四 凶窟(1)
森の中を知らない宁麗文は肖子涵に連れられるがままに歩いていく。その中でも本で見た動物や草花に目を輝かせて一人ではしゃいでいた。肖子涵は彼の様子に目を細めつつも開けた場所へと目指す。晴天の下で度々漏れ出る日に当てられながら歩き、半時辰を過ぎてやっと木々の空間も日当たりもいい場所へと辿り着いた。
「ここにしよう」
肖子涵は宁麗文に振り返って「剣を」と指示を仰ぐ。宁麗文は彼の言う通りに祓邪を抜いた。肖子涵も続けて自分の剣を抜いて二本の指を口元に寄せる。すると剣は彼の手をすり抜けてまるで自我があるかのように地面と平行へ浮かんだ。
「剣に霊力を込めて」
「うん」
宁麗文は肖子涵と同じように口元に二本の指を寄せ、瞼を閉じて霊力を指先に集める。すると剣は彼の手を震えながらすり抜けて地面と平行になった。瞼を開けると見事に平行になっている祓邪を見て感動を覚える。腕を下ろして浮かんでいるそれを何度も回りながらまじまじと観察する。屈んだり上から眺めたりと、もの珍しそうに見つめる彼を肖子涵は見ていた。
「すごい。平行になってる」
「あなたの才能がいいからだ」
「はは、そう言われると恥ずかしいかも」
宁麗文は頬を指で掻く。肖子涵は彼の手を握って「足を乗せて」と祓邪を挟んで誘導する。宁麗文は恐る恐るそれに足を乗せる。浮いている祓邪に片足を乗せて体重を掛けると、慣れていないからかすぐによろめいてしまった。肖子涵は彼の後ろに回ってしっかりと支えるように腰を掴む。宁麗文は彼の助けを借りながら両足を祓邪に乗せた。
「これ、難しいな」
少しでも動いてしまえば落ちてしまいそうだ。いつの間に乗っていたのか、肖子涵は御剣をしながらまた前に回って宁麗文の手を取る。
「しばらくこのままでいよう。一炷香ほどしたら手を離してみる」
「分かった」
宁麗文は頷いて肖子涵を手をしっかりと握り、姿勢を崩さないように祓邪の上で踏ん張る。祓邪は彼の恐怖という感情と連携しているからか、カタカタと震えていた。その度に肖子涵は宁麗文に「霊力を意識して」と呼びかける。宁麗文は霊力と姿勢を意識して呼吸を乱さずにじっと集中した。
一炷香ほどして肖子涵は静かに宁麗文から手を引く。宁麗文は彼の手を名残惜しそうに思いながらも体幹を意識した。すると祓邪はしっかりと地面に平行になり、それに伴って宁麗文本人もまっすぐと立ち続けられた。そのまましばらく水平を保つと長く続き、彼はできた喜びと嬉しさで肖子涵も祓邪を交互に見て目を輝かせる。
「肖寧、できた。できたよ」
「すごいな。宁巴は飲み込みが早い」
肖子涵は嬉しさを噛み締める宁麗文に頬を緩める。二人は剣から降りてそれを鞘に納めた。
「そういえば、肖寧の剣はなんて言うんだ?」
宁麗文は彼の剣をまじまじと見ながら問いを投げる。肖子涵は彼の顔を見て一息ついて口を開けた。
「廓偲だ」
「廓偲。いい名前だ。意味も聞いてもいい?」
肖子涵は少し躊躇いながらも「大切な人を……」と歯切れが悪そうに小さく呟き、頭を振った。
「皆平等に、誰もが人を想うことを願った」
「そっか。肖寧らしいな」
肖子涵に向けて微笑んで「私のは祓邪って言うんだ」と再び抜いて紹介をする。すらりと伸びているその剣は毎日の手入れによって輝きを増していて、鏡のように宁麗文を写していた。
「邪気を祓うからか」
「そう。元々身体が弱かったこともあるから、そういう意味での邪気を祓うも重なってるかな」
「いい名前だ」
素直に褒める彼に宁麗文は破顔した。それから練習を幾度かして、日が暮れ始める。二人は森を抜けて江陵へ戻るつもりだった。
そこに人の悲鳴が聴こえ、二人は同時に振り返る。お互いに目配せをして、宁麗文は生唾を飲む。
「……今のは?」
「行こう」
肖子涵は剣の柄に手を掛けながら向いた方へ足を変える。宁麗文も彼に続いて歩き出した。
どれほどの時間が経ったのかも分からない。辺りには点く灯りがないせいで方向も時間も分からないのだ。宁麗文は進んでいくうちに不安になり、少し肖子涵へ寄る。彼は宁麗文が寄ってきても拒むことはせず、むしろ彼を少し引き寄せていた。
再び人の悲鳴が聴こえる。さっきと同じ声に二人は怪訝な顔をした。
