三十四 初雪(3)
万燈実は剣を佩いて防寒具を着る。それに気付いた亞夢も同じように防寒具を着た。
「俺たちは今から外に出てくる。炉の火が消えかけてたら炭を入れておいてくれ」
「分かった」
万燈実は優しく笑ってから先に家を出る。亞夢も振り返ってからまた前を向いて、続いて彼の後を追った。
冷え込む外の空気が閉ざされた後、肖子涵は炉の様子を見る。まだ火は強いままで、しばらくは大丈夫だろう。宁麗文の身体は暖かくはなっているが、それもいつかは冷めてしまう。肖子涵は自分の外衣を彼の肩に掛けた。
「ありがとう」
「ああ」
宁麗文は片手で外衣の端を掴みながら茶を啜る。ふんわりとした暖かさが身に染みて、少しずつ元気になり始めた。ぼんやりとしていた意識がはっきりとしてきて、頭の中で必死に話題を考えていた。
「……あのさ、肖寧」
「なんだ」
宁麗文は躊躇うように言葉に迷う。話題を考えに考えた結果、前から琳玩での、あの口付けのやり方について、なぜ彼が慣れているかのように上手かったのかという疑問が思いついたのだ。肖子涵は彼の次に出る言葉をじっと待つ。宁麗文は視線をしばらく泳がせてから意を決したように顔を向けた。
「君、どうしてあんなに上手いんだ?」
「なんの話だ?」
「あ、えっと……」
主語を入れ忘れて意味の分からない質問をしてしまった宁麗文は恥ずかしくなって顔を逸らして赤くなる。外衣を両手で更に引き寄せてから、俯いたまま小さく言った。
「り、琳玩での……口、口付けのこと……」
「口付け」
恥ずかしがりながら頷く彼に肖子涵は瞬きをする。返ってこない答えに宁麗文は心の中で焦り始めていた。
(な、なんで聞いちゃったんだろう。肖寧にとっては意味の分からない質問だと思うし、私だってなんで聞いちゃったのかも分かんなくなってきちゃった……!)
ぐるぐると頭の中で考えを巡らせている彼に肖子涵は「前に人としたことがある」と答える。それに宁麗文は思いきり顔を上げて彼を見た。
「前に? 誰と?」
「言わない」
「な、なんで? もしかして好きな子と?」
「……言わない」
肖子涵は決まりの悪い顔で彼から顔を背ける。宁麗文は彼からそっぽ向かれたこともそうだが、既に初めてを奪ってしまったわけではないと知って衝撃を受けてしまったのだ。
(ま、まあ確かに。好きな子としてたかもしれないし、事故の可能性だってあったかもしれない。……けど、けど、なんだろう。ちょっと悔しいというか、悲しいというか)
宁麗文は眉を下げて段々と俯いていく。肖子涵は再び彼を見て、今度は自分から聞いた。
「宁巴はしたことがないのか」
それにまた顔を上げる。
「昔、一回だけ」
「一回」
「うん」
それに今度は肖子涵の目が見開かれて、少しの衝撃を受けたような顔をする。宁麗文はそれにわけが分からなくなって困ってしまった。
「だ、大丈夫。ただの事故みたいなものなんだ。えっと、その……決して、自分からとか相手からとかじゃない」
焦りながら言い訳を述べていく宁麗文の声は次第に小さくなっていく。
事故だとか故意だとかは人それぞれなのだから、それほど慌てるようなものではない。宁麗文はそれを分かっていながらもぐちゃぐちゃとした言い訳を彼にぶつけてしまった。もはや何を伝えたいのかすらも分からず、また目をぐるぐると回してしまう。
肖子涵は焦る彼をただただ見るだけでそれ以上は何も言わなかった。それがむしろ、宁麗文を焦らせる原因にもなった。そのまま気まずい時間を過ごして、いたたまれなくなった宁麗文は茶を一気飲みして部屋に戻ろうと席を立つ。肖子涵は我に返って彼の腕を掴んで引き止めた。
「え、し、肖寧?」
振り返った宁麗文に肖子涵の手が更に引き寄せる。そのまま引っ張られて彼の前に立たされた。何をしたいのかが分からない宁麗文はまだ頭の中が混乱している。
「肖寧、何をしたいの?」
「……いや、その……」
下唇を噛んで気まずい顔をする宁麗文に肖子涵は視線を泳がせる。腕を引っ張っていた手を離して俯いてしまった。彼の言葉の続きを待つ宁麗文は離された腕に少しばかりの淋しさを覚える。肖子涵は立ち上がって切なそうな顔を浮かべた。宁麗文はそれに戸惑いながらも視線を逸らさずに見つめる。互いに互い、また気まずい空気が流れていることに気付いていた。
