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護誓散華  作者: くじゃく
始まりの君
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一 宁麗文という男(4)

 ──翌日の朝。宁麗文は銅鑼どらのような轟音で目が覚めて飛び上がる。寝台から転げ落ちてほふく前進をして戸に手をかけて少しだけ開ける。普段は鳥のさえずりが彼を起こすのだが、今日に限って目がはっきりと醒めるような音が鳴ってしまうのは驚くのも無理はない。

 戸を細く開けたその奥には晴れた太陽の下で宁雲嵐が鍛錬をしていた。

 (兄上? なんで兄上がここで鍛錬なんかしてるんだ?)

 宁雲嵐は宁氏の中でも霊力も武力も高い。だから邸宅から離れた場所にある草原で鍛錬をしている。それは周りに迷惑を掛けないように、そして万が一何かを壊した際の破片や瓦礫が飛ばないようにと配慮をしているのだ。本来なら代々受け継がれている修練場はあるのだが、歴代の修士とは段違いの能力を持っている彼の体躯ではもの足りず、そして過去に一部破損をした形跡を残した事例があったのでわざわざ草原で鍛錬をしているのだ。

 それが今は、どういうわけか狭い邸宅の中庭で鍛錬をしている。当然の如く霊力も使っているので、部屋と部屋を繋ぐ廊下も一部破損している。宁麗文は呆れて顔を片手で覆い、立ち上がって戸を開けて外へ一歩踏んだ。

 「兄上」

 宁麗文に名前を呼ばれた宁雲嵐は額に流れる汗を腕で拭いながら顔を上げた。

 「おお、麗文。おはよう。どうした?」

 「どうしたじゃないよ。なんでここで鍛錬してるんだ?」

 宁雲嵐は笑いながら鞘に納めた自身の剣──『豪静ごうせい』を肩に掛ける。

 「別に、ここでやりたいと思ったから」

 「……そこ、壊れてるの見える?」

 「ははっ、見えるな」

 宁麗文はまた呆れて寝直そうと無名に入る。宁雲嵐に名前を呼ばれまた振り返れば今度は真剣な眼で彼を見ていた。

 「本当に行きたいのか」

 その言葉に宁麗文は溜息をついて嫌そうな顔をする。

 「……行かせてくれないんだろ、どうせ」

 「行かせてやるよ、どうせ」

 「えっ?」

 宁麗文は呆気に取られ、我に返って慌ただしく中庭へ足を踏み入れる。一歩階段を踏み外して尻から着地した。痛さに顔を顰めながらも起き上がって「ほん、っ本当に⁈」と目を輝かせる。

 「ああ。父上にはもう言った。というか説得した」

 「説得って」

 宁雲嵐は彼の腕を引っ張って起こす。宁麗文は中庭の砂利を払って服を正す。どういうわけか、昨夜のうちに宁雲嵐は宁浩然に一言つけ加えたらしい。自分が調査に向かうのはいいが、一目だけでも宁麗文に外の世界に触れさせてはどうか。それは今後の世長会にも繋がることでもあるし、彼自身の経験の糧にもなる。そういった旨の理由を言葉巧みに話し、最初は頑なに譲らなかった宁浩然がとうとう折れたのだという。深緑にも話をつけたが、それまでに紆余曲折うよきょくせつを経たという。

 「母上はなんて?」

 「『それでもし阿麗の身に何かがあったらどうするの。それこそ、遠い場所に行って戻ることも叶わなかったらあなたはどう責任を取れるの?』だってさ。いい加減自分たちがお前の首を絞めてるって気付いてくれなきゃ、お前の気が狂うだろ。それに……俺が責任を持たなきゃいけないって。どれだけ荷が重いのかって分かんねえかな……」

 宁雲嵐は溜息をついて豪静の剣先を地面に突き刺す。宁麗文は苦笑を浮かべながら「本当にね」とだけ返した。

 「そんなわけだから、今日からお前を鍛える。場所は……修練場がいいんだが、俺がまた壊しちまったら面倒だからな。いつものところでやるぞ」

 「うん、分かった。けど、剣をもらってから全く磨いてないから……まずはそこからかも」

 「磨いてないぃ?」

 宁麗文の言葉に宁雲嵐は眉を顰める。修士たるもの、剣を磨くことは必須であり、それ即ち修士としての志を心に留めていないという証拠になる。いざという時に刃が脆くなっては戦えることすら極めて困難なのだ。なので日頃から最低でもたった一盞茶いっさんちゃ【約十五分】間は磨かなければならない。宁麗文はそれを理解をしているが、どうにも他のことで中々手がつけられずにいて、そのまま数週間も放ったらかしにしてしまっていたのだ。

