五 思い出話(2)
立ち寄った厨房では青鈴が何か独り言を呟きながら紙に筆で書いていた。宁麗文は音を立てては邪魔になってしまうのではないかと考え、彼女が考えごとをやめた頃に出直そうとその場を去る。すると、足音で分かったのか、青鈴が厨房の入口から宁麗文を呼び止める。
「何か用事があるなら呼んでくれないと。食べたいものとかあったの?」
「いや、ずっと考え込んでたからさ。声を掛けるのもどうかなって思ってた」
「そんなのいいのに。ほら入って入って」
青鈴に手招きをされた宁麗文は釣られて厨房に入る。台の上には彼女が書いていたであろう、筆と紙が置かれており、紙には『おやつ』の文字とその後につらつらと続いている。宁麗文がそれに夢中になっていると、青鈴が彼の背中を叩いた。
「こら、勝手に見ないで。まだ考えてるんだから」
「そんなこと言われても。ここに置いてあったら誰でも見ちゃうだろ。ていうかこれは何? おやつ?」
「今度作ろうかなって思ってるの。ほら最近は寒くなりがちじゃない。ゴマ団子でもいいけど、湯圓とか馬拉糕とか。それ以外にも美味しくて冷たいものを作りたくてさ」
「別に作らなくても。青鈴の作るものなら何でも美味しいんだけどな」
青鈴は顔を赤くして「そんなこと言うの、あんただけよ!」と舌を出す。宁麗文は思ったことを言っただけなのに……と心の中で呟いていたが、彼女への褒め言葉としては最上級だった。
「と、とにかく。何が食べたい?」
「じゃあ……ゴマ団子が食べたいな」
「任せて」
青鈴は餅を手早く作り、近くに置いてある餡を掬ってこれまた手早く包む。そして鍋になみなみと油を注いでかまどに火をつけ、泡が縁に沸いたのを見て、団子を入れて上げる。用意した網でそれを掬って油を切り、大量のゴマの入っている器に入れ替えてまぶして空の容器に何個も入れていく。宁麗文はその様子を目を輝かせながら見つめていた。
昔から青鈴の作る食べものは何でも口に合いすぎて、たまに彼女の作るもの以外を受けつけない時もあった。それほど青鈴の手は神のように手際がよく、そして繊細な味を生み出していたのだ。
「はい、完成。ちょっと待たせちゃったけど。冷めちゃうから早く食べてね」
「うん、ありがとう」
「いいよ」
宁麗文は厨房に置いてある卓に腰を掛け、できたてのゴマ団子を一口かじる。熱々でゴマの弾ける音を楽しみながら、中の餅と餡が彼の口の中を温めていく。宁麗文は頬を緩めながらその美味しさに蕩けていた。
「本当に甘いもの好きよね」
「悪いか? 別に、子供でも大人でも、男でも女でも甘いものが好きな人はいるよ」
「分かってるわよ。けど、不思議よね。いろんな人がいて、全員が全員同じものが好きじゃないって。あたしと麗文は甘いものが好きだけど、兄さんは辛いものが好きじゃない。他にも、阿琥とか阿裴も皆、味の好みがバラバラ。皆同じ人間なのに、何でこんなに違うんだろうね」
「確かに。そう言われてみればそうかも。人によるって言葉があるぐらいだから、ほんの些細な違いもあるんだろうな」
そこで彼の口が一度止まる。少しの沈黙が訪れてからまた開いた。
「肖寧は何が好きなんだろう」
ゴマ団子を見つめるように俯く宁麗文に青鈴は眉を下げる。彼がここまで落ち込んでいるのはたまに見るが、今回はいつもよりか深く塞ぎ込んでいた。それもそうだ、宁麗文にとって初めてできた友人が肖子涵であり、ここ数日は彼と行動を共にしていた。そして別れが夜の森の入口付近であり、ろくに挨拶もせずに帰ってしまったのだ。宁麗文は宁雲嵐が来る前に挨拶を交わしておけばよかったと後悔をしており、それは毎日のように悔やんでいる。しかもそれに加えてここ最近は雨続きが多く、それが彼をより一層憂鬱にさせてしまっていた。
「……いつかまた肖子涵さんと会えるよ。今は洛陽に戻ってるけど、何日かしたらうちに遊びに来るかも。それか、麗文が洛陽に遊びに行っちゃうとか。ってこの時期は流石に無理か」
笑い飛ばしながら手に筆を持つ青鈴の後ろで宁麗文は冷めかけのゴマ団子を見つめる。宁麗文は彼女の言葉を反芻して、頭の中で考えを巡らせた。
(洛陽に遊びに行く……そうだ、こっちで待たなくても私から行けばいいのか!)
