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護誓散華  作者: くじゃく
花の想い話
32/220

十 綻び(3)

 服を着替える前に沐浴をしろだの汚いだのと宁雲嵐から散々なことを言われたので、宁麗文は頭にきながら嚢を持って外へ出る。人がいないかうろうろしながら大通りを巡っていくと、ちょうどもう少しで再建が終わりそうな店に手をつけている可馨を見つけた。しばらく聞こうか躊躇っていたが、時間がないので勇気を出して彼女に声を掛ける。可馨はこめかみに流れる汗を手の甲で拭きながら宁麗文に顔を向けた。 

 「この辺りに沐浴ができそうな場所はありますか?」

 「ああ、あの山の中にあります。よろしければ中まで案内しましょうか?」

 宁麗文は顔を明るく輝かせて「ありがとうございます、お願いします」と礼を述べる。

 これまでの半年もの間、宁麗文は畑や民家の修復に追われていた。もちろん住民たちが彼より重労働なのだが、彼女たちがまともに動けるまでは宁麗文と唐秀英の二人がせっせと動いていたのだ。唐秀英は度々伝達術で依頼をして取りに行き、その間に宁麗文は修復などの復興作業に勤しむ。そうするうちに彼だけがより土や埃まみれになってしまい、貴重な水を使わせては申し訳ないと心の中で思いながら日々を過ごしていたのだ。結局は身体を拭くための布に含ませる水と洗顔のための水をもらうことになったが、それでも彼の心の中は申し訳なさでいっぱいだった。住民や同じように汚い格好になりきってしまっている唐秀英はとうの前に鼻が慣れきってしまい、宁麗文も汗だくで働く彼女たちの臭いにも鼻が慣れきっている。復興というやむを得ない状況でも致しがたないものではあるが、これを他の町の住民が見たらどう思うだろう。

 宁雲嵐が来たときには宁麗文は汗やら土やらと様々な臭いを身体から発していて、とてもよい気分ではなかった。しかし、弟のいる手前で鼻を摘む行為は死にたくなるほど臭い、という印象を与えかねなかったので摘まなかったのだ。そのお陰だろうか、宁麗文は自分がどれだけ臭いのかも分からずに過ごしていた。

 可馨に連れられて山の中に入る。人里とは違う澄んだ自然の空気を吸い込んで深く吐いた。宁麗文は「ここは綺麗ですね」と言う。

 「はい。本当に昔から綺麗な場所なんです。たまに嫌なことがあったらここに入って……お恥ずかしい話ですけど、泣きながら木を殴ったりもしてました」

 可馨は頬を少し赤らめながら話し、宁麗文を見ることができなかった。宁麗文はその話に少し噴き出して笑った。

 「なんだ、私と似たようなことをしてるんですね」

 「えっ?」

 「私も嫌なことがあれば、家にある大木の下で泣いているんです。大木から流れる葉の音が心地よくて……気が付いたら涙が止まってなんで泣いてたかも忘れちゃってるんです……」

 宁麗文は、はっ、と自分の言動に振り返り、「何か余計なことを言わなかったか!?」と顔を青ざめながらおそるおそる彼女を見る。可馨はようやく宁麗文の顔を見て、先程の彼と同じように噴き出した。宁麗文は気恥ずかしさのあまり嚢を持っていない方の手を振りながら話題を変える。

 「ああそうだ。可馨さんは紅花さんとすごく仲がいいみたいですが、昔からの馴染みなんですか?」

 可馨は宁麗文の言葉に頷く。

 「はい。と言っても最初から馴染みがあったわけではありません。私は違う町からここに越してきて、ちょうど同じ歳の紅花と会っただけなんです。私には叔母が、そして紅花には父親がいました。叔母が数年前に病死してしまってからは一人で……その時に紅花が助けてくれたんです。そこから仲よくなって。よく花遊びをしたり、紅花の父親の仕事の手伝いをしていました」

 そこから可馨の顔に陰りが見える。宁麗文は彼女の声の調子が下がっていることに気付く。

 「……紅花の父親は、一番最初に連れ去られてしまった人なんです。当時の状況はよく分かりません。家に行ったら紅花だけがいて、中は荒らされていました。どうしたのって声を掛けても何も応えてくれなくて……今はあんな風に元気でいられていますけど、たまに心配なんです」

 「心配とは?」

 「紅花は……敏お爺さんをよく見ていました。それも……睨んでいるような。私は何も言わないし、言えないんです。聞けなくて……多分、聞いてはいけない何かがあるんだと思います」

 「そう、ですか……」

 ではあの日、敏の葬式を開いた時の紅花はなぜ泣いていたのだろう? 少なからず彼に情の一つや二つは湧いていたのかもしれない。宁麗文は心の中で自問自答をするだけで、特に彼女に聞くことはしなかった。可馨は陰りを見せていた顔を切り替えて「もう少しで着きます」と宁麗文に微笑んだ。

