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護誓散華  作者: くじゃく
花の想い話
27/220

九 柔らかい橙(1)

 翌日の朝。結局昨夜は風呂桶が見つからず、また濡らした布で身体と髪を拭いて水で顔を洗った。これだけでも割とすっきりとするが、何となく心の中は晴れない。宁麗文は濡らした顔のままがっくりと肩を落としていた。いつになったら沐浴ができるんだと切望しながら日々を過ごしていた。

 宁麗文は残りわずかな日数の中でもまだ煎じた茶を飲む。茶壺の中身は朝に紅花が追加してくれるので、彼はそのまま飲むだけだった。そのお陰なのか、最初は死ぬほど痛かった腰痛も段々と痛みが和らいでいく。宁麗文はその実感が湧くに連れて心の中で喜びの波に乗っていた。

 空き家から出ると唐秀英が籠を持って移動している途中だった。彼が宁麗文を見つけるとすぐに駆け寄る。

 「腰の状態はどうですか?」

 宁麗文は腰を軽く擦ってから少し微笑む。

 「もう大体よくなってきてます。この前のはごめんなさい……その……気付かなくて……」

 申し訳なさを顔に出しながら謝る宁麗文を見て、彼は噴き出して笑った。

 「いいんですよ。僕も声を掛ける機会を間違えていたみたいですし。それにもう終わったことです。切り替えていきましょう!」

 「……唐公子ってたまに眩しいって言われたことありませんか?」

 「どういうことですか?」

 宁麗文は浅い笑いを浮かべながら「いえ、なんでも」と返す。唐秀英にこれからどこへ行くのかを聞くと、収穫の時期が迫ってきたと言うのでそのまま畑に向かわせた。

 (そりゃあ半年も経てば野菜も実るか)

 宁麗文は畑へ向かっていく唐秀英を見送り、逆の大通りの方向へ向かった。

 

 大通りも最初は荒廃としていたが、宁麗文と唐秀英がガラクタをある程度回収し、住民たちに力がつけば共に店の改修を始めていた。そのお陰で今日に至るまでに全体のほぼ八割ほどが修繕済みとなっていた。

 宁麗文が向かう先はこの町で一番大きい店だ。この店は昔からあったらしく、住民たちに長く愛されてきていたらしい。店主はとうの昔に亡くなっていて、今は息子が経営していると聞いていたが、その息子も誘拐されてしまっている。つまるところ、誰も経営をする者がいないのだ。そのせいでろくに掃除もできず、商品も腐りきってしまった。住民たちはこの店をもう一度支えたいとの思いで特に力を入れていたのだ。

 その店まで向かう途中に「麗兄ちゃん!」と小さい子供の声が後ろからした。振り返れば七歳ほどの少年が宁麗文の足にしがみつく。

 「阿晴」

 宁麗文は阿晴の脇の下に手を入れて抱き上げる。阿晴はそれを気に入っているのか、無邪気に笑いながら宁麗文の首に小さな腕を回した。

 「兄ちゃん、今日は遊んでくれないの?」

 「うん、今日はお店を直さなくちゃいけないから。終わったら一緒に遊ぶよ」

 阿晴は不満げに唇を尖らせる。それを見た宁麗文は苦笑するしかなかった。

 阿晴という少年は、この町に来た初日に宁麗文が最初に見つけた。五歳ほどだと思っていたが、あまりにもやせ細っていて実年齢よりも若く見えてしまっていたようだった。その時に一緒にいた老人は既に亡くなっており、彼はその亡骸に身を寄せていたのだ。他に家族がいるのかを聞くとどうやら父しかおらず、母と姉はいたが阿晴に食糧をあげ続けた結果、飢餓で亡くなってしまったらしい。そして父は誘拐されてしまった。宁麗文たちに見つけてもらっていなければ、彼の命はもうなかっただろう。

 もちろん阿晴の他に阿藍アーランという人見知りで恥ずかしがり屋の少女や、阿翠アースイという可馨と紅花より下の少女もいるが、彼女たちは自分たちの母の手伝いをしている。この町で唯一の男児である阿晴だけが何もしていないので暇なままなのだ。

 宁麗文は阿晴を抱えたまま大通りへ向かって店に到着する。既に内装に手を付けている者がいたので、阿晴を一旦下ろしてから中に入る。彼も宁麗文に続いて中に入った。

 内装に手をつけていたのは四、五人ほどで中に可馨もいる。可馨と紅花はそれぞれ別に行動しているらしく、畑仕事と改修仕事へと交互に交代している。なのでここに可馨がいるということは畑には紅花がいるということになる。