「こんな同じ人の声がするものなのか?」
「分からない。ここから更に暗くなるから、不安なら俺の服を掴むといい」
「ありがとう。君は優しいね」
肖子涵はそれに何も答えず、奥へ進む。そこは洞窟があった。宁麗文は森の中にある洞窟に驚き、思わず声を漏らす。
「この洞窟、なんでここにあるんだ?」
「ここはいくつかある中での唯一の洞窟がある森になる」
「江陵から近くの森にこんなものがあるなんて……」
「息を潜めていて。中に何があるか分からない」
「うん」
宁麗文は彼の言う通りに息を潜めつつ、不安と恐怖で震える手で肖子涵の服を掴む。肖子涵は懐から黄色の札を取り出して霊力を込めた。『点火符』という、仙術の基礎として最初に学ぶものであり、修士の必要不可欠なものでもある。それはたちまち炎となり、近くに落ちていた木の棒を拾って火を灯す。ぱちぱちと音の鳴る火は二人の顔をよく照らしていた。
「進もう」
いつもより小さな声で肖子涵は宁麗文に呟き、彼の声に宁麗文も頷いて歩き始める。砂利と二人の足音がこだまする洞窟内では小さな鼠が歩き回っていた。歩く度に土埃と石が靴を阻み時には躓くこともあった。奥へ奥へと進むと道は開けており、天に向かって伸びている道はぽっかりと穴が空いていた。そこから漏れる月の光が穴の中を満遍なく照らす。上から流れる風で松明の火が消えた。二人はその月光に照らされている目の前を直視した。
「うっ……!?」
宁麗文は思わず袖で自分の顔を隠す。そこには血にまみれた人のような肉塊がごろごろと転がっており、中には白骨化しているものさえもあった。異臭はそれほどしないが、奇妙な光景に見たことも肌で感じたこともない宁麗文は肖子涵から離れて隅で吐いた。肖子涵は彼の元へ寄り、背中を擦りながら辺りを見回す。きっと犠牲になった人々は不注意の事故による転落をしてしまい、激痛を和らげるものが何一つない中で苦痛にもがき苦しんで死んだのだろう。異臭がしない原因は皆目見当もつかないが、もしそれもしていたのなら宁麗文はきっと気も失っていただろう。
「宁巴。大丈夫か」
「ごほっ……大丈夫。急に離れてごめん」
「構わない。あなたが怪我さえしなければいい」
「はは、過保護だ」
宁麗文は口元に着いたままの吐瀉物を袖で拭おうとすると、肖子涵が彼の腕を掴んで代わりに自身の指で拭った。それを自分の服に擦りつける彼の行動に宁麗文は驚き「汚いのにするなよ」などと慌てるが、肖子涵は気にせずにただただ平然としていた。
「他人のゲロを拭うバカがどこにいるんだ。私は自分でちゃんとするから、君は何もしなくていいんだ」
肖子涵は呆れからか深く溜息を吐く。
「あなたは十八もの間、世間を知らなかっただろう。この世にはあのような危険なものが多く存在する。それがいつか、あなたを脅かすかもしれない。殺される危機を感じてしまう瞬間だってある」
「はあ? それと私のゲロを拭うことと何が関係があるんだ? そんなこと言われたって分かんないよ」
「一緒だ。……俺は、あなたを護るんだ。例え死んでしまったとしても構わない」
肖子涵の言葉に宁麗文は怪訝な顔をしながらも、しかし彼に言わせてしまった自責の念に駆られて自身の手を強く握り締める。どれだけ過保護でも両親のような護り方ではなく、昔から自分で決めつけたかのような約束の口振りだった。宁麗文は瞼を閉じて苦虫を噛み潰したように口元を歪めて奥歯を噛み締める。
(なんでここまで言われなきゃいけない……いや、私が言わせてしまったのか。私が肖寧に自分の昔のことを話したから。昨日まで体調を崩してしまったのを見せてしまったからか……なんとも情けない)
瞼をきつく閉じて、そのまま震わせる。
(とんでもなくバカでクソ野郎だ! なんでそんなバカなことをしたんだ!)
宁麗文は一通り自分を罵ってからその思考を打ち消すように頭を振る。
「いいよ、君の好きにすれば……とにかく、ここで何があるか調べよう」
肖子涵の顔から視線を逸らして月光の照らす下を見る。直視をしないように目を細めてから懐から扇子を取り出して口元を覆う。肖子涵は彼を見て眉を少し顰め、頭を振って先に一歩出る。