 「流石にダメだよな。磨きたくても母上と父上が鍛錬をさせたがらないから……」

 「言い訳はなしだ。今から剣を持ってこい」

 宁雲嵐は彼の肩を持ち、そのまま背中を向けさせて突き放すように押す。それに宁麗文はまたよろけてしまい、膝から転んでしまった。

 再び中庭に戻ってきた宁麗文は服装を簡素なものしておき、剣──『祓邪ふつじゃ』を片手に持ってきた。宁雲嵐は磨く用の布を彼に押しつけ、そのまま邸宅から離れた草原に連れて行く。

 宁雲嵐は懐に忍ばせた黄色の札を取り出して霊力を込める。するとその札は瞬く間に二人とその周りを半円状にして包み上げた。

 「兄上、これは?」

 宁麗文は見たこともない術に困惑していると、宁雲嵐が「壁を作ったんだよ」と返す。

 「万が一、何かが起こったときに被害が出ないようにな」

 「そりゃそうか」

 宁麗文はその場で座って祓邪を布で磨き始める。宁雲嵐はそれを気にせずに素振りを始めた。半時辰はんじしん【約一時間】したぐらいにようやく磨き終えた剣を持ち、宁雲嵐に声を掛ける。宁雲嵐は掌から霊力を出して草花に近づける。それに青白い光が宿ればたちまち草花から人が現れた。いや、人型の修士が的確だろう。宁麗文はその光景に唾を飲む。

 (これは……『擬人術ぎじんじゅつ』か!? いつ修得したんだ?)

 『擬人術』というのは、万が一自分に危機が及んだ時に使われる術だ。近くにある土や草など、敵から攻撃を阻むためなら何でも使えるものなのだ。ただ、霊力を多く消費するのであまり使う者はいない。宁雲嵐の場合は自身の鍛錬のために使う。

 「麗文。何を突っ立ってる。もう始まってるぞ」

 「は、え!?」

 宁麗文は慌てながら両手で祓邪を構えて迫りくる疑似修士の剣先を見つめる。それの剣がまっすぐに彼を突くように突進する!

 幸いにも彼は祓邪でその攻撃を受け止めたが、緊迫した表情で疑似修士の力に押し負けないように踏ん張っている。

 (普通、型から入るはずだろ!? なんでいきなり実戦から始まるんだよ……っ!)

 目に戸惑いを浮かべながらその攻撃を下に受け流し、先程の衝撃でよろめく身体に危機を覚えたからか、彼はそのまま前のめりに倒れてしまった。次の攻撃が来ないままうつ伏せになると足で草花を掻き分ける音が聞こえたと同時に「おい」と宁雲嵐が上から声を掛ける。

 「なんで一撃目からへばってるんだ」

 「仕方ないだろ!? 普通は実戦から入らないよ!」

 宁麗文は勢いよく顔を上げて抗議する。その顔には昨夜の雨で湿っていたからか泥もついていた。手に力を込めて先に上半身を、そして片膝を立ててそれに手を置いて脚を立たせる。ついてしまった泥を袖で拭い身体についたものも払う。草の上に落ちた祓邪を拾って湿った剣先を軽く振って払った。

 「そうだったか?」

 「そうだよ。覚えてないの?」

 「覚えてない。父上に教わったのも随分前だからな」

 宁麗文の心の中はほとほと呆れ果て、空を見上げながら長い溜息をついた。そんな彼を前にした宁雲嵐は指を鳴らして疑似修士を崩して、豪静を鞘から引き抜いて上に飛ばす。すると彼らを包んでいた結界が瞬く間に破れ、それまで聞こえなかった自然の音が耳に飛び込んだ。

 「父上のところに行こう。俺と一戦交えるより基礎を学んでからにするか」

 「最初からそうすればよかっただろ……」

 そして二人は宁浩然のいる書室へ向かって彼を訪ねる。宁雲嵐はまた彼に説得を仕掛けると、最初は嫌な顔をしていた宁浩然だったが、段々と諦めがついたようで自ら基礎を宁麗文に説き始めた。江陵宁氏の型は至って簡単なものであり、また、宁麗文は元より飲み込みが早かった。まだ不慣れではあるが彼の腕は確実に上達していくものに時間は掛からず、宁雲嵐の疑似術で呼び寄せた人型の疑似修士と刃を交え始めることも早かった。宁雲嵐は「これぐらいしてくれないと俺の弟じゃない」などと得意げに発言し、宁麗文は彼のその様子を見て呆れながら鍛錬していた。

