三十四 初雪(2)
その間、宁麗文は何も嫌がらずにまた粥を食べ始める。粗方なくなったところで宁麗文は膝を立てて腹と膝の間に布団を巻き込んだ。
「……肖寧」
「なんだ」
「君、暖かいな」
宁麗文は少し身動ぎをして彼の顔を見る。肖子涵はその顔を見て小さく笑った。
「あなたは、冷えている」
「寒いからね」
彼のその笑みを見て自分も小さく笑ってから瞼を伏せる。間を置いて小さく口を開いて、宁麗文は息を吐く。
「肖寧」
「うん?」
「退屈だったらでいいんだけど、私の話を聞いてくれないかな」
彼は肖子涵を見ない。肖子涵は瞼を伏せて小さく身じろいで頷いた。宁麗文はまた小さく笑って、そして表情を消した。
「……昔はね、冬の時期は特に身体が酷かったんだ」
伏せった瞼を開くこともせずに肖子涵の肩に自分の頭を置く。
「何をやっても全然治らなくて。父上や母上を困らせて……悔しかったし辛かった。あんまりないけど、今でも冬だけは怨詛浄化とか他の依頼を受けないし、家の外に出られないんだ。また皆を困らせたくなくて。……嫌だったから、出たくなかった」
「それなら、春になるまで江陵にいればよかったのに」
宁麗文は力なく首を横に震る。その顔には引き攣った微笑みが張りついていた。
「君といろんなところに行きたかったから、やめた。まだ、話し足りないんだ。まだ一緒にいたい。これ以上江陵で迷惑を掛けたくないんだ」
「……」
宁麗文は自分で言ったことをそのまま反芻して少し笑った。
「でも、そうしたら、君に迷惑が掛かっちゃうか」
「掛けてもいい。俺を困らせてでもいい」
肖子涵の両腕が彼の腹を包む。宁麗文は目を見開いて彼に顔を向ける。小さく開けた口を噤み、少し間を空けて下に歪めてから顔の向きを戻して俯いた。その眉間には皺が寄っていて、小さく何度も首を横に振って両手で顔を覆う。
「やっぱり、君は優しすぎるよ」
「優しくない」
「嘘だ。私に優しすぎる。もし私が悪者になったらどうするんだよ」
「その時は俺もあなたと一緒になる。あなたと同じ、悪になる」
肖子涵は両腕に力を込めて瞼を伏せる。
「宁巴」
「……」
「あなたは生まれてきていい人だから、自分で自分を責めないで。もっと周りに迷惑を掛けていい。周りに頼りすぎてもいい。身体が弱かった自分に後悔しなくていい」
宁麗文は掌を指で包んで目元を押さえる。
「自分を卑下しないで。俺はそういうあなたが嫌だ」
「……」
「笑っていてほしい。そういうあなたをずっと見たい」
「……うん……」
宁麗文は肩を震わせて小さく何度も頷く。肖子涵は微笑んで両腕の力を抜く。名前を呼んで彼を振り向かせて両手を離して瞬かせて流れる涙をそっと拭う。宁麗文は下唇を少し噛んでから開く。その声は酷く震えていた。
「肖寧」
「うん」
「わ……わた、私ね。……後悔、してるんだ。身体の、ことだけ……じゃない。ずっと人の、大切な人を救えなかった……」
「うん」
「く、可馨さんも。秦麗孝のっ……お姉さんの、秦雪玲さんも……救えなっ、かった。……あ、杏華坊の、人たちも、皆、救えたのに……皆、救えなかった」
宁麗文の後悔の言葉が流れると同時に、彼の目からも後悔の涙が溢れ出す。
「わた、私だけ……家訓を、理解、できてない。誰も、何も、救えない……救え、なかった……」
次第に泣きじゃくり、鼻をすすりながら顔を俯かせる。肖子涵はそれでもずっと彼の頬を撫でていた。
「私……生きていいのかな……弱いままでも、救えなくても、いても、いいのかな。そんな私でも、いいのかな。……肖寧、教えてほしい……答えて、ほしい」
「生きていい。生きてほしい」
ゆっくりと顔を上げた宁麗文には後悔の渦に巻き込まれて、絶望しきった表情があった。肖子涵はそれを見ても何も厭わずに彼の頬を優しく撫でて涙を拭っていくだけだった。
「どんな人にも過ちを犯すことはある。あなただけが失敗しているわけではない。間違えてしまってもいい。間違えてしまったら、それを取り返せばいい」
肖子涵は一つ息を吐いて、瞼を一度閉じてから開く。
「あなたがいることで、救われた人はいる。あなたが見逃してしまって後悔しても、その前に希望を持てた人はいたはず。あなたは全て救えなかったわけじゃない」
宁麗文は彼からの言葉にゆっくりと強ばった顔が和らいでいくのを感じる。鼻をすすってその言葉にまた頷く。
「あなたがいることで、俺はここにいられる。それだけは忘れないで」
「……うん」
肖子涵は目を優しく細めて微笑んだ。宁麗文もぎこちないが同じように微笑んで、胸元に頬を擦り寄せた。
そのまま肖子涵の腕の中で寝てしまった宁麗文を、起こさないように敷布に寝かせて布団を掛けた。流れる茶色の髪を優しく手で梳いてから頭を撫でる。肖子涵は瞼を伏せてまた手の甲で頬を撫でた。そのまま部屋を音を立てないように出る。そこには万燈実と亞夢が卓で茶を啜っていた。肖子涵が来たのを亞夢が気付いて椅子に座らせる。
「宁麗文さんは大丈夫でしたか? 彼、相当弱っていたみたいでしたが……」