「よし。洛陽に行ってくる!」
「は?」
宁麗文は残りのゴマ団子を勢いよく食べきって卓に置き、厨房を走って後にする。取り残された青鈴は筆を持ちながら呆然としていた。
宁麗文は早く食べすぎて火傷をしてしまった口に顔を顰めながら無名へ向かう。その途中で洛陽への行き方を教わっていなかったと思い出す。家族の中でよく外に出ているのは父の宁浩然か兄の宁雲嵐だが、いきなり洛陽へ行くと申し出たら二人は驚くだろうし、特に宁浩然はそれを許さないだろう。ましてや肖子涵と関わるなと言われているのだから尚更だ。
(無理を言っているのは承知の上だけど、兄上に聞こう)
無名を通り過ぎて滅法へ向かって戸を叩く。今度は中にいるようで「誰だ?」と宁雲嵐の声が飛び込んできた。
「兄上。私だよ」
「麗文? 何かあったのか?」
戸を開けて中に入って後ろ手で閉める。宁雲嵐は怪訝な顔をしながらも宁麗文が目の前に座るのを待つ。宁雲嵐は報告書をまとめていたようで、まだ書いている途中だった。
「ちょっと手止めてくれるか? 聞きたいことがあるんだ」
宁雲嵐は嫌そうな顔をしつつも仕方なく筆を置く。
「何が聞きたい? 肖子涵殿のことか?」
「うん、洛陽に行きたい」
「……」
宁雲嵐は決まりきった答えだと言わんばかり眉を顰める。どうせ分かっていたことだ。宁麗文は今まで家族と家僕の身内とは違う、赤の他人との接触をほぼほぼしたことがない。故に、一人でも仲がよくなりそうな人と接していればやや執着に近い行動をしがちなのだ。
これまでに宁麗文は書院から教えに来る先生や宁浩然の来客にも少なからず執着心を持っていて、彼らが帰る頃にはわあわあと服を引っ張りながら呼び止めたことも多々あった。
だからこそ肖子涵への対応を見た宁雲嵐は苦い顔をしていたのだ。これ以上執着心を見せれば洛陽肖氏との関係が、それこそ世長会にも影響も及んでしまったらと考えてしまう。顰めた眉間を揉みながら宁雲嵐は口を開く。
「行くとしても父上や母上、それに青鈴にどう説明するんだ? 青鈴ならまだしも、父上と母上は許さないだろ。しかも父上からは関わるなって言われてる。それにこの前の埜湖森のこともだ。凶鶏がまた現れたってお前が父上に言ったろ。しかもそこに彼もいた。父上は彼がお前を庇って倒したと思ってるし、お前の服を汚したのは……いや、理由は知らんが、とにかく行くのはやめろ。その方が肖子涵殿も困らない」
「なんで肖寧が困るんだ? 別に行ったっていいだろ。肖寧もうちに遊びに来てたじゃないか。これまでに何度も来てたのに、今更そんなこと言われても私が困るよ」
宁雲嵐は長い溜息をつきながら片手で自身の顔を覆う。いくらダメだと言いつけても宁麗文は頑なに譲らない。たった二日ほどで彼はここまでわがままになってしまったというのか?