 また、同時に仙術の修練も始め、これについては以前江陵宁氏に仕えていた術師に頼み込んで再度修得した。その間は当然の如く調査に出向かうことは叶わないので、彼がある程度の能力を修め即戦力になった頃に参加すると約束をつけた。宁麗文は兄と同じ気質を持っていたようで、わずか半年後に金丹を修めることとなった。しかしながら、通常よりありえない速度での結丹だったので、ある人にはいささか不思議なこともあるもんだと首を傾げている者もいた。だが、これには両親は顔を手で覆うほどの落胆を見せてはいたが、当の本人と宁雲嵐、青鈴は大いに喜んで夜に江陵宁氏の子供たちで小さな宴を始めるほどだった。

 「やっとだね、麗文」

 青鈴は片手に彼女が作った肉団子の汁物を卓に置いて席に座る。宁麗文も頷いて「やっとだ」と嬉しそうに微笑む。

 「皆より遅くなったけど、でもちゃんと結丹できた。二人には感謝してもしきれないよ」

 「何を言ってるんだ? 俺たちは何もしてないぞ」

 宁雲嵐と青鈴は互いに目を見合わせて瞬きをする。宁麗文はその様子に小さく噴き出した。

 「ううん、見守ってくれたじゃないか。兄上は擬似修士で私を鍛えてくれたし、青鈴は私が術式に困ったときに作ってくれた杏仁豆腐を持ってきて励ましてくれた。この上ない激励だ」

 彼の笑う姿に宁雲嵐と青鈴の二人は気恥ずかしさを感じてどういう顔をすればいいか分からなかったが、宁麗文が結丹をしたという事実には心の底から本人のように嬉しいと感じていた。宁雲嵐は肉団子の汁物を宁麗文の椀によそって彼の前に置く。宁麗文は兄を見ると、彼は口角を上げたまま顎で椀を指した。

 「いらないのか?」

 よそわれて具いっぱいになった椀と彼の目を交互に見て、椀と湯匙を手に取って口に頬張り始める。まだ汁が熱すぎたからか何度かむせて涙目になってしまったが、それでも口に入れ続けた。

 「焦んなよ。まだ沢山あるんだぞ」

 「うん、うん……」

 「さ、あたしたちも食べよ。まだまだご飯は用意してあるわよ、覚悟しなさい」

 青鈴も綻ばせた口で箸を手に取ってよく蒸したもち米を食べ始める。宁雲嵐も汁物とは違う、鹿肉の塩焼きを豪快にかじる。そうして三人は会話を繰り広げながら酒を飲み、飯を食らい、大人たちが怒ろうと怒れない小さな宴を楽しんだ。それが始まったのが戌の刻【十九時から二十一時】からであり、刻一刻と時間を気にしなかったため、気付けば既に子の刻【二十三時から一時】を回っていた。青鈴は空の椀を前にして卓に頭を突っ伏して寝ており、宁雲嵐はまだ残っている酒の瓶の口を指で摘まんだまま盃をあおる。宁麗文は彼らのその姿を見て、宁雲嵐からもらった盃の中に視線を移す。まだわずかしか飲んでいないやや辛口の酒に彼の姿が浮かんでいる。宁麗文はこれまで酒を飲んだことがなく、如何いかなる家宴に出席しても一滴すら恵まれなかった。それが今、手元にあることが彼の喜ばしいことであり、またなくなってしまうもったいなさが彼の中に入っていた。

 「どーした、麗文。飲まないのかぁ?」

 宁雲嵐が中々飲まない彼に気付いて催促をする。宁麗文は首を小さく横に振るが「そうじゃないんだ」と口を開く。

 「今まで願っても叶わなかったものがここにあるのが……嬉しくて。この楽しみをなくしたくないんだ。もうちょっとこのままでもいさせてくれないかな」

 「……いいよ」

 盃に最後の一滴まで注いで空になった酒瓶を音もなく置く。宁雲嵐は肘をついて弟の盃に自分の盃を軽く当てる。かつんと音の鳴った二杯の小さな盃の中は波立って二人の姿を揺らした。

 「記念だからな。たまにはいいだろ、どうせ父上と母上は何も言わないさ」

 「言わないっていうか言えない、だよね」

 「間違いない」

 二人は笑い合い、またお互いに盃を合わせて心ゆくまで晩酌を楽しんだ。

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