三十九 また来てよ(1)
「あ──あああああああああっ!!」
塵になった亞夢を見た万燈実は門弟に押さえつけられたまま悲痛な叫びを上げた。
「なんでっ……なんで殺した!? 亞夢は誰も喰い殺してなんかないのに!」
万燈実は熱い涙を零しながら憤りを父にぶつける。万克勤は息子に目もくれずに口端を上げた。
「なあ、おい! 返事の一つや二つぐらいしたらどうなんだよ! 腐れ外道!!」
「そいつを縛って地下牢にでも入れておけ。邪祟は浄化したと皆に知らせるように」
万克勤の冷たい言葉に門弟は返事をし、万燈実を押さえつけたまま背中に手を回す。万燈実は雪に埋もれたまま、奥歯を噛み締め、抗おうと手に力を込めた。宁麗文は塵と黒い血にまみれたまま、震わせている口を開けては閉じて下唇を噛む。
亞夢の、口に出していた言葉を、彼は確かに見たのだ。
(なんで、『ありがとう』なんて言ったんだ)
宁麗文は亞夢の塵を少し吸ってしまってまた咳き込む。赤黒い血が出て、ようやく肖子涵に起こされた。その目には絶望が溢れていて、出しゃばってしまった自分に憤りを表していた。肖子涵も下唇を噛んで彼を抱える。
「それと、これは世長会に提出するな。こちらで処理を」
淡々と進め、息子からの問いに答えない万克勤は彼に背を向ける。万燈実は口に雪を入れてしまいながらも胸に空気を入れた。
「答えろって言ってんだよクソジジイ!!」
万燈実の手が門弟たちを弾き飛ばし、剣を引き抜いて万克勤の背中を貫いた!
宁麗文と肖子涵は目を見開き、門弟は愕然と口を開け、万克勤は貫通している彼の剣を見下ろす。万燈実は息を荒らげながら、涙を垂れ流しながら剣を勢いよく引き抜く。どうやら刺した方向は胸のほぼ真ん中で、心臓に近かったようだ。刺されたところから逆流した血が万克勤の口から吐かれる。わずかに振り返れば、鬼のような、いや、それよりも凶悪な顔をした万燈実が立っていた。
「……お、ま……え……」
万燈実はもう一度、彼に剣を振り下ろす。鈍い音と鈍い光が何度も彼を貫く。門弟たちは顔を青ざめて狼狽え始める。宁麗文と肖子涵は何も言えないまま目を閉じることしかできなかった。
「なんで、なんでっ、亞夢を殺した!? 亞夢は俺の、たった一人の、大切な親友なのに! 俺の、唯一の友だちなのに!」
万燈実の脳裏に、雪の降りしきる夜の埜湖森の、あの何もない空っぽの洞窟に倒れていた亞夢が過ぎる。
「亞夢はっ……亞夢は死体しか喰えなかったのに!」
身を隠せる家に着いて炉に炭を入れ、温かい粥を亞夢に食べさせる。そして万燈実は彼に言葉や過ごし方を教え続けて冬の間だけ共に暮らし始めた。
万克勤は数回刺されて倒れる。それでも万燈実の剣は止まらない。
「優しくて、怪我しても一生懸命に手当てしてくれるほどでっ!」
万燈実が年最後の怨詛浄化で怪我をした時に、亞夢が作った軟膏で傷を癒してくれた。「すぐに治りますように」と願掛けをしていた亞夢の顔が目に浮かんではまだ涙が溢れ落ちる。万燈実は鼻を熱くして、嗚咽さえも振りきった。
「人よりも、ずっと人だったのに……っ!」
銀世界に降り立って廃村の中で二人で雪遊びをしていた。互いに鼻を赤くして、万燈実は次期宗主として、亞夢は邪祟としての重圧から解き放たれたかのような笑顔で笑いあっていた。この時期は至福のひとときだった。ずっとこの幸せが続いていけると当たり前のように思っていた。
同じところを刺された万克勤の死体は大きく穴を作り、そこから血の海を作っていく。
「亞夢は……亞夢には俺しかいなかったのに……」
