三十三 噂(3)
数日ほど掛けて歩いて、ようやく唐厭に着く。二人は門の下をくぐり抜けて中に入った。確かに肖子涵の言うように、葬儀店ばかり並んでいるわけではない。江陵とはやや劣るが、それでも様々な店が立ち並んでいて、所々に冠婚葬祭用の磁器店や雑貨店、葬儀店などがあり、また万屋もあった。
「いっぱいあるね」
「ああ」
二人はそれぞれの店に入って商品を見ていく。葬儀店に入れば気前のいい店主が元気よく迎えた。
「何かご用でも?」
二人は顔を見合わせてから店主を見て「紙銭を」と言う。彼は数も聞いてからそれを用意し、肖子涵が金を払って嚢に入れた。
「いつかの時にね。可馨さんのお墓参りにまた行くかもしれないし」
「そうだな」
店を出てまた他の店に行く。途中で食事処で食事を済ませて、ある程度まわってから唐厭から離れた。
「そういえば、まわってる間に万燈実を見掛けなかったな。今年最後の怨詛浄化に行ったのかな?」
「そうかもしれない。また増えたのかもな」
「うぅん、出てくる時期って本当にバラバラだよね。決まった時期に一気に来てくれたら助かるんだけど」
宁麗文の言葉に肖子涵は苦い顔をして呆れた。
時折呟く彼の言葉はどこか無神経なところがあって、それを無意識に言ってしまうのだから尚更タチが悪い。過去には術式に悩んで様々な紋様を描いていた宁雲嵐の前で「兄上だけの札じゃないんだから効率よく使えよ」と発言したことがあり、それに頭にきた宁雲嵐が彼を追い掛け回してこっぴどく叱ったことがあった。それほどまでに彼の発言には人を煽る才能が含まれているのだ。
肖子涵は溜息を吐いて瞼を閉じる。宁麗文は彼のその態度に口角を上げながら不思議がっていた。
しばらく唐厭の近くを歩いていると宁麗文の頭の中に声が響いた。
──宁麗文、元気か? 羊肉買ったから今すぐ膳無に来てくれ!
それは秦麗孝の声だった。宁麗文は立ち止まって目を弧にする。少し遅れて止まった肖子涵が振り返ると、拳を握って胸元に肘を寄せて喜びを噛み締めていた。
「肖寧! 今すぐ膳無に行こう!」
顔を輝かせるように明るくして宁麗文は彼の隣を軽やかに通り過ぎる。肖子涵は頭の中ではてなを浮かべながらも彼に着いていった。
馬を引いている商人を見つけて金を払って膳無へ急ぐ。その間も宁麗文は嬉しさにずっと頬を緩ませていた。
「何があったんだ?」
戸惑う肖子涵に彼はウキウキと今にも踊り出しそうな勢いだ。
「あのね、膳無に美味しい羊肉があるんだ。すっごく美味しいから、肖寧にも食べてほしくて。しかも新鮮だからきっと君も気に入るよ」
まだ食べてもいないのに両頬を両手で押さえながら身体を横に振る。
羊肉を食べるのはいつぶりだろうか。もう半年は過ぎているだろう。宁麗文は膳無を去る時、最後に食べておけばよかったと後悔していたのだ。しかしそれを今叶える時が来た。それを喜ばない以外に何があると言うのだろうか。
肖子涵は気の抜けた表情で彼を見る。次第にその瞳の奥は微笑んでいくように見えた。
二時辰ほどして商人が膳無の門の下をくぐる。その付近で降りて拱手をして、宁麗文は走って秦氏の邸宅へと急いだ。肖子涵も着いていくが、あまりにも人が多いので途中から彼の首根っこを掴んで歩いていった。
邸宅のすぐ近くまで来た頃に開かれた門の近くに長い三つ編みを垂らした、浅黒い肌の男が立っていた。宁麗文は彼を見て「秦麗孝!」と手を振りながら走っていく。秦麗孝も「宁麗文!」と手を振り返した。二人が門の下に辿り着き、肖子涵が秦麗孝に拱手をする。
