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護誓散華  作者: くじゃく
夢幻との燈
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三十五 炉(2)

 半日ほどして、夕餉の時間になった。宁麗文は二人の手伝いをしながらもそわそわと落ち着かない。夕餉ができあがった頃に戸に音が鳴る。亞夢が代わりに出て戸を開けると、そこにはびっしょりと濡れた肖子涵が脇に何かを抱えながら立っていた。それに彼以外の三人が驚き、特に宁麗文は顔を青ざめていた。肖子涵は中に入って亞夢が慌てて戸を閉めて拭くものを探しに行く。その間に万燈実は炉に炭を入れてから厨房へ向かった。宁麗文は席から離れて肖子涵の目の前に立ち、青ざめた顔のまま彼の腕を掴んだ。

 「肖、肖寧、君……」

 「平気だ」

 「そんなわけないだろ⁈ ああ、もう、どうすれば」

 肖子涵の腕を掴みながら慌てふためいている宁麗文に、厨房から粥を持って戻ってきた万燈実が落ち着かせる。

 「とりあえず、肖子涵は部屋に戻って寝てなよ。宁麗文は先に夕餉を食べて。亞夢」

 亞夢も大きな布を持って戻ってくる。頷いて肖子涵に布を渡し、外衣を脱がせて炉の近くに置いて乾かし始めた。肖子涵は顔色を変えずに、また震えもせずに宁麗文の手を優しく剥がす。そしてそのまま部屋に入って、宁麗文は泣きそうな顔で立ち尽くしてしまった。万燈実は彼を追って部屋に粥を置いてまた戻ってくる。

 「食べてから肖子涵のところに行きなよ」

 「う、うん……」

 宁麗文は青ざめた顔のまま夕餉を急いで食べ終わり、皿を厨房に置く。唖然とする万燈実と亞夢を置いてそのまま早足で部屋に入って、いつもとは違って髪を下ろしている、粥を食べている最中の肖子涵の前に手と膝をつけた。

 「肖寧、肖寧、大丈夫なのか?」

 「大丈夫だ」

 「本当に?」

 「本当に」

 肖子涵は顔を赤くも青くもせずに、いつものように粥を食べる。それとは打って変わって宁麗文は気が気でなかった。あわあわと床につけていた手を上げてどうすればいいか分からずに宙を掴む。肖子涵の口が最後の一口を入れて咀嚼をし、全て食べきって空の器を床に置いた。

 「宁巴。そんなに慌てなくていい」

 「慌てちゃうだろ⁈ な、なんで君はそんなに平然としてるんだ」

 「鍛えてるから」

 狼狽える宁麗文はその言葉に呆気に取られ、少しずつ平常心を見せていく。そういえば彼は約三年もの閉関をしていて、おそらくその前にも鍛錬もしているはずだ。しかも寒い地域である洛陽の生まれなのだから尚更なのだろう。そう考えて宁麗文は瞼を閉じて胸を撫で下ろした。

 「宁巴」

 名前を呼ばれて瞼を開けて見上げる。髪を下ろしている肖子涵は一歩も動かずに後ろから大きい包みを彼の目の前に置いた。

 「あなたの外衣だ」

 「外衣?」

 肖子涵が頷くのを見た宁麗文はおそるおそるその包みの結び目を解く。中には純白の分厚い外衣が入っていて、彼と同じく首元に毛皮が施されていた。宁麗文は目を丸くして外衣と彼を交互に見る。

 「もしかして、洛陽に行ってたのって。これのため?」

 肖子涵が頷く。宁麗文は安堵を示す顔をしながらも泣きかける顔を見せる。

 「買いに行くんだったら、あの時にちゃんと言えよお……びっしょりになって帰ってきて、本当に心配したんだ……」

 自分の外衣を両腕で抱き締めながら彼の胸元に額を押しつける。肖子涵は何も言わずに彼の両肩を掴んでゆっくりと引き剥がした。

 「言えばあなたも着いていきそうだったから」

 「言ってくれれば安心して待ってたよ。それに、君に迷惑を掛けたくないんだ」

 肩を掴まれながら唇を震わせる。じわりと鼻の奥が熱くなって痛くなり始めて目尻に少しだけ涙が浮かんだ。肖子涵は「すまない」と瞼を伏せる。

 「肖寧」

 「どうした」

 宁麗文は顔を上げて彼の顔をよく見る。その時には近くなっていたが、彼はいつものように恥ずかしがることもせずにまっすぐと黒い双眸を見つめていた。肖子涵はそれを厭うこともせずに両肩から手を離す。