「大丈夫だ。今やっと寝た」
「そうですか……」
亞夢は安心して茶を啜る。万燈実は肖子涵に茶を淹れながら「いつから一緒にいるんだ?」と問う。
「半年近くほど」
「結構長いこといるんだな。閉関してたって聞いてたけど、それも半年ぐらい前から?」
肖子涵が頷いて、もらった茶を飲んで一息ついた。
「亞夢と言ったか」
亞夢は名前を呼ばれて背筋を伸ばす。
「はい」
「お前は妖だろう」
その言葉に二人は固まる。肖子涵はそれを見ても特に何も思わなかった。
「秦麗孝から聞いた。妖と共に過ごしている人間がいると。お前たちのことだろう」
「……なんで分かったんだよ」
万燈実は苦虫を噛み潰したような顔で肖子涵を睨む。亞夢は困惑したまま背中を丸めて俯いた。
「最近の怨詛浄化は少ないし、特にこの冬の時期は邪祟も出にくい。その時期にお前は唐厭にいなかっただろう。だから分かった」
「うちのところにも来てたのか……」
万燈実は立ち上がって亞夢の近くに立つ。剣を佩いてはいなかったが、彼の前に腕を一本伸ばしていた。亞夢は困った顔を浮かべながら彼を見上げている。
「それで、亞夢をどうするんだ? 浄化するつもりか?」
肖子涵はそれに首を横に振る。
「浄化はしない。……実害が出るまでは」
「実害って。亞夢はそんなことしない」
「別にするとは言っていないだろう。それに、宁巴がお前たちの過ごし方を聞きたがっていた」
意外な返し方に万燈実も亞夢は互いに顔を見合わせる。伸ばしていた腕を下ろして、気が抜けたように胸を撫で下ろしてからまた席に着く。亞夢は戸惑いながら万燈実と肖子涵を交互に見て、気まずい顔をして茶を啜る。
「宁麗文には言うのか?」
肖子涵はまた首を横に振って「言わない」と返す。二人は安堵の息を吐いた。
「まあ、もう、夜も遅いし。君も寝なよ。明日も降ってるだろうし、まともに動けないと思うからまだここにいなきゃいけないけど」
「構わない。感謝する」
肖子涵は茶を一気に飲んで席を立つ。戸に手を伸ばす前に二人に振り返って会釈をして静かに入った。それを見ていた二人は互いに顔を見合せて口を閉じては開く。
「なんで、僕が邪祟だってすぐに分かったんだろう」
「さあ。秦麗孝が言ってたのもただの噂だし、亞夢も人になってるんだからそれこそ普通は分からないはずなんだけどな。俺たちも何も言ってなかったし。まあいいや、俺たちも寝よう」
亞夢も頷いて「おやすみ」とにっこり笑った。
朝になって肖子涵が先に起きる。二組の布団のはずだったのだが、無意識なのだろう、宁麗文が彼にくっついて寝ていたらしい。泣き腫らした目元は赤くなっているが顔色は元通りになっていた。肖子涵は彼の頭を撫でてからゆっくりと離れて身支度をする。髪をひとまとめにしてから片膝を立てて彼の肩を小さく揺する。肩を触られたことで起きた宁麗文はぼやぼやとした視界で腕で身体を起こす。
「おはよう」
「……おはよう」
「よく眠れたか」
「うん」
宁麗文は瞼の腫れに気付きながらも何度も瞬かせて髪を手ぐしで整える。
「ごめん。昨日、ずっと泣いてて」
「構わない」
肖子涵は彼の前に両膝をついて片手で彼の手を優しく包む。
「また辛かったら言ってくれ。何度でも聴く」
「うん」
宁麗文は立ち上がって身支度を始めた。その間に肖子涵は部屋を出て万燈実を探すと彼は厨房で朝餉を作っているところだった。肖子涵の物音に気付いて振り返って「おはよう」と声を出す。
「宁麗文の様子は?」
「大丈夫だ」
「そっか。粥はいるのかな」
「後で来るから、その時に」
万燈実は頷いて卓にできた朝餉を置いていく。亞夢も少しすれば部屋から出て、ぽやぽやと眠たげに欠伸をして目を擦っていた。
「おはようございます……」
「おはよう。亞夢、顔洗ってこいよ」
「うん……」
亞夢はそのまま厨房で顔を洗う。肖子涵は席に着いてただじっと待っていた。万燈実はそれを見て宁麗文を待っているんだと勘づいて何も言わなかった。
間を置いて宁麗文も戸を開けて出る。きっちりと髪も結い上げられていて、目は腫らしたままだが微苦笑をしていた。
「おはよう」
万燈実が彼に声を掛ければ同じように返される。宁麗文はそのまま肖子涵の隣に座って料理を見た。
「宁麗文、粥はいる?」
「大丈夫。もう平気だよ」
万燈実はにっこりと笑ってから別の皿を出して朝餉の一品をよそう。それを宁麗文の前に置いて自らも席に座る。同じ時に亞夢も席に着いた。四人で飯を食べ始めて、宁麗文はちらりと窓を見た。まだ雪は降ったまま止もうとはしない。それに憂鬱になって箸が止まる。肖子涵は彼を見て瞼を伏せて名前を呼んで振り向かせる。宁麗文は微かに笑ってからまた箸を動かした。万燈実と亞夢はそんな彼を心配して、亞夢が途中から席を立って茶を用意する。
「あまり無理をしないでください」
「ありがとう、ございます」
食事を終えた宁麗文は小さく茶を啜る。冬の間の彼は、昔のこともあってあまり活発になれない。肖子涵はそれを知ったから彼の傍にいることしかできなかった。




