三十四 初雪(1)
翌日になり二人は身支度を終えて宿を出る。しばらくは宁麗文が肖子涵に膳無を紹介するために滞在して、ある程度の日数を過ごしてから蒼茫亭を通って膳無から出て辺りを歩く。冬になってきたからか雪も少し重なっていた。宁麗文は身震いをしてから吐いた白い息を見て、その次に彼を見る。
「寒いな。君はそれがあるから羨ましいよ」
肖子涵は自分の外衣を見てから彼を見る。
「着るか」
「えっ」
宁麗文は驚いた。寒いだろうに、あろうことか彼は宁麗文に外衣を貸そうとしている。慌てて「いいよ、別に」と断った。
「それじゃ君が寒くなっちゃうよ」
「平気だ。洛陽は寒い地域だから慣れている」
「そうなの? だからその外衣なの?」
頷く彼に洛陽に行ったことのない宁麗文は瞬きをして「へえ」と納得する。
「だから貸す」
彼が返事をする前に紐を解いてするりと外衣を脱いで肩に掛ける。ずっしりとした重みで肩が若干痛くなったが、肖子涵の体温が元から高いからかその中はとても暖かった。
「あ、ありがとう」
「ああ」
宁麗文が顔を下に向けてみる。彼の分厚い外衣は彼の身長に合わせているようで、宁麗文の背丈ではいくらか地面に接してしまっている。困った顔をしながら彼を見上げた。
「君の外衣は長いから、ずっと引きずったまま歩くことになるけど……」
「構わない」
「はあ……」
宁麗文は呆れながら頭を少し振る。
「あんまり無理するなよ?」
「平気だ」
「頑丈すぎるだろ……」
そのまま外衣を掴みながら進んでいき、膳無と唐厭の間まで辿り着く。宁麗文は肖子涵の外衣を羽織って引きずっていても雪を集めているようで、顔と下半身が寒く、また身震いをした。寒さに慣れている肖子涵は彼に「どこかで休もう」と声を掛ける。宁麗文も寒さに震えながら頷いて休める場所を探す。
雪が降ってきて、傘の持っていない二人の頭に雪が掛かり始める。宁麗文は頭も冷え始めて震えが止まらなくなり、とうとうその場で蹲った。
「寒い……」
冬に全く外に出られない宁麗文にとって、寒いのは堪えるらしい。だから彼は冬に着る分厚い外衣を持っていないのだ。
三年前の杏華坊での生活の時はほとんどを借家で過ごし、唐秀英に任せっきりだった。それほどまでに冬という季節は恐ろしく感じている。
肖子涵は心配そうに彼の前で片膝を立てて頭に掛かった雪を払う。
「宁巴。少し我慢してくれ」
「へ?」
寒さで青くなった顔で見上げた彼を肖子涵が横に抱く。急に抱きかかえられた宁麗文は驚いて身を硬くしたが垂れてしまった外衣を慌てて引き上げて身を包む。まさか脇ではなく本当に横に抱えられるとは思わなかったのだ。
宁麗文は呆然としながら彼の顔を見る。唇を見てしまったが、それよりも横に抱えられたことの方が大きかったらしく、ずっと彼の顔を見つめていた。肖子涵はそれでも平然としていて、そのまま歩き出す。
「その……君、重くないのか?」
「重くない」
「そ、そう……」
宁麗文は彼の顔から自分の手元へと逸らす。次第に赤くなり始めたが、それは暖かくなり始めたからなのか恥ずかしさからなのかは分からない。抱きかかえられたまま外衣をもう一度掛け直して毛の部分に顔を埋める。肖子涵が羽織っていた時の温もりは自分の体温と変わってしまって、それが少し淋しくなった。
時折身震いをする宁麗文を心配しながら、肖子涵は外衣を羽織っている時と変わらない歩調で彼が暖まれる場所を探す。降り始めた雪が多くなった頃に一軒の民家を見つけた。そこから奥を見るとどうやら一つの村があるようだ。肖子涵は一番最初に見つけた民家に声を掛ける。小さく開いた二枚の戸の向こうを寒さでかじかむ宁麗文は見た。
「……肖子涵? と、宁麗文?」
「……え」
焦げ茶の長い髪は半分を上にひと房にまとめて、半分を下に垂れ流している。真ん中に分けられた前髪から薄く細い束が真ん中から姿を現して左へとなだらかに流れている。宁麗文とほぼ同じかやや高い背丈を持ち、彼のような白い服装をややゆったりめに着ていて、その中の浅い朱の玉佩が顔を見せていた。二人を見て驚いている、髪と同じ色の双眸は丸々としていて微かな幼げが現れている。宁麗文よりも少し太いその眉は平行になっていて、青年と言うよりかは少年にやや近い顔つきだ。
そこにいたのは、先日は見掛けなかった唐厭万氏の次期宗主である、万燈実だった。彼は瞬きをしてから二人を交互に見る。三人はしばらく呆然として、宁麗文がくしゃみをしたのを合図に慌てて家に入れた。
