三十五 炉(3)
二人は様々な場所を歩いた。時には崖の下の洞穴で野宿をしたり、時には他の世家に宿泊したりした。
冬が明ければ春が来て、通りすがりの人の依頼を受け怨詛浄化の任務に向かう。
夏が来て、青鈴に会いに桂城へ向かい、共に杏華坊に行って皆と笑いながら野菜の収穫を手伝う。
秋が来て、龔飛龍から琳玩へ来いと言われて逃げて、最後に華伝投でまた竜胆の花を肖子涵に渡す。
そしてまた冬が来た。二人は去年と同じように膳無に来ていて、一部屋で一台の寝台しか残っていなかった部屋に泊まることにした。宁麗文は分厚い外衣を丁寧に畳んでから寝台に腰を掛け、肖子涵も自分の外衣を畳んでから彼のものと隣に置く。
「今日もいっぱい歩いたな。君はお腹は空いてる?」
「少し」
宁麗文は思い出したように眉を上げる。肖子涵が彼の隣に座って、宁麗文が口を開く。
「そうだ。去年、秦麗孝に乾酪のことを教えてもらったんだ。不思議な味がするんだよ。ちょっと塩っぱいんだけど、美味しいんだ。肖寧は塩っけのあるものは食べられる?」
肖子涵は小さく頷く。宁麗文は口を弧に描いた。
「じゃあ買ってくるよ。君はここで待ってて」
「俺も着いていく」
「たまには私一人だけで買いに行かせてくれよ。去年のあれはまだ根に持ってるんだからな」
頬を膨らませて不満げに言う宁麗文に肖子涵は目を逸らした。もう反省しているとは思うが、宁麗文は北武にいた頃に考えていた、根に持つことを覚えていたのだ。
「だから買いに行かせて。いい子に待てるよね?」
「いい子に待てる」という言葉にきょとんと瞬きをする彼にまた笑う。
「……ああ」
宁麗文は目を細めて、分厚い純白の外衣をまた羽織って「行ってきます」と宿を出た。
去年のことなのだから、どこで買ったのかは既に朧気だ。なんとなく秦麗孝が行っていそうな店に行って、初めて食べた乾酪を吟味する。どれにしようかと迷いながら次々と手に様々な種類の乾酪を持つ。
最後の一個に手をつけようとした時、隣人の手が重なった。互いに顔を見合わせると、宁麗文より、いや肖子涵よりやや高い背丈を持っている青年が立っていた。彼は黒髪を高く結い上げており、それを丸めて臙脂色の髪紐でまとめている。切れ長の中の黒の双眸は氷のように冷たく感じる。傍から見れば眉目秀麗ではあるが、宁麗文とは全く反対で、どこか少し冷ややかに見える。
「……この乾酪が欲しいんですか?」
男は嫌そうな目をする。宁麗文のもの言いに癪に触ったのだろう。
「そうだとしたらなんだ? お前も欲しいのか?」
「は?」
「なんだよ」
宁麗文と男は互いに棘のある言葉に頬をひくつかせる。
「これを買おうが俺の勝手だろ。最後の一個ぐらい譲れ」
「なんだその言い方。私は友人のために買いに来たんだよ。そっちこそ譲れ」
二人は商品の前でバチバチと稲妻を鳴らすように睨み合う。それに徐々に周りの客たちもざわつき始める。
「もしかしてそのお友だちとやらにお遣いをさせられたのか?」
「違うけど? 私が買いに行くって言ったんだよ」
「ははん、嘘つけ。お前みたいなお子ちゃまがこんなところに来るわけないだろ」
「お子ちゃま言うな! 私は二十三だ!」
次第に頭にき始めた二人は乾酪を掴んでいた手を、それをそっちのけにそれぞれ押したり引いたりする。宁麗文の片手にはまだ他の乾酪があったが、それには力を入れず、また、男の片手にも乾酪があって力を入れていない。
一方その頃、いつまで経っても帰ってこない宁麗文を心配した肖子涵が蒼茫亭の中の群衆を、人の波を縫いながら店を探す。
「二十三? どう見たって十三だろ」
「どこにこんなデカい十三がいるんだよ! お前こそなんなんだよ⁈ いちいち突っかかってくるな!」
「突っかかってきてんのはお前だろ」
「そんなわけあるか!」
二人の前に店主が入ってきて「お、お客様……」と声を掛ける。それに宁麗文と男は目尻を吊り上げて「なんだよ!」と同時に発する。それに店主は怯えて卓の向こうへと逃げていった。
