三十六 酒の乾酪割り(2)
部屋に閂を差し込んだ肖子涵をよそに、宁麗文は卓に戻って二杯の盃を置く。その上にひとかめの酒壺から栓を抜いてなみなみと注いだ。
「ほら、呑もうよ」
宁麗文は隣の席を叩いて彼を呼ぶ。呆れたままの肖子涵は大人しく彼の隣に座って盃を取った。
「ふふ、やっぱり君も呑みたがってるじゃん」
「……あなたが注ぐからだ」
そのままゆっくりと呑んで乾酪と共に呑み干す。その隣で宁麗文もちびちびと呑みながら乾酪と一緒に合わせていた。
「ん、美味しい! やっぱりお酒と合うね」
宁麗文は呑み干してからまた次の酒を注ぐ。肖子涵はそれを止めようとしたが、どちらにせよ酒壺は二かめあるので止めようにもできない。諦めて宁麗文のやるがままにさせて、勝手に呑み始めた。
半時辰ほど経って、肖子涵の隣にはもうベロベロにできあがった宁麗文が彼の二の腕に頭を預けていた。盃はもう空にはなっているが、二かめ目の酒を開けたばかりだ。空になったひとかめは肖子涵が自分の傍に置いておき、二かめ目もなるべく自分のいる方の卓の端に寄せる。むにゃむにゃと唇を動かしている宁麗文に肖子涵はあの日、漢沐熙といたことを思い出した。
「宁巴、そろそろ寝よう」
「むに……にゅむるむにゃるら……」
もはやなんと言っているのかも判別不可能だ。肖子涵は片手で額を押さえて溜息を吐いた。慣れた手つきで宁麗文の髪飾りを解いて手ぐしで整え、それを卓に置いてから宁麗文の肩を持つ。かくんかくんと頭を揺らしていた宁麗文は薄らと目を開けて肖子涵を見上げた。その目は酔っ払いと同然だが、まるで愛おしい人を眺めるように、うっとりと彼を見つめていた。肖子涵はその茶色に息を詰まらせて慌てて瞼を伏せる。
「……肖寧……」
宁麗文は肩を掴まれたまま肖子涵に抱きつく。思わず手を離してしまった肖子涵は、宁麗文に抱き締められながら困っていた。彼に引っついた宁麗文は腕を徐々に上げていき、遂には首に回される。そのまま膝の上に跨って首元に顔を埋めた。
「んん〜〜……ふふ……」
ぐりぐりと顔を彼の首元に埋めて幸せそうに笑う宁麗文に肖子涵の手はどうすればいいか分からずに宙に浮かぶ。引き剥がして無理にでも寝かせてあげたいのは山々だが、それをしてしまっては酷く落ち込むだろう。しかしこのままでは寝るに寝られない。困りながら思い悩んでいる間の宁麗文は腕に力を入れてまたぐっと近付いた。それにより、肖子涵の身は硬くなって目をぐるぐると回し始める。
「に……宁巴。そろそろ……」
「や! ねにゃい! ねむるらいもん!」
駄々っ子のように首元から離れない彼に、肖子涵はどうすればいいか分からなくなってきてしまった。
仕方なくそのまま抱き締められた状態で肖子涵は残りの酒を全て呑みきる。その間の宁麗文は微動だにせずに、また寝もせずに身をぐりぐりと寄せていた。肖子涵は彼の頭と腰を支えながら立ち上がり、寝台に乗ってそのまま彼の背中を敷布に置く。置かれたと気付いた宁麗文は肖子涵の首元と腰に回した手足の力をまた込める。そうして二人は長い間同じ姿勢のままでいて、肖子涵は頭と腰に回していた手を離して片肘と片手を寝台についたままになってしまった。
(どうすれば……いいんだ……)
ここまで駄々をこねる宁麗文を肖子涵は見たことがなかった。酔っ払うととんでもない行動に出るのは漢沐熙が見せた表情からして大体は分かっていたが、まさか今みたいになるとは思わなかったのだ。
「宁巴……離して……」
「やらったらやら!」
「……」
今まで見たことがない。彼には酒を呑ませない方がいい。めんどくさいことになってしまう。
肖子涵は頭の中で困りながら考えて、ついた肘の力を抜いてそのまま宁麗文に覆い被さる。宁麗文はそれに満足したようで、少し力を弱めた。それを見計らった肖子涵が勢いよく離れようとしたが、それに気付いた宁麗文がまたがっちりと掴んだ。
助けてくれと誰かに言いたい衝動に駆られてはいるが、部屋には閂で締めてしまっている。もし仮に締まっていなくても誰かが部屋に入り込んでしまってはあらぬ勘違いを起こしかねない。肖子涵はどう打開すればいいか悩みに悩んで、決死の思いで彼の首元に顔を寄せた。
「──あっ!?」
びくっと身体を震わせて、それまで込めていた手足の力がふっと抜ける。やっと身体を起こせた肖子涵は溜息をついて彼を見下ろした。
宁麗文は震えながら自分の首に掌を当てる。そこには彼の舌の感触が残っていて、別の意味で真っ赤になっている彼に肖子涵は呆れながら「もう寝なさい」と声を掛ける。宁麗文は泣きそうになりながら、起き上がって寝る支度を始めた。肖子涵はやっと解放されたと安堵の息をついて、空になった酒壺たちを片付けていく。
二人して寝台に寝転がり、そのうち宁麗文はまだ怒りで頬を膨らませながら肖子涵に背中を向けていた。
(なんでなんでなんで! なんで私ばっかりこうなるんだよっ!)