 少し歩いた場所に大きな池があった。その中の水は山の恵みのお陰で無色透明であり、底にある岩が淀みなく見える。可馨は膝を地面につけて水の状態を確認する。

 「ここがいつも沐浴している場所です。寒くなる時期には入りませんが、今日は……うん、大丈夫だと思います」

 「ありがとうございます。こんなに綺麗な場所は初めて見ました。いつ頃からあるんですか?」

 「私たちが生まれる前から……敏お爺さんが作ったのだと聞いています」

 「そうなんですね。彼はすごく器用な人だ」

 宁麗文の言葉に可馨はにっこりと微笑む。「冷たい水で申し訳ございません」と宁麗文に話すが、彼は首を横に振った。

 「身を清められる場所なら水でも構いません。本当にありがとうございます」

 可馨の前で腰を折り彼女を町へ帰す。そして宁麗文は池のほとりに嚢を置いて水の中に手を入れて冷たさを確認した。

 (うん、このぐらいなら大丈夫だ)

 今の時期は夏になる前の春になる。日中は暖かく感じられるが、明朝や夜になるとめっきり冷え込む。なので沐浴をするには日中でなければ寒い思いをするだろう。幸いなことに、この山は不思議と温もりがあって寒いという感想はなかった。

 宁麗文は汚れきって白い部分が見えなくなった服を脱いで丁寧に畳み、足から池の中へ入った。手で触れた時とは違う冷たさが身を縮こませたが、それに慣れてしまえば快適だった。

 (でも、本当に綺麗だな。山の中で沐浴できるなんて贅沢だ)

 今までは家でしか沐浴を済ませたことがなかったので、自然の中で身も心も落ち着けるような沐浴は初めてだった。宁麗文は瞼を閉じて小鳥の囀りや木々の葉の擦れる音を聴く。池の中でまともに洗えず脂ぎっている髪を懸命に流し、可馨からもらった穀物のとぎ汁で洗髪する。みるみるうちに汚れがなくなっていき、身体が軽くなる感覚に感動していた。彼は家での沐浴に慣れてしまい、常に綺麗で清潔感もある姿が普通だった。それが半年もの間で汚れを拭き取る程度ではさっぱりとできず、今こうやってとぎ汁で洗髪なり身体を洗うなりしてようやく元に戻ることができた。これが感動でないなら他に何の言葉が当てはまるだろうか。

 池が宁麗文から出た汗や汚れで濁っていくと、彼の起こした波がほとりを越えて濡らしていく。水は山から流れてくる源泉からではあるが、それは人里までに流れてはこなかった。おそらく住民たちが畑、飲料水、沐浴、排泄のための水と利用を細かく分けていたのだろう。ある程度汚れがほとりを濡らして流れていった頃にまた新しい水が宁麗文を包む。しばらく手で水で遊んでいたり、髪を何度も梳いたりして、ふと餓蝗を思い出す。

 (なんであの夜だけ現れたんだろう。しかもひと塊だけだった。どこかに巣があるんだろうけど、でも、違和感があるんだよな。何か見落としてる……。手掛かりを探しても別にこれといったものもなかったし、結局唐公子と色々と考えてはみたけど分からずじまいだったし……町の中にも原因があるわけでもなさそうだった。だったら何が原因なんだろう)

 宁麗文は腕を組み、薄目で流れる水を見る。ゆっくりと水の流れを観察していると、水底に何かが沈んでいるのを見つける。

 (なんだこれ?)

 それは白くて小さいものだった。それも何個か沈んでいて、全てがほぼ同じ形と大きさだった。しかし所々凹みや欠けがあり、丸くはない。真珠なのかと思ったが、それにしては輝きが足りない。

 (なんかの装飾品が壊れたとか? でも、あの町に装飾品とかってあったっけ)

 宁麗文は首を傾げながら、それをほとりに置いて池から上がった。

 嚢から新しい服を取り出して水分を払いながら着替える。髪を絞って水を吐き出し、梳いてから結い上げて普段着けている髪飾りで留めた。息をいくらか吸って吐き、汚れた服を嚢に仕舞う。

 「うん、行こう」

 宁麗文は山から降りて町の入口へ向かった。そこには他の住民に沐浴ができる場所を教えてもらったのだろう、同じく身を清めた唐秀英と、彼らを待っていた宁雲嵐が眉を上げながら立っていた。

 「汚れは全部落とせたか?」

 「当たり前だろ。でないと服が着れない」

 「臭いも消えたみたいだな」

 宁麗文は「えっ」と愕然とする。宁雲嵐は口元を片方引き上げて笑った。唐秀英に顔を向けると彼も宁麗文と同じだったらしく、自分の腕や胸元の臭いを嗅いでいた。宁麗文は顔が熱くなっていくのを感じながら、わなわなと唇を震わせる。今まで自分が汗だくになり、土にまみれながらも労働をしていたのに、周りの人間から臭いについて指摘されてこなかったのだ。ここに来てようやく自分がいかに臭かったのかを思い知らされてしまった。宁麗文の中には羞恥と屈辱が混ざり合い、泣きそうになる赤い顔で宁雲嵐を睨みつけた。

 「臭かったんなら最初から言えよ‼︎」

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