宁麗文はいてもたってもいられず外衣を引っ張ってすぐに部屋に閉じ籠る。置いていかれた肖子涵は目を丸くしてからまたしばらく落ち込んでしまった。
部屋に入ってすぐに戸を閉めた宁麗文は、そのままずるずると外衣を両手で引っ張りながらしゃがみ込んでいく。熱くなった頬はきっと炉がそうさせたのだと自分に言い聞かせる。
(さっきのあの顔、初めて見た)
宁麗文はもやもやとした気持ちに気付いていながらも立ち上がることはできなかった。まるで腰が抜けたような、そんな感覚だった。外衣から手を離してしまえば、その指は切なそうに臙脂色を求める。宁麗文は両手で顔を覆いながらどうしようか思い悩んでいた。
部屋の外の肖子涵は閉ざしていた口をまた開いて、声に出せずにまた閉じる。瞼を伏せてから頭を強く振って溜息を吐いた。その時に外に繋がる戸が開かれて二人が帰って中に入る。
「ただいま。あれ、宁麗文は?」
「……部屋に」
万燈実の後ろにいた亞夢が戸を閉める。二人は鼻の上を赤くしていて、手には大きな嚢がそれぞれ二袋ある。それを卓の上に乗せて中身を開いた。中にはフナやライギョなどと、様々な魚が顔を覗かせていた。それを小さい氷室に入れておき、二尾を厨房に持っていく。
「肖子涵はそこで待ってなよ。今から飯作るから」
「ああ……」
氷室に魚を入れていく亞夢が元気のない肖子涵に首を傾げる。
「何かあったんですか?」
「いや……」
まるで叱られた後の犬のようなしおらしさに二人は首を傾げる。そういえばどことなく気まずい雰囲気が漂っている。万燈実と亞夢は彼ら二人の間に何かがあったんだとなんとなく察してしまって、万燈実が彼を厨房に呼んだ。
「燈実、あの二人って……」
「どっちもいいとこのお坊っちゃんだよ。けど、関係性までは知らない」
「仲いいとは思ってるけど、なんかどこか変な感じがする……」
「俺もそう思うけど……まあ……そっとしておこう」
亞夢は肖子涵を後ろ目にちらちらと見ながら頷く。万燈実と亞夢は宁麗文と肖子涵の空気に巻き込まれて互いに気まずくなってしまった。むしろ家に入れなければこうはならなかったかもしれない、しかし彼らを入れなければ宁麗文が死んでしまうこともあっただろう……と考えては悩んでしまった。
それでも昼餉の準備を進めて二人は肖子涵のいる卓に魚料理を振る舞う。亞夢は宁麗文がいる部屋の戸を叩いて居間へ呼んだ。少し開けた宁麗文は肖子涵の外衣を羽織ったまま、少し赤らんだ顔で自分を呼んだ彼を見上げる。亞夢はそれにまた戸惑って困惑してしまった。
「まだどこか悪いところが?」
「いえ……」
宁麗文は肖子涵を一目、横目で見てから瞬きをして怒られた子供のようにしおらしくなる。亞夢は更に困ってしまって、万燈実に顔を向けた。悲しいかな、彼はまだ飯を乗せた食器を並べている途中で亞夢の視線に気付かない。
(どうしよう、こんなに気まずいのは初めてだ!)
亞夢は目をぐるぐると回しながら心の中で頭を抱えて、とりあえずと宁麗文を肖子涵の隣に座らせる。二人は互いに顔を合わせずに俯きながら食事に手をつけ始めた。
「ね、ねえ。どうすればいい?」
亞夢は小声で万燈実に助けを求めるが、彼も頬をぴくぴくと動かしながら困る。
「どうすればいいって、俺が聞きたいよ。亞夢、なんとかしてくれ」
「む、無理だよ! だってまだ会って一日だよ。燈実は何回か会ったことがあるんでしょ? 燈実がなんとかしてよ」
万燈実は心の中で「俺だって無理だよ!」と叫びながら、とりあえず箸を進める。
宁麗文は小さい口で食べ進め、脱いだ肖子涵の外衣の手触りと自分の体温に淋しさを覚えながら、少しだけ肖子涵を見てはまた俯いた。
肖子涵もまた小さい口で少しずつ食べ、頭の中で聞けなかったことに後悔しながら、ぎこちない視線で宁麗文を見ては瞼を伏せた。
万燈実と亞夢はその様子を見て二人して気まずくなり、そして焦りながら食事を平らげた。