「ああ、いいよいいよ。拱手なんてやらなくても。そんな堅苦しいのは嫌なんだ。まあとりあえず入れよ」
秦麗孝はそのまま二人を迎える。宁麗文は涎を垂らさまいと手の甲で口元を押さえながら歩き始め、肖子涵も彼に続いた。
食間に通された二人はそれぞれの席に座って羊肉の料理を待つ。宁麗文はお土産だと彼に酒をあげ、秦麗孝はそのまま盃を取りにいった。
「彼とは仲がいいのか?」
肖子涵は卓の下で拳を作る。宁麗文は彼に顔を向けて卓に腕を置きながら頷いた。
「まあ、最初は鬱陶しい奴だと思ってたよ。怨詛浄化の時に私と兄上を助けてもらったのはありがたかったけど、すっごくボロボロになった私を笑ってたんだ。その後青天郷でばったり出くわした時も謝罪のついでに奢るとか言っててさ」
その後に間を置いて肘を立てて指で遊びながら続ける。
「でもあいつ、本当に優しい奴なんだ。お姉さん想いで、人にも動物にも愛されていて。それでいて責任感が強い。あと泣き虫でもあるよ」
「だあれが泣き虫だ」
宁麗文の最後の一言を聞いていたらしく、秦麗孝は不満げな顔で盃を三つ用意して戻ってきた。宁麗文は「やば」と視線を泳がせたが、それもやめて「本当のことじゃないか」と返す。
「肖子涵に余計なこと言うな! 羊肉分けてやんねえぞ」
「はぁ!? それはやめろよ! 伝達術で来いって言ったのはどこの誰だよ!」
遊んでいた指を離して腕を卓に下ろして抗議する。秦麗孝は舌を出してあさっての方向に向いた。肖子涵はおろおろとどうすればいいか迷っていたが、それを見た二人は彼を見て噴き出した。唖然とする肖子涵に秦麗孝は「喧嘩じゃない」と笑った。
「まあ、飯が来るまでに酒でも呑もうぜ。久しぶりに会ったからな。今お前らは何してんの?」
言いながら盃に酒を注いでいく彼に宁麗文が「旅だよ」と答える。
「数ヶ月前からしてるんだ。もういろんなところに行ってる」
「へえ。じゃあ俺と会わないのはなんでだろうな」
「君は自由すぎるからな。会えなくて当然だよ」
宁麗文は酒を一口呑みながら片方の口元を上げる。秦麗孝も片眉を上げて笑った。それから肖子涵に顔を向けて酒を呑む。
「あんたは? いつ頃から開関したんだ?」
「三ヶ月ほど前に」
「いつから旅を始めた?」
「宁巴が琳玩での任務を終えてから」
宁麗文は目を見開いて肖子涵の口を思いきり塞ぐ。それに口をぽかんと開けた秦麗孝と驚いて目を丸くする肖子涵が彼を見た。宁麗文はそのまま肖子涵に耳打ちをする。
「あのさぁ、肖寧? やめてって言ったよね? なんで言うんだ?」
「別に詳しくは言ってない」
「詳しく言ってなくても言うな!」
肖子涵は彼の腕を離して酒を呑む。呆気に取られた秦麗孝は口元を引き攣らせながら呆れていた。
「何やったんだよ」
「別に? 何も?」
宁麗文は焦りながら首を横に強く振って酒を一気に呑み干す。そして続いて次を注いで呑もうとしたところを今度は肖子涵が止めた。
「酒の呑みすぎはいけない」
「呑みすぎって、まだ一杯しか呑んでないけど」
「ダメだ」
「えぇ……」
そのまま彼の手にあった盃を奪って卓の端に置く。不服そうに片頬を膨らませた宁麗文は秦麗孝に顔を向けて「どう思う?」と意見を仰いだ。彼も肖子涵と同じ考えらしく、瞼を閉じてわざとらしく肩を上げて下ろした。
他愛のない世間話を繰り広げているうちに料理が運ばれていく。宁麗文は目を輝かせながら箸で羊肉を頬張る。口内に半年ぶりの味が広がり、落ちそうな頬を支えながらじっくりと味わう。隣で肖子涵も一口食べてみると、彼が言っていた意味が分かった。