 「抱き締めてほしい」

 それに肖子涵は思わず声を漏らしてしまう。宁麗文は下唇を噛んでからまた口を開いた。

 「私を心配させた罰だ。私がいいって言うまで抱き締めてよ」

 目尻に涙を溜めて今にも流れそうな彼に肖子涵の目が揺らぐ。瞼を伏せながら視線をあちらこちらに移して、口を閉ざしては開く。

 「ダメだ。俺はまだ濡れている。あなたを抱き締めては、あなたも濡れてしまう」

 「いい、別にそれでもいい。濡れてもいい。それでもダメなの?」

 「……」

 肖子涵の目を宁麗文は覗き込む。姿勢を崩しそうになって外衣を抱いていた片手で彼の胸元に触れる。宁麗文の指先から湿った服とその奥の彼の体温が混じって伝わる。肖子涵は一つ息をついて「宁巴」と彼を呼んで腕を広げた。

 宁麗文は外衣を横に置き、膝で一歩、二歩と近付いて手を彼の背中に回す。肖子涵の片手は彼の頭に、もう片手は腰に回して、ぐっと近付ける。宁麗文はそのまま彼の膝の上に乗って首元に顔を埋めた。

 「本当に、君が生きていてよかった」

 宁麗文は震える唇で呟く。

 「君が死んでしまったら、私はどうすればいいの」

 背中に回した手に力が入る、その手は酷く震えていた。肖子涵は何も言わずに彼に触れる手に力を込める。宁麗文は彼の服の湿り気が自分の服にも伝わっていても決して離れようとはしなかった。

 そのまましばらく、宁麗文が小さく泣いて落ち着いた頃に背中を回していた手の力を抜く。

 「……もういいよ。ありがとう」

 肖子涵はそっと手の力を抜いて彼と少しだけ離れる。宁麗文は鼻をすすって涙を手の甲で拭った。

 「……服が気持ち悪いだろう」

 「全然。別にこのぐらいならいいよ。肖寧は嫌だった?」

 肖子涵は首を横に振る。宁麗文は気の抜けた顔で柔らかく笑った。また鼻をすすって肖子涵の膝から降りる。もらった外衣を持って立ち上がり、彼の目の前で羽織って紐を結んだ。

 「どう?」

 宁麗文は横にくるりと一回転して肖子涵に短く問う。肖子涵は優しく微笑んで「いい」とだけ返し、短い返答でも宁麗文の口元は上がったままだった。

 「君とお揃いだ。これなら、冬でも一緒に歩けるよ」

 外衣の端を掴んで更に包み寄せる。結んだ紐が弛んだが、さして気にはならない。肖子涵は宁麗文を見上げたまま優しく笑って立ち上がって、毛皮に触れる彼の頬をそっと撫でる。宁麗文はそれに擦り寄せてまた肖子涵の胸元に額を押しつけた。

 

 雪が止んだ。一ヶ月ほど、しばらく滞在していた二人は外に出て万燈実と亞夢に別れを告げる。

 白い外衣を羽織った宁麗文はにこにこと笑顔を浮かべながら白い息を吐いた。

 「色々とありがとう」

 「いいよ。元気になってよかった」

 万燈実も笑って亞夢の肩に肘を掛ける。亞夢は下ろすこともせずに万燈実と笑った。

 「またいつ降るかは分からない。その時は俺たちのことを思い出してくれよな」

 「ああ」

 宁麗文と肖子涵は互いに顔を見合わせてから万燈実と亞夢に向き直る。そして二人で拱手をしてその場を去った。

 それを亞夢は見ていた。ぼんやりと二人を見ていて、白い息を吐く。

 「二人共、これから幸せになれたらいいね」

 万燈実が肘を下ろして腰に手を当てる。

 「うん。きっと、あの二人は幸せになれるよ。さ、中に入ろう。残った魚を捌こう」

 「そうだね」

 万燈実と亞夢は家に入ってゆっくりと戸を閉めた。

 外に出て、銀世界を踏みながら宁麗文は自分が上げる白い息を見つめながら笑顔になる。肖子涵はそれを横目で見ながら目を細める。

 「ねえ、肖寧」

 万燈実と亞夢の家に入る前までのいつもと同じ、元気な声で彼を呼ぶ。

 「どうした」

 「冬って、いいものなんだね」

 肖子涵は彼を見た。宁麗文もまた、微笑みながら彼を見る。また寒くなり始めて白い鼻に赤が宿る。しかし、宁麗文は前のように震えたりはしなかった。

 「ああ」

 「去年までは思えなかったけど。でも、君がいるからそう思えるようになったよ。ありがとう」

 宁麗文の肩が外衣越しに彼の二の腕に当たる。肖子涵はそれを受け入れながら微かに笑う。

 「構わない」

 「ふふ、これからどこに行く?」

 「あなたが行きたいところなら、喜んで着いていく」

 宁麗文は小さく頬を膨らませてから「今度は君が決めてよ」とまた寄る。肖子涵は瞼を伏せて立ち止まる。宁麗文も続けて止まれば、温かい彼の手が頬に触れて目を細めた。

 「俺が行きたいところは、あなたの行きたいところだ」

 宁麗文は口元を緩ませて目を弧にした。

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