 可馨が振り返って宁麗文に気付く。そして視線を斜め下に落とすと阿晴がいることにも気付き「阿晴。また宁公子に遊んでもらおうって思ってたの?」と優しく聞いた。

 「うん、だって暇そうだから」

 「ひ、暇そうだから……」

 彼の言葉に宁麗文は唐暁明から言われた「暇そうだったから」を思い出して自分の胸を強く握った。

 そんなに暇そうに見えるのか!? そんなに怠けているのか私は!?

 と泣きながら問い質したいところだが、相手は子供なので流石に我慢した。

 「もう、そんなこと言っちゃダメよ。宁公子が傷付くでしょ。ほら、苑おばちゃんのところに行ってきなさい」

 「分かった!」

 阿晴は元気に答えて宁麗文に顔を向ける。宁麗文はやや半泣きの顔を向けると、阿晴はまた笑顔になった。

 「麗兄ちゃんも、お仕事が終わったら僕と遊んでね!」

 「うん、分かったよ。ほら行ってきな」

 しゃがみこんで阿晴の頭を軽く撫でて背中を少し叩く。彼はそのまま広場にいる苑へ向かっていった。立ち上がると可馨が少し笑った。

 「宁公子、実はちょっと傷付いてました?」

 「う……」

 どうやら彼女には分かられていたようだ。宁麗文は少し恥ずかしくなって顔を逸らした。

 可馨に手の届かない場所の商品を取ってほしいと頼まれた宁麗文は腕をまくって商品を一個ずつ取っていく。それを廃棄するための籠に入れて他の住民が広場まで持っていく。店自体が大きいので天井に届くまでの棚がびっしりと壁に建てつけられているのだ。梯子は既に壊れていて使えないし、宁麗文と似た身長の住民もいない。そうなれば彼がこの中での救世主となるだろう。……それでも取れない商品は諦めたのだが。

 「ここってもしかして、漢方薬局ですか?」

 古びた瓶を持って籠に入れていく宁麗文の言葉に可馨が瞬きをする。

 「はい、そうです。よく分かりましたね?」

 「ちょっと前に江陵で見かけたんです。確かこのお店と似た内装でした」

 「そうなんですか。江陵にもあるんですね……でもそっか、世家の中心と呼ばれるほどですから。何でも揃っているんでしたね」

 宁麗文は口元を上げて頷く。

 彼が住んでいる江陵は可馨の言う通り『世家の中心』と呼ばれている。これは各世家からこぞって江陵へ店を出すこと、そしてそこで商売をして各世家への観光を促していることからそう名付けられていた。宁麗文は青天郷に足を踏み入れるまで知らなかったのだが、道行く人々が桂城の野菜がどうだの、膳無の肉がどうだの、北武の薬がどうだの……と様々な話を耳にしていたのだ。

 「お恥ずかしながら、うちの初代宗主はただの放浪人だったんです。元から場所を選ばずにずっと歩いてばかりだったんですが、いろんな人と触れ合っていくうちに様々な情報を手に入れてて。それから放浪の旅を終えて江陵に身を置いて、各地からいろんなお店を引っ張って今の形になったんです」

 宁麗文は頬を指で軽く掻きながら笑う。可馨は微笑んで「そうなんですね」とだけ言った。

 最後の取れる商品を取って宁麗文はそれを籠に乗せた。最後の籠は可馨が持って行って、彼は彼女に着いていく。店を出て振り返れば心なしかすっきりと見えていた。また足に軽い衝撃が起こって下を向くと阿晴が宁麗文の足にしがみついていた。その顔はとても笑顔で、宁麗文の仕事が終わるのをずっと心待ちにしていたようだ。

 宁麗文も微笑んで阿晴の前でしゃがみこむ。

 「仕事終わったよ。何して遊ぶ?」

 「追いかけっこ!」

 宁麗文は口元を綻ばせながら立ち上がった。阿晴は走り出して、宁麗文も小走りで彼の後を追っていく。この大変な中でも子供だけは無邪気に日々を謳歌するのだ。それを見る宁麗文たちはまだできると己を鼓舞して今日も生き続ける。そうして日々を過ごしていた。

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