「美味い」
「だろ? もっとあるから食べな」
秦麗孝は他の料理に手をつけながら食べていく。宁麗文が羊肉しか食べていないことに気付いて呆れ笑いながら食べ進めていた。
「本当に美味しいのに、なんで江陵にはないんだろう。出してくれよ」
「無理だって。保存方法だって確立してないんだし、そもそも運んでる途中に邪祟やら山賊やらに襲われたら元も子もないだろ」
「それはそうなんだけどさぁ……」
しょぼしょぼと次の肉を食べながら悲しむ宁麗文の隣で、肖子涵が彼に肉を与える。秦麗孝はそれを見ながら小さく声を漏らして箸を止めた。二人は何かと彼の顔を見る。
「最近、妖と行動してる奴がここの辺りにいるらしい。聞いたことあるか?」
「何それ?」
宁麗文は肖子涵からもらった肉を頬張りながら問う。秦麗孝は箸を持ちながら腕を組み、卓につけてから野菜を摘んで食べる。
「んん、やっぱないか。本当に最近だからな。旅をしてるんだったら尚更か」
「そりゃああちこち行けばね。で、妖と行動してるって? 邪祟と一緒なら喰われてもおかしくないだろ」
「いや、それがそうでもないんだ。妖はそいつを喰ってないし、なんなら人と同じ生活をしてるって。わけ分かんねえよな」
「人と同じ生活」
肖子涵はそれだけを言い返す。そういうものであれば、暁蕾と同じだろう。しかし、彼女と違う点は『人を喰わない』ところだ。宁麗文と肖子涵は互いに目配せをしてからまた彼を見る。
「まあ実害が出てないんなら安心だ。それが人を喰い始めたら被害が大きくなる前に浄化をしなくちゃならんからな」
「そうだね」
三人はその後も全ての料理を平らげ、秦麗孝に門の外まで見送られながら二人は蒼茫亭へ向かった。宿を探しては見たが、いつかと同じく一部屋しかなく、しかし寝台が二台あると言われたのでそこにした。
部屋に入って宁麗文は外衣を脱いで一つの寝台に置く。腕を上げて背伸びをしてから両手を腰に当てる。
「はあ、美味しかった。味はどうだった?」
「美味かった」
宁麗文は微笑んで「よかった」と返す。肖子涵は彼の外衣を丁寧に畳み、自分の外衣を脱いでから寝台に置いて座る。宁麗文は無意識に彼の隣に腰掛けて、肖子涵は驚いて身を強ばらせる。
「それよりもさ、妖と一緒にいる人ってどういう人なんだろうな。きっと普通の人間ではないと思うけど」
宁麗文は自分が彼の隣に、しかも彼の寝台に座っていることに気が付かない。肖子涵は戸惑いながらも「確かに」と口を開く。
「膳無の近くにいるというのも不思議だ。もしかしたら他の世家の近くにもいるかもしれない」
「だよな。明日ここを出て少しまわってみようよ。どういう奴かも気になるし、どこに住んでるのかも気になる」
「……浄化するのか?」
宁麗文は彼の顔を見て驚く。
「なんでするんだ? まあ確かに、秦麗孝の言う通り被害が遭れば浄化はするけど。でも今のところないんだろ? 話を聞くだけでもいいし、二人がどうやって過ごしてるのかも知りたい」
「琳玩のことを忘れたのか。玥は妓女として過ごしていたのだから、きっとそうだろう」
「玥さんは妓女だったからだろ。でも聞いた妖は妓女でもなんでもないと思う。それとは関係なさそうだ」
肖子涵は瞼を伏せて「そうか」と返した。そしてまた間を開けて気まずい顔をする。宁麗文は今日はやけに変な顔をするなとぼんやりと考えてみて、ふと自分が座っている場所に気が付いた。変な声を出して慌てて立ち上がり、自分の寝台に飛び込んでいった。