春になれば万燈実は怨詛浄化に忙しくなり、彼以外の人間を知らない亞夢は一人淋しく廃村に残る。冬にしか使われない炉を冬になるまで見つめていたと言っていた。
そして、一年前に瀕死状態の宁麗文を肖子涵が抱えてきた姿を迎え入れた亞夢は、今にも死にそうだった彼を案じていた。
「凍えたっ……宁麗文を案じてくれたのにっ! お前のせいで! お前のせいで!!」
万燈実は今までの鬱憤を晴らすかのように万克勤に次々と刃を突き立てる。もう既に彼の目に光はない。雪の上、中、万燈実の足元、近くの亞夢の防寒具に血が振り散る。万燈実は止まることさえしなかった。門弟たちも誰もが彼を止めようとすれば、次は自分の番ではないかと怯えては何もできなかった。宁麗文と肖子涵は瞼を開けて、宁麗文はまた血を吐く。
「はあっ……はあっ……!」
やっと万克勤への攻撃をやめた万燈実はその場で立ち尽くす。自分の剣を勢いよく振り落として薄く笑う。
「……どこまでも薄情なクソジジイだよ。なんで俺、お前の息子として生まれてきたんだろうな」
低く呟く万燈実は二人に顔を向ける。涙で顔を濡らし、鼻と耳を赤く染めたまま悲しく笑った。
「……ごめん……」
その言葉にはどのような思いが隠されているのだろう。それは万燈実、彼自身しか分からない。
また雪が降り始める。白の地面には赤と黒が散らばっていた。
亞夢の遺灰は風で煽られてどこかへ消えてしまった。防寒具だけがその場に力なく伏せてしまっていた。
万燈実は肖子涵の外衣を身から離して渡して、代わりに万克勤の血で汚れてしまったそれを羽織った。凍える風に煽られた亞夢の防寒具は強くはためいている。
万燈実は黒い顔をしたまま、ただただ、悲しい顔を浮かべることしかできなかった。
門弟が万燈実の腕を背中に回して縄で縛る。宁麗文は顔を彼から背けて弱った身体で肖子涵の胸元に抱き留められていた。
(……亞夢……)
一年前のあの一ヶ月間、亞夢は宁麗文に甲斐甲斐しく懸命に温かい食べものや飲みものを薦めていた。宁麗文が味を褒めれば彼は安心した表情を浮かべて安堵の溜息を零していた。宁麗文が元気になれば肖子涵と万燈実と四人でいろんな話をした。邪祟の話をすれば、自分とは違う邪祟に怯えて自分で自分の腕を抱えて怯えていた。
亞夢は、妖だった。しかし、人間だった。普通の人間よりも、人間だったのだ。
宁麗文は彼に抱えられながらその胸元で呻いて、肖子涵は自分の外衣を彼に掛けて歩き始める。万燈実は門弟に連れられながら二人とは反対の道を歩いていった。
肖子涵は降らなくなった雪の中をただ歩いて、そして立ち止まった。そこは二人が住んでいた、かつての民家だった。既に眠ってしまった宁麗文を抱え直して戸を開けて入る。ぼんやりとしていたはずの灯りはどこにもない。肖子涵は彼をすぐ傍に下ろして炉に炭を入れて点火符で火を起こした。
しばらくぼんやりとその火を眺め、揺らぐ黒目を隠すように瞼を伏せてから閉じる。
たった一ヶ月もの間に彼の、亞夢の全てを知った気がした。彼は泣き言を言わず、宁麗文を手厚く介抱をして、そして笑顔で見送った。それに邪祟らしい危害を加えるような素振りは一切見られなかった。
肖子涵は宁麗文を見る。凍える外で冷えた頬を撫でて、揺らぐ瞼を見た。茶色からは透明の涙が零れる。口を開いては下に歪んで、鼻を大きくすすって力のない両手の甲で瞼を覆った。肖子涵は彼の言わんとしたことを分かっていた。
「宁巴」
静かに、彼の名前を呼ぶ。
「あなたは悪くない」
そっと言葉を置いて、こめかみに流れた涙を拭う。




