三十七 雛(2)
万燈実は彼に優しく笑ってから宁麗文と肖子涵に顔を向ける。表情を戻して先程の話を続けた。
「……それで、宁公子から五年前のあの時に凶鶏の雛が生まれたって聞いた。亞夢はその後に人として進化して、さっきも言ってたけど死体を喰った後は何も食べないまま倒れていたんだ。それでなんだけど、亞夢が進化する前の様子はどんなものだったんだ?」
それに肖子涵は答える。
「屍の山を吸い込んでいるように見えた。しかし、その前に俺たちに攻撃を仕掛けてきていた」
万燈実は亞夢を見る。彼は顔色を何一つ変えずに唾を飲んでから口を開いた。
「それは、あなたたちが死んでいると思ったから。けど、肖子涵さんが僕の攻撃を防いだことで、生きてるって分かって……それ以降は何もしなかったんです。鶏の声も聴こえたでしょう。あれは先にいた凶鶏の声を真似していたんです」
「つまり、逃げ損だったってことか」
宁麗文はまた片肘を支えて顎を二本の指で支える。亞夢はそれに震えながらゆっくりと頷いて「あの時はごめんなさい」と謝罪する。宁麗文は腕を下ろして優しく笑う。
「いいよ。けど、なんで万宗主は亞夢が妖だって気付いたんだ?」
「それは……」
万燈実が開いた口を慌てて噤む。ちらりと亞夢に目配せをしては、彼は目を伏せることしかできなかった。万燈実はしばし躊躇いながら、また口を開く。
「……墓地の中の死体を、勝手に持ち出して亞夢に食べさせたんだ」
彼の言葉に宁麗文と肖子涵の二人は絶句した。とんでもないことを聞いてしまったと互いに目配せをして二人同時に苦虫を噛み潰したような顔をする。万燈実は分かっていたと言わんばかりに俯いた。
「……あのさ、それは……ちょっとどうかと思う……わざわざ唐厭の墓地のじゃなくてさ、ほら……動物の死体とか、そういうのでもよかったんじゃ……」
宁麗文は半ば呆れながら片手で頭を抱える。万燈実は唇を噛みながら「仕方なかったんだよ」と小さい声で呟いた。
「動物の死体でも亞夢は満足できなくなったんだ。でも、生きている人間は食べられない。だとしたら、死んでいる人間を食べさせてあげないといけないから、毎年、こっそり墓地を荒らして持っていったんだ。……先週だって、持っていこうとしたんだ。そしたら俺の家の見廻りに見つかって。逃げようとしたらすぐに俺だってバレて、墓を荒らした形跡もバレて、どこにも行けなくなった。父親からも『今まで冬の期間だけいなかったのは死体を持っていくためなのか』って言われて、ちゃんとしたことは言わなかったんだけど、亞夢の匂いが俺の手に染みついてたらしくって、それで何もできなくなって、俺は、軟禁状態になったままで」
万燈実の口は次第に支離滅裂になって、そしてその場で蹲る。肖子涵は外を見て誰もいないことを確認してから「落ち着いて話せるか」と声を掛ける。亞夢は蹲っている彼の隣でしゃがみ込んでまた防寒具を半分被せる。万燈実は立ち上がることもせずに首を横に振って震えた。
「もう、落ち着けないよ。これからどうすればいいか分からない。もうあの家にも行けないし、唐厭にも帰ることすらもできない。何も、……何も分からない。どう考えたって答えが見つからないんだ。……亞夢、巻き込んで、ごめん。本当に、ごめん……」
亞夢は首を横に振ってしゃがみ込んだまま口を開く。
「いいよ。いつか僕が邪祟だって気付かれると思ってた。でもそれはまだ先だと思ってたんだ。僕が燈実の手に匂いを移してしまったってだけで……燈実のせいじゃない。僕のせいだよ。だから謝らないで」
今度は亞夢が彼の背中を擦る。万燈実はその掌の温かさに小さく嗚咽を漏らしながら泣き始めた。宁麗文は瞼を伏せて息を吐く。白い息が上がってすぐに消えた。洞窟の外を少し見てから二人に向き直る。
「……それなら、ここより遠くの場所に逃げるしかない。なるべく人に見つからないような。あの家には帰れないし、もしかしたら途中で見つかってしまう。だから違うところに逃げよう」
息を吐いた宁麗文が二人を見下ろしながら呟く。万燈実と亞夢は顔を上げて目を丸くした。万燈実が慌てて立ち上がって宁麗文の前で顔を青くする。その隣で亞夢も立ち上がって彼と宁麗文を交互に見ていた。
「逃げるって。どこに逃げればいいんだよ。俺は防寒具を着てないし、御剣だってしたらすぐにバレる。それに、亞夢が見つかっちゃったらすぐに浄化されるに決まってる。そんなの、何もできないよ」
「雪が降り始めたら目をくらませることもできる。ここから北に向かえば更に分かりづらくなる」