炉に炭を入れて火力を強くする。宁麗文は肖子涵の外衣を羽織ったまま炉の前で縮こまっていた。近くの卓に万燈実が二人分の茶器を用意して茶を淹れる。
「なんでここに来たんだ?」
それに席に着いた肖子涵が答える。
「偶然だ。宁巴の体調が悪くなったから急いで休める場所を探していた」
「そうなんだ。ここはしばらく雪が降るかもしれないし、その間に温まってけよ」
「感謝する」
肖子涵は会釈をして宁麗文を見る。鼻をすすりながらかじかんで真っ赤になっている耳を何度も触っていた。彼の名前を呼べば震えながら肖子涵を見た。万燈実は宁麗文の近くへ来て茶の入れた茶器を渡す。宁麗文は彼に礼を述べて茶を小さく啜った。
肖子涵は改めて民家の中を見渡す。外見はあまり見えなかったが、中を見てみると普通のどこにでもある民家よりかは広い。店の構造とやや似ていて、壁と戸が三、四組とあっておそらく部屋の数は四、五部屋ほどだろう。そのうちの一部屋からもう一人の、万燈実よりも背の低い青年が現れる。彼は栗色の肩まである髪を万燈実と同じように結っていて、そのひと房は後頭部で輪にまとめていた。動きやすく暖かな勿忘草色の服を身にまとっている彼は深碧の大きくつぶらな双眸を持つ優しい顔立ちをしていて、かなりの好青年だと伺えるだろう。
「燈実。お粥できたよ」
「亞夢」
亞夢と呼ばれた青年が万燈実に粥を渡す。湯匙で一口分を掬いあげて宁麗文に食べさせる。肖子涵はそれに目を細めながら見つめていた。彼の様子に亞夢が「えっと……」とおそるおそる声を掛ける。
「旅のお方ですか?」
「ああ」
亞夢は急に背筋を伸ばして「お疲れ様です」とにこやかに笑う。万燈実は粥を宁麗文にあげながら肖子涵に顔を向けて「彼はここの人なんだ」と言う。
「宁麗文。一人で食べられるか?」
「うん。ありがとう」
宁麗文は茶器と粥を交換してそれから一口、また一口とゆっくり食べていく。それを見つめるばかりの肖子涵に万燈実は茶器を卓に置いて苦笑する。
「せっかくなら泊まってけよ。布団はまだあるんだ」
「いいのか?」
万燈実と亞夢は頷く。どうせ外に出ればまた同じことの繰り返しだ。肖子涵は一つ安堵の息を吐いた。
「なら、言葉に甘えさせてもらう」
二人はそれぞれ一部屋で寝ているらしく、余った空の部屋に案内された。その後に亞夢に客用の二組の布団を用意してもらい、万燈実は小さい炉を隅に置く。肖子涵は宁麗文をまた横に抱いて敷いてもらった布団に包ませる。髪を解いて髪飾りを枕元に置いてから頬を手の甲で触ると、少し冷えてはいるが顔色は少しずつ戻ってきていた。肖子涵が立ち上がろうとすると宁麗文が彼の腕を掴む。驚いて見れば鼻をすすった彼が瞼をぎこちなく揺らしていた。
「行かないで」
その言葉に肖子涵は軽く驚き、そして部屋の前にいる万燈実と亞夢を見る。二人は宁麗文の言葉が聞こえなかったらしく不思議そうにこちらを見ていた。肖子涵は腕を掴まれながら二人と彼を交互に見て、口を小さく開いた。
「すまない、粥をこちらに持ってきてくれないか」
万燈実は何かを察したらしく頷いて残りの粥を持って部屋に入る。この部屋には卓がないので、仕方なく床に置くしかなかった。
「お茶もいりますか?」
亞夢が問う。肖子涵はそれにも頷いて、盆に乗せてもらった茶器と茶壺を置いてもらった。
「また何かあったら言って」
「ああ」
万燈実と亞夢は微笑んでその部屋の戸を閉めた。
燭台に乗っているろうそくの火がぼんやりと揺れている。肖子涵は宁麗文の前に正座をして彼の頬を撫でていた。宁麗文はそれを厭わずにただただ淋しそうな顔ばかりする。
「腹はまだ減っているか?」
「……うん……」
宁麗文を起こして布団を肩に掛けさせて、肖子涵は粥をひと匙掬って彼に食べさせる。外にいた時の寒さと部屋にいる時の暖かさの寒暖差で宁麗文の頭はぼんやりとしていた。歯を湯匙に何度も軽く当てながらも匙を啜っていく。それは生まれたての雛に餌をやるような、ぎこちなくて壊れそうな感覚だった。肖子涵は弱っている彼を心配し、苦しそうな表情を浮かべて少しずつ口に入れさせる。そのうち宁麗文の両手が彼の手ごと器に触れた。
「……あったかい」
瞼を小さく震わせながら呟く彼に肖子涵は辛くなっていた。粥を床に置いてあぐらをかいて彼を呼んで腕を優しく引っ張る。力をなくしている宁麗文はなすがままにその腕の中に入って、肖子涵は彼を自分の脚の中に入れる。そのまま自分と彼の下半身に布団を置いてまた粥を持った。




