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護誓散華  作者: くじゃく
人間と邪祟
210/220

番外編 母の愛

母の夢を見た宁麗文の話

 ふと母を思い出した。

 柔らかく温かい手で髪を、頬を撫でてくれた。優しい声色で自分の名前を呼んでくれた。愛おしく見てくれる薄茶で自分を見てくれた。

 時々、夢に見る。

 夢の中の自分は小さく、母が大きく見える。今よりも小さい手で彼女の手を握って見上げていた。母はいつもと変わらない優しい笑みを浮かべて自分を呼ぶ。

 (お母さん)

 宁麗文は深緑の手を離して抱き着いた。小さい頃の自分は病に侵され続けてまともに母に抱かれることなど叶わなかった。けれど夢の中でなら幾分か叶えさせてくれた。

 しかし、それでも夢なのだ。幻なのだ。深緑はあの時、宁麗文を置いて逝ってしまった。最後まで『母』として息子を案じ、夫である宁浩然に憤りを見せていた。

 宁麗文は今でも悔やんでいた。兄と義妹に怪我を負わせ、母を目の前で失い、父を目の前で自害させてしまった。

 自分のせいで、皆が傷付いてしまった。

 自分のせいで、家を燃やしてしまった。

 自分のせいで、親を亡くしてしまった。

 (ごめんなさい……)

 宁麗文はずっと苦しかった。隣には肖子涵という愛する者がいても、もう両親はいない。彼には父がいるが、自分には二人がいなくなってしまった。それを肖子涵に悟らせることはしないが、それでも心ではぽっかりと穴が空いていた。

 「阿麗」

 深緑の優しい声が息子を呼ぶ。白く柔らかい手が頬を摩って髪を撫でる。

 「あなた、猫みたい」

 微苦笑を浮かべる彼女に頬を擦り寄せながら目を弧に描く。

 「本当に猫になったらどうしますか?」

 母は笑みを浮かべたまま自分を抱き締める。

 「猫でも、あなたを愛するわ」

 

 薄明かりの中でそっと瞼を開ける。鼻筋とこめかみに濡れた感触がして指で触れれば涙を流していることに気付いた。少し鼻をすすって瞬かせばまた流れていって身動ぎをする。

 「宁巴?」

 自分の胸元で身動いた彼に目を覚ました肖子涵はそっと名前を呼ぶ。ゆっくりと顔を上げる宁麗文の顔には涙が流れていて、それに目を丸くする。

 「どうしたんだ? また嫌な夢でも見た?」

 宁麗文は首を横に振って肖子涵の襟元を掴んで彼へ身体を寄せる。肖子涵は震える背中を摩って頭を撫でる。

 「お母さんの夢を見た」

 小さくぽつりと呟いてまた一粒敷布を濡らす。

 「夢の中の私は……小さくて。お母さんの手を握って、抱き締めてくれて……。『猫みたい』って言われたから、猫になったらどうするのって聞いたら……」

 また鼻をすする宁麗文は震えていて、肖子涵はゆっくりと瞬いてから彼を抱き締める。

 「『猫でも、あなたを愛するわ』って。……言ってくれた」

 「……そうか」

 宁麗文は頷いてまた身体を彼に寄せる。肖子涵は顔を上げてまた強く抱き締めて頭を撫でる。

 「肖寧」

 「うん?」

 「私、どうすれば、よかったんだろう」

 嗚咽を上げながら零す声は苦しげに聴こえた。

 「お母さんを目の前で殺されて……その前に、私が庇えばよかった」

 宁麗文の瞼の裏に背中を刺された深緑が浮かぶ。その表情は驚愕に満ちていて、そして死期を悟っていた。

 「なんで、お母さんは、死ななきゃいけなかったんだろう」

 「……分からない」

 肖子涵は閉関している間、深緑を犠牲の一人に選ばなかった。いや、選ぶ必要はないと考えていた。彼は宁浩然から宁麗文を遠ざけたいだけであって、その為の犠牲として選ぶには愚行だと考えてやらなかった。

 しかし現実は上手くは行かなかった。現に深緑は宁浩然の手によって殺され、そして宁浩然は自害して、全てを実の息子に着せた。

 過去はもう、変えられない。そのことは誰もが分かっている。

 肖子涵は宁麗文の頭を撫でながら瞼を伏せる。宁麗文は顔を上げることもせずに涙を流していく。

 「ごめんなさい……お母さん……ごめんなさい……」

 小さな子供のように泣きじゃくる彼の背中を撫で、頭を撫で、口元を薄茶の髪に近付ける。

 「あなたは悪くない」

 小さく呟いて身体を少し離してこめかみに流れる涙を拭う。

 「でも、夫人も悪くない」

 薄茶の双眸は瞬いて、そして伏せる。小さく頷いて触れられる手に擦り寄りながら鼻をすすった。

 「夫人はあなたを護りたいから護っただけ。あなたを本当に愛しているから、宁浩然から遠ざけただけ。だからそんなに自分を責めないで」

 「……うん……」

 「俺は母親からもらう愛情は分からないまま終わってしまったけれど。でも、あなたはそうじゃない。最初から愛をもらってここまで生きていけた。夫人はそれに喜んでる」

 肖子涵はまた彼を引き寄せて安心させるように微笑む。宁麗文も彼を見上げて、ぎこちないながらも笑みを浮かべた。

 