乾酪を含めた乳製品を取り扱う店を肖子涵は探していく。ふと耳に彼の声が大きく聴こえて顔を上げる。どうやら誰かに絡まれているらしい。踵を返して臙脂色の外衣をたなびかせながら走って、ようやくその店の前へ辿り着いた。そこの前にも群衆がひっきりなしに店の前を囲んでいて、肖子涵はまた人の波を縫っていく。そこから宁麗文と男の怒鳴り合いが大きく聴こえ始めて、肖子涵は目を丸くした。
「いいから早く譲れよ! 待たせてるんだから早く帰らないと心配されるんだ!」
「じゃあ最初から二人で来いよ! なんで一人で来てんだよ!」
「……えっと」
肖子涵の一言に二人が同時に彼を見る。
「肖寧⁈」
「子子⁈」
重なった宁麗文と男の声に、二人はまた顔を見合わせる。肖子涵は呆れた顔で溜息をついた。
「兄上、どうしてここにいるんですか」
それに宁麗文は驚いて肖子涵と「兄上」と呼ばれた男を交互に見る。
「兄上って……肖明豪⁈」
それに肖明豪と呼ばれた男は肖子涵と宁麗文を交互に見た。
「お前……その外衣、まさか子子の買ったやつか⁈」
二人は驚いて手を離す。気付けば店の前にガヤがいて、肖子涵を挟んでこちらの様子を見ていた。店主は怒られて怯えてしまって卓の奥に潜んでいる。宁麗文と肖明豪は互いに気まずくなって声を掛けた彼を見る。
肖子涵は見つめられても気まずくなるだけで、とりあえずと二人を会計に行かせた。
その後、彼に外に放り出された二人はそれでも互いを睨み合う。
「お前のせいであの乾酪が買えなかったじゃないか」
「いやお前が突っかかってきたせいだろ」
「だから突っかかってないってば!」
バチバチと目を吊り上げながら睨む二人に肖子涵は遠い目をしていた。
どうして宁巴と兄上がここで会ったのか、そもそもなぜ兄上がここにいるのか。
不思議に思いながらも腕を組んで頭を振る。周りを見ても店の前にいた人以外の群衆もちらちらと二人を見ていて、とてもいい気分ではなかった。
「なあ、肖寧。あの乾酪は絶対食べてみたかったよな⁈」
「何言ってんだよ。子子は乾酪なんて食ったことすらねえんだから言わないだろ! そうだよな、子子⁈」
「……」
「なんとか言え!」
また同じ言葉を発する二人に肖子涵は呆れてものも言えない。互いにグルルと言わんばかりに、喩えるなら宁麗文は気の速い野良猫のように、肖明豪は獰猛な犬のように威嚇し合う。
「肖寧はこいつをどう思う⁈」
「子子はこいつをどう思うんだ⁈」
同時に重なる同じ言葉に、肖子涵は困り果ててしまい、なんとも言えない顔をする。
「……とりあえず、俺の前で争わないでほしい」
「そういうことを聞いてるんじゃない!」
これで何回目だろう。宁麗文と肖明豪は仲がいいのか悪いのか分からないが、息の合い方だけはぴったりとくっついている。肖子涵は周りを見て、また二人を見る。どうしてもあの乾酪を手に入れたかった二人は次第に手を出し始めて、互いの胸ぐらを掴んだり頬を押したりする。それにとうとう頭にきた肖子涵は頬をぴくつかせて、睨む二人に苛立ちを見せ始めた。
「二人共」
「なんっ! ……だ……?」
肖明豪の頬を片手で押してもう片手で掴まれた腕を掴む宁麗文と、宁麗文の胸ぐらを片手で掴んでもう片手で押された腕を掴む肖明豪は肖子涵に向き直り、そして威勢のいい声を小さくする。そして徐々に顔を青ざめていき、彼の前で変な汗をかき始めた。
「うるさすぎる」
彼のその声は苛立ちを含め、そして周りからの視線が恥ずかしいという意味も含めた叱りに変わっていた。宁麗文と肖明豪は押され、掴まれた手をおそるおそる引き剥がして、代わりに両手を合わせて怯え始める。
宁麗文は埜湖森でいたずらに失敗した時の、あの怒られ方を思い出した。
「そこに直りなさい」
「……はい……」
店より少し離れた、広場の端で宁麗文と肖明豪の二人は正座になり、頭にきた肖子涵は二人を見下ろしながら説教を始めた。




