番外編 酒肆の柳絮(4)
雨の一粒も、厚く覆う雲もない。地平線の向こうに行った太陽に照らされた月が綺麗に輝いて辺り一面を灯りのように照らしている。その光の下、食事処から出て近くの柳の幹にもたれている宁麗文が顔を俯かせていた。
「……はあ」
宁麗文は瞼を閉じて一つ息を吐く。
(初めて説教しちゃった。しかもあんなところで……)
後ろ手で柳の幹を押してその反動で身体を前後に揺らしてから両手で顔を覆う。泣きはしないが、それでも悔いと罪悪感と自己嫌悪が自分の背中へ付きまとってしまう。
(最低だ、私。あんなに言わなくてよかったのに。私が肖寧から離れるなんて絶対しないのに)
指同士の間から瞼を開けて地面を見る。月光によって足元も明るく見えて影もできている。その奥に自分を責める自分が見えた気がして、彼はまた瞼を閉じて両手を幹に戻してまた身体を揺らした。
「何してるんだよ」
呆れたように声を掛けられて顔を上げる。最後に一つ揺らしてから、目の前の人物に焦点を当てた。
「兄上」
宁雲嵐は呆れたように眉を顰めている。宁麗文はそれを見て瞼を閉じて開けてから目線を斜め下に向けた。
「木にもたれかかって揺らしてたら折れるだろ。今すぐやめろ」
「はぁい……」
溜息を吐いて柳から離れる。宁雲嵐は顎で方向を示してから身を翻した。特に着いて行かない理由などないので宁麗文もそのまま彼のあとを追う。食事処の壁に二人してもたれて、宁麗文は自分の尻の後ろに手を置いて壁につけ、宁雲嵐は腕を組んで片脚で壁を蹴るように置いた。
「反省してるか」
「してるよ」
宁雲嵐は顎を少し上げながら弟を見下ろす。その先の彼はまた顔を俯かせて少し屈んだ。
「……本当は、するつもりじゃなかったんだ。けど、肖寧はまだ洛陽肖氏から一線を引いてる。理由はあるけど、言ってほしくなさそうだから言わない」
「別に聞くとは言ってない」
「分かってるよ。けど言わないんだ」
宁雲嵐は目線をずらして頭を壁に置いて少し傾げて斜め上を見る。宁麗文はまだ顔を上げない。
「それのせいで肖寧は自己肯定感が低かったし、自傷癖もあった。今は私がいるからそれはなくなったけど、でも、肖明豪のことはまだ許してなさそうだったんだ」
「もしかしてさっきのか?」
「そうだよ。会話までは知らないけど、多分、あいつは肖寧に私たちじゃ分からない、酷いことを言ったんだと思う。その後に謝って……けど、肖寧は許せなくてそのまま自分と家族の間に線を引いた」
宁麗文はまた身体を前後に揺らしてから更に俯いた。
「……言わなきゃよかったな……」
そう呟く彼の心中は分からない。宁雲嵐はそう考えていながらも、なんとなく弟の考えていることを分かっていた。
「でも、お前が説教しなかったら。あの兄弟はずっと平行の関係のままだったろ」
「……」
「もしかしたら肖子涵殿は今よりももっと分厚い線を引いてた。お前との道しか歩かなかったと思う」
宁雲嵐は顔を正面に戻して目の前の、先程の宁麗文がもたれていた柳の木を見る。それは時折風に煽られて葉を揺らしていた。
「何かのきっかけがなかったら変わる未来なんてないんだ。ずっと平行のままで交わることなんて一切ない。そういうもんだ」
「……なんで兄上はそんなこと知ってるんだよ」
「お前より経験をたくさんしてるから」
宁麗文は顔を見上げて兄を見る。宁雲嵐は瞼を閉じて開いてから目だけで弟を見下ろした。
「お前は数年前まで外に出られなくて、家の中の世界しか知らなかった。でも今は少しずつ知ってきてるだろ。喜怒哀楽の全部までは分からないけど、それでも経験は積んできてるだろ」
「うん」
「今反省してるんなら、次に活かせばいい。自分の行動に責任を持つのはお前も同じなんだよ」
「分かってるよ……」
宁麗文は手に力を入れて壁から身を離す。壁についた埃を叩いて落として、宁雲嵐も蹴るように置いていた足と背中に力を入れて壁から離れる。
「肖子涵殿は今までのことに深く責任を負っていると思う。肖明豪のこともそうだが、彼の過去……生まれについても、ただの人間として産まれられなかったことに苦痛を感じてるだろうな」
「……肖寧は生まれのことは誇らしいって言ってた」
「そうか。ならそれ以降だ。自分の犯した罪を償い続けていただろうし、怨詛浄化だってほとんどひとりでやってきたようなもんなんだろ。だから自分を否定するようなことばかりしてきた」
宁麗文は頷く。宁雲嵐は微苦笑を浮かべながら腕を解いて弟の頭を優しく撫でた。
「でも、お前がいてからの彼は他人や自分を知るようになった。だから自分の兄貴に謝ることもできた。だから、お前と離れたくなくなってずっと寝間着姿のままで待っていた」
何度も頭を撫でて、頬を小さく摘んでから撫でる。宁麗文は兄の手に無意識に擦り寄る。宁雲嵐はそれを厭うことなどしない。
「人は経験をしたら、その分人生を知るもんだ。人を愛することを覚えたら、人を失くすことに恐れてしまう。何かに酷いことをしてしまったら、その何かに悔やんでいつまでも引きずってしまう。そういうもんだよ」
「……うん」
宁麗文は撫でられたまま視線を下に向けて小さく唇を尖らせる。宁雲嵐はそれに笑って顎をくすぐった。
「謝りに行くか?」
「行く」
「なら肖子涵殿を呼んでくる」
「いいよ。私が外に連れてく」
顔を上げて自分を見る宁麗文に、宁雲嵐は眉を上げてまた頭を撫でた。
「そうか」




