開く。宁麗文は優しく微笑んだ。

 「青鈴は……あの子はあなたの嫁ぐ先の生まれなんです。でも、色々あってうちで暮らしてます」

 秦雪玲は小さく声を漏らす。

 「あの子の記憶は多分、江陵で暮らしている時の記憶しかないけど……あなたの話を聞いて、私も、あの子が嫁いだらきっと……淋しくなるなって思いました」

 「全然関係ない話しちゃってすみません」と頬を指で掻きながら謝る。彼女は口角を上げて頭を振って「楽しかったからいいわ」と返す。

 「明日は小麗から聞いてみて。多分だけど、あの子ね。不機嫌になっちゃうかも」

 「自分で言っちゃうんですか……」

 「ふふ」

 秦雪玲は立ち上がって彼を見下ろす。宁麗文も立ち上がって彼女を代わりに見下ろした。

 「もう夜も遅くなるわ。早く案内するわね」

 宁麗文は頷いて歩き始める彼女の後を追った。

 客室に通されて秦雪玲と別れた宁麗文は後ろ手で戸を閉める。点火符で卓の上の燭台のろうそくに火を点けた。ぼんやりと柔らかい光が宁麗文を写していた。

 外衣を脱いで屏風に掛けて寝台に腰掛ける。髪飾りを外してそれを卓に置き、着替えを済ませる。その間に秦姉弟のことを考えていた。

 (あんなに仲のいい姉弟は初めて見たな。秦麗孝は最初は嫌な奴だと思ってたけど、蓋を開けてみれば憎めない奴だったし……秦雪玲さんが心配するのも分かる気がする)

 宁麗文は一つ息を吐いて窓を見る。窓には白い紙が貼られていて火の光で柔らかい橙色に染まっていた。ぼんやりとその火を見て青鈴を思い出す。

 (青鈴もいつか、お嫁さんに行っちゃうのかな)

 嬉しいことだけれど、それでもどこか淋しい。元々の生まれは違うけれど、共に生きた仲で、宁麗文のたった一人の理解者なのだ。彼女の代わりになる理解者など、どこにいるだろうか。

 実際、青鈴がいなければ耐えられないこともあった。今以上に感情を覚えることもなかっただろうし、宁雲嵐の他に感情を出せずに苦しむこともあっただろう。それほどまでに宁麗文の中での青鈴は大切な存在なのだ。

 (行ってほしくないなぁ……)

 また息を吐いてからろうそくの火を手で強く扇いで消す。暗くなった部屋の中で布団の中に潜り込んで瞼を閉じた。

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