真っ赤な顔でぷんぷんと目を開けて、それまで酒に酔いしれていた感覚が全て醒めてしまった宁麗文はちらりと後ろの肖子涵を見る。彼は礼儀正しく仰向けになって眠っていて、それに余計に腹立たしくなった。
(クッソ、もう舐められたの二回目だぞ!? 肖寧はあんなことをして恥ずかしくないのかよ!)
布団の端をぎりぎりと掴みながら、ぐるりと寝返りを打って少しだけ起き上がる。それでも肖子涵は目を覚ましておらず、「澄ましやがって!」と宁麗文はまた目を吊り上げて怒った。
(いつも最後にやられてばっかりなんだから、今度こそ肖寧をびっくりさせてやる。後で何言われても知らないふりしてやるんだからな!)
宁麗文は肖子涵に身を寄せて彼の頭の横に両手をつける。そのままゆっくりと近付いて肘も敷布につけた。宁麗文は非常に整えられている顔を見て胸がつまった。酒にまだ酔っているのかもしれない、いや、さっきので全て醒めたはずだと思いながらも動悸がその思考を邪魔する。宁麗文は頭を強く振って、ゆっくりと、おそるおそる肖子涵の唇に自分の唇をつけた。それでも彼は起きず、むしろそれでいいと安堵する。流石に舌を入れるとそれこそ気付かれては本末転倒なので軽くしてすぐに離れた。
(きっと、頭がどうかしちゃってるんだ。結局肖寧のことをびっくりさせられなかったし、悔しいところもある。でも、やってやったからな)
宁麗文はまた布団の中に滑り込んで肖子涵に背を見せる。もう振り向くことはできなかった。まだドキドキと心臓がうるさくなっていて、唇の感触の余韻を味わってしまいあまり寝られなかった。
先に肖子涵が目を覚まして傍にいる宁麗文を見る。昨夜は背を見せて寝ていたはずの彼は自分に顔を向けて胎児のように丸まって寝ていた。口を閉じたまま寝ている宁麗文の頭を撫でていると彼の目が覚める。
まだぼんやりとしている彼は肖子涵に「おはよう」となぜか不機嫌そうに頬を膨らませている。肖子涵はきっと昨夜のことだろうと思いながら「おはよう」と返した。
身支度を済ませた二人は宿を出て、次の行き先を決める。宁麗文は蒼茫亭の門の下を見て去年のことを思い出した。
「そうだ、ついでにさ。あの二人のところに顔を出しに行こうよ」
「そうしよう」
宁麗文と肖子涵は膳無の門をくぐってからまた歩き出す。膳無には温度を調整する術が掛けられているので、門をくぐった後には寒い風が一気に吹き荒れていた。宁麗文は外衣を自分の胸にまで寄せて身震いをしたが、去年よりかはマシだった。
「無理をせずに」
「分かってるよ」
宁麗文はなるべく肖子涵にぴったりとくっつくようにして歩く。幸い、風が強いだけで雪は降っていなかった。しかし、それでも強風というには簡単すぎるほどに吹いている。宁麗文は飛ばされないようにと肖子涵の外衣にしっかりとしがみつくほどになっていた。肖子涵は彼の手を取って自分の外衣の中に入れる。
「そんなことまでやらなくていいよ」
「あなたが飛ばされるぐらいならマシだ」
宁麗文は呆れ笑いをしながらも肖子涵の外衣の中で彼にしがみつく。動き辛いものなのだろうに、肖子涵はそれを不自由ではないと言いたげに歩いていく。