宁麗文の代わりに肖子涵が答える。寒い地域に生まれ、雪の恐ろしさを知っている彼だからこその説得力があった。万燈実と亞夢は互いに顔を見合せてぎこちなく小さく頷き、また二人を見た。宁麗文は肖子涵に顔を向けて口角を上げる。
「肖寧の外衣を羽織ればいい。だよね?」
「ああ。寒いのには慣れている」
万燈実はそれに口元をぴくぴくと動かしながら呆れた。
「君、頑丈すぎるだろ……」
雪が降り始めた。風も強く、これなら時間が経てば経つほど吹雪いていくだろう。四人は洞窟から出て息を潜めながら歩く。万燈実に外衣を貸した肖子涵は顔色一つも変えずに堂々と歩いていて、彼以外の三人は半ば呆れながら歩いていた。
「宁巴。こちらへ」
肖子涵が宁麗文を呼んで腕を差し出す。宁麗文もぴったりとくっつくように腕にしがみついた。
吹雪が酷くなる。目の前が真っ白になってきていて、これからどうなるかは分からない。四人は万燈実と亞夢が過ごしていた村を通り過ぎて、更に北上へと目指した。
肖子涵以外の三人の誰かが限界を迎えそうになるなら近くにある洞窟の中に潜んで休憩をして、また出ては歩く。この雪の中に洞窟は点々としていて、おそらく凶鶏の繁殖場所でもある渓谷も存在しているだろう。その穴に入ってしまわないように慎重に歩いて数刻ほど、夕方に差し掛かるところで一つの家屋に着いた。暗くなっているその民家の戸を叩いても誰も返事をしない。肖子涵がその戸を微かに開けば、中には誰もいなかった。
「ここに隠れよう。点火符は使わないで」
宁麗文は頷いて先に中に入り、続けて万燈実と亞夢も中に入る。最後に肖子涵が周りを確認してから入って戸を閉めた。
雪のせいで凍えている三人は床に座って両手に息を吹き掛けて擦る。肖子涵は宁麗文の頭に乗った雪を払ってから彼の隣に座った。
「今すぐ温まりたいけど、点火符を使ったらまたバレるよな。どうすればいいんだろう」
万燈実は両手に息を吹いてかじかむ指を温めながら呟く。この先のことは誰も考えていなかった。食糧もあるわけでもなし、布団はカビが繁殖していてまともに使えやしない。万事休すに近いものだが、それでも身を潜めることしかできない。
肖子涵は立ち上がって格子状の窓の奥を見る。吹雪いていてよく分からないが、少なくとも追手はいない。
「肖寧、何か食べるものとか持ってない?」
「持っていない」
宁麗文は肖子涵の後ろ姿を見て、返事をされてから顔を前に戻す。乾酪はあったが、それは昨日に二人で全て消費しきってしまった。宁麗文は「あの時全部食べなきゃよかった」と心の中で嘆いたが、もう時既に遅しである。万燈実と亞夢は互いに身を寄せ合って互いの体温で温まっていた。
「俺は空いてない。亞夢はどう?」
亞夢は首を横に振って「空いてないよ」と答える。
「ならいいんだ。私も空いてない。肖寧は?」
「俺もだ」
「皆空いてないんだな……」
はは、と呆れ笑う宁麗文は立ち上がって肖子涵の隣に立つ。まだ雪は止むことを知らない。
冬は日が落ちる速度が早い。瞬く間に夕陽は消え、悪天候もあってかすぐに暗くなった。まるで真夜中のような部屋の中で、じっくりと夜目に慣らす。宁麗文は色々と考えてはみたが、今ここにいる以上何もできない。下手に動いてしまえば腹は減ってしまい、体力も削がれてしまって餓死か凍死のどちらかになってしまうだろう。白い息を吐いて瞼を伏せて呟いた。
「仕方ない、早すぎるけどもう寝るしかないな」
「そうだな。亞夢、こっち来いよ」
「うん」
万燈実が肖子涵に貸してもらった外衣を脱いで返そうとすると、彼はそれを拒否した。驚いていたが、肖子涵は平然としたままで、それならと言葉に甘えて亞夢と半分に掛けた。亞夢は防寒具を脱いでから背中に壁をつけて、肖子涵の外衣の上からまた二人で被る。それを見た宁麗文は肖子涵に顔を向けた。
「私たちももう寝よう。明日のことは明日考えればいい」
肖子涵も彼の言葉に頷いて二人と少し離れた壁にもたれてあぐらをかく。そのまま彼をあぐらの中に入れようと手招きをした。それを見て口元をひくつかせる。二人がいるのだからできればそうしたくはないが、緊張が解れしきった彼らは既に寝てしまっていた。宁麗文は仕方ないと諦めて髪を解く。髪飾りを袖の中に入れて自分の外衣を脱いで、肖子涵のあぐらの中で彼に覆い被さるようにして身を包む。そのまま彼の胸元に頭を預けて瞼を閉じた。肖子涵はそのまま宁麗文を自分の腕で抱きかかえるようにして、自分も瞼を閉じた。