 瞼を閉じてうつらな夢へと入る。目を覚ませば自分は無名の寝台に寝転がっていて、頭に柔らかい感触と慣れきった匂いが鼻を掠めた。目の前は優しい緑があって、顔を天に向ければ自分とよく似た、優しい顔をしている母がいる。

 「阿麗」

 柔らかく名前を呼ぶ声は耳朶を食む。宁麗文はそれに懐かしさを感じた。

 「お母さん」

 頭の中に今までの、深緑との思い出が蘇る。

 病で外に出られずに淋しがっている時に、母から江陵宁氏の歴史を聞かされたこと。

 初めて見てしまった悪夢に泣いてしまって、母と共に寝たいと心の底から願ったこと。

 青鈴とぶつかったり、子供たち三人で盗み食いをしてこっぴどく怒られてしまったこと。

 怨詛浄化に行く時に何も言わないで出て、帰っても何も言わないでまた任務へ行ったこと。

 肖子涵との旅に出るために話をしに行って、旅をすると言った時に初めて流す母の涙を見た。

 時々華伝投の日に帰って見た、自分を心配する母の安堵をするあの表情を見て、心が安らいだ。

 久しぶりに見た酷い夢に心を壊され、流した涙の跡に気付いて、自分のようだと心配してくれた。

 肖子涵のことを聞けば嫉妬だったと、意外にも子供じみた理由だと恥ずかしそうに告げて謝られた。

 そして、母の前で泣いてしまったけれど、それでも母はそんな自分を抱き締めて幸せを願ってくれた。

 肖子涵とお揃いにした髪型を「似合ってる」と微笑んで褒めてくれて、嬉しくて、嬉しくて、嬉しくて。

 肖子涵と酷い別れをして、慰めてもらって、『母上』から『お母さん』と呼ばせてもらって、それだけでも。

 母の愛を、幼い子供の頃にできなかった、自分よりも小さく柔らかな手で、髪に、頬に、顎に触れたことも。

 肖子涵が好きだとおそるおそる告げて、顔を見れずにいたら幸せならどんな恋をしてもいいと励ましてくれた。

 

 そして。

 

 「お母さん」

 「どうしたの?」

 「あの時、なんで私を庇ったの」

 深緑は優しく、いつものように笑う。

 「私の愛する息子だからよ」

 小さくて柔らかい手で私の頬を撫でる。

 「あなたを護らないなんて、そんな酷い母がいるものですか」

 髪に触れて、空いた片手で頭を撫でる。

 「あなたを愛しているからこそ、護りたかったの」

 私の目には、いつもと変わらない笑顔。

 「阿麗は、私が庇ったことが嫌だった?」

 「……嫌だった」

 「あら。それはどうして?」

 「お母さんに、もっと長生きしてほしかった」

 声が震える。自分の目の前がぼやける。

 「お母さんに、肖寧と住んでること、言いたかった」

 お母さんは私の流れる涙を拭っていく。

 「お母さんに、私の幸せを、見てほしかった」

 お母さんの優しい温もりが好きだった。

 「どうして、庇ったの。どうして、あの時……」

 お母さん、お母さん、お母さん。

 「ごめんなさい。あの時、父上のところに行かなきゃ……」

 瞼を閉じて開けて、愛する母はまだここに。

 「でも、仕方がなかったでしょう」

 「うん……」

 「あんな人でも、あなたの父親なのだから」

 「うん……」

 「阿麗。私ね、あなたのそういう優しいところが好きなの」

 「あなたがたまにやんちゃになるところも好き」

 「あなたが一生懸命なところも好き」

 「あなたの笑顔が好き」

 「あなたの幸せも好き」

 額に一粒の水が落ちていく。瞼を開ければ、泣いている顔があった。

 「阿麗」

 私の手を取って、自分の頬に押しつける。

 「私、ちゃんと母親になれた?」

 その顔は、本当に、初めて見れたものだ。

 「私、あなたを幸せにできた?」

 一粒、また一粒と涙を落としていく声だ。

 「私、愛されるようになれた?」

 自分の頬に添えた私の手を握ってくれた。

 「教えて。阿麗。私、あなたの答えを知りたい」

 

 宁麗文はぎこちなく笑って、何度も頷いた。

 「できてたよ」

 それに笑う母にまた涙を一粒流した。

 「愛してるよ。今までも、これからも」

 

 薄暗い部屋の中で、宁麗文の頭に温もりが宿る。

 宁麗文の近くで大好きでたまらない匂いが掠める。

 涙を流していながらも、彼は母に逢えた喜びに笑う。

 

 来世でも、またお母さんの子供になりたい。

 来世は、今世よりも笑い合えますように。

 愛しい母へ。

 ありがとうって、聞こえますか。

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