「行くとしても御剣は? できるのか? やったことないのに行けるわけないだろ。もしかして馬車にでも乗せてもらうつもりか? こんな雨続きで?」
「御剣ならできる。教わったんだ」
「教わったって」
「肖寧からだよ」
「おいまじか」と目で宁麗文を訴える。宁麗文はその目を見ないふりして「だから道を教えてくれよ」とごねる。宁雲嵐は聞かないように耳を塞ぐと宁麗文は彼の腕を引っ張る。
「お願いだよ兄上。一生のお願い!」
「お前これまで何回一生のお願いって言ったのか覚えてるのかよ!? 無理なもんは無理だ! 鍛錬しろ鍛錬を!」
「瞑想の方がマシだ! 瞑想……?」
宁麗文は自分で口にした言葉を反芻する。腕を掴んだ手の力を抜いて宁雲嵐から離れた。宁雲嵐は弟の考え始めた顔に瞬きをする。心配を口に出すや否や、宁麗文は「ごめん、やっぱりやめる」と滅法から飛び出して去っていった。宁雲嵐は急に飛び出した宁麗文を、口を開けて唖然としたまま見送った。
宁麗文は無名へ戻って卓の上に置いていた一枚の札を取る。そこに陣を描いて瞼を閉じて霊力を込めた。
「肖寧、私だ。洛陽に遊びに行きたいんだけど、場所が分からない。迎えに来てくれないか? 返事を待ってる」
脳内で内容を唱えて瞼を開ける。札はすぐに塵と化して消えた。宁麗文は彼から連絡を来るのを待ちながら瞑想に勤しむ。どうせ父上も母上も、青鈴も兄上も皆反対するなら、逆に肖寧が迎えに来て連れて行ってくれる方が何も言わないだろう。その考えを元にして伝達符を使ったのだ。
それから半時辰もしないうちに脳に肖子涵の声が流れた。返事が来たのだ。
──すまないが今は閉関中だ。しばらくは会えない。
「えっ」
宁麗文はこの返事に強い雷に撃たれたかのような衝撃を味わった。一瞬にして瞼を開けてしまい、瞑想に集中していた意識がはっきりと目覚めてしまう。次第に落ち込み気味になり、最終的には身体からきのこが生えてしまうように、じめじめと項垂れていた。
「そんな……」
彼以外の友人は全くいない。であれば、これから誰と話をすればいいのだろう? 宁麗文はよろよろと立ち上がると足をもう片方の足に引っ掛けてしまい転んでしまった。手を床につけたまま顔を下げていると戸から叩く音と青鈴が「どうしたの?」と呼んでいた。
「青鈴……私は……どうすれば……」
何やら只事ではないと察したからか、青鈴は戸を開けて項垂れている宁麗文を見た。酷く落ち込んでいる彼に驚きながらも、廊下を頭で右往左往と確認してから戸を閉め、彼を支える。
「何かあったの? そんなに落ち込んじゃって」
「肖寧が閉関してたんだ……」
「は?」
青鈴はすぐに宁麗文が肖子涵に伝達術を使ったと察知した。そして身体を起こしながら「なんて伝えたのよ」と聞くと、宁麗文は先程伝えた内容を一字一句間違わずに返す。青鈴はその言葉を聞き、宁麗文と同じように溜息をついた。
「彼に何かあったんでしょ。だから閉関した。単純なことじゃないの?」
「そうだけど。……でもなぁ……」
じめじめとした表情をずっと浮かべている宁麗文に青鈴は次第に苛立ちを頭に詰めていた。誰しも悲しむことはあれど、何かあって結果的にこうなったというのは山ほどある。町の人々もそうやって過ごしているし、それならと放っておけば大概はまたいつもと変わらない日常に戻るのだ。宁麗文はそれは幾度かありつつも、その度にしおらしくいるので、青鈴は彼に怒りを感じ始める。
「そんなうじうじしてないで動きなさい!」
「うう……」
腕を引っ張られながらも宁麗文は泣きそうな顔をする。青鈴は「そんな顔してたらあたしが悪者みたいじゃない!」と叱る。このまま引っ張られていても腕が痛むだけなので、宁麗文は渋々起き上がる。それでもまだ気分は下がっているままで顔色は悪かった。
「ここにいるだけでも吸う空気が悪くなるだけよ。少しの間だけでも町を散策してきなさい。気分転換ぐらいできるでしょ」
青鈴は宁麗文の顔を覗き込む。彼の頬に指を伸ばして軽く抓った。
「なんならあたしも着いてくから。町に行きましょ」
「……うん」
青鈴は宁麗文から手を離して今度は彼の手首を引っ張って無名から出る。宁麗文は抵抗をすることもせず彼女に着いていった。




