三 華伝投(2)
光が大きくなり、それはやがて景色を観せる。前を向けば遠くにそびえ立つ宁氏の館、下を向けば江陵に住む人々の姿。彼らは宁麗文たちをずっと見上げていて、宁麗文はその中から肖子涵を探していた。彼よりも身体が大きく、そして体躯もいい。そんな彼を見つけるには時間は掛からないと聞かれれば嘘になる。しかし、今日は華伝投ということで舞台の下には一寸足らずも隙間がない。しかも宁浩然が前日まで令を敷いていて、群衆は舞台に一人増えたことに興味を持っている。彼らは我先にと宁氏、それも宁麗文を見上げているので、波のように押し寄せているのだ。
(困ったな。こんだけ多いと見つけにくい……ん?)
宁麗文は瞬きをしてある箇所を見つける。それは前日、彼を侮辱する寸前まで話をしていた男たちだった。彼らは宁麗文を見て顔を真っ青にしていた。それに加えて目線を合わされているのでガタガタと震えている。宁麗文は困りながら笑い、手を振るとその二人は泡を吹いて倒れてしまった。それを囲う群衆は「きっと手を振られたんだわ」と少し騒いで終わった。隣には青鈴が友人であろう少女たちに手を振っていたため、男二人を囲んだ彼らはきっと青鈴がやったのだと勘違いしているだろう。
「諸君。この度はお集まりいただき感謝する。華伝投を行う前に一つ知っていてほしい者がいる」
宁浩然ははっきりとした声で群衆に呼び掛ける。静まり返った景色の中に彼の視線は宁麗文へと移った。彼は宁雲嵐に背中を押され、一歩前に出て父と隣り合わせになる。舞台の下に集まっている群衆は彼を一斉に見る。宁麗文は今までにない大勢の双眸を目の当たりにしてつま先から脳天までにまた緊張が走り、身体が硬くなった。くらりと目眩がしそうになり、瞼を少し伏せて足で踏ん張って立つ。
「これは私の二人目の息子で名は麗文、字は巴と申す。前日、町を歩いていたので見た方はいるだろう」
宁浩然の言葉を聞く余裕がなく、息を浅く吸って吐くを繰り返す。後ろにいる宁雲嵐と青鈴が彼を心配する気配がした。
(世長会とはまた違う……見られている大勢の前に立つってこういうことなんだ。世長会だと各世家の宗主と子供のみだったから、今のような何人かも分からない皆の前は、ちょっと辛いかもしれない)
「阿麗。挨拶はできるか」
宁浩然は彼に声を掛ける。その声色は心配をしているように感じられる。実際、元々真珠のように白い彼の顔は青白く、日に当たると更に白く見えていた。当然舞台の下からではよく見えないので体調を気にかける人は見られないのが不幸中の幸いだった。宁麗文は無理やり笑って頷き、公衆の面前で拱手を仰いだ。
「皆様方、お初にお目にかかります。私は江陵宁氏の次男、宁麗文と申します。此度から私もこの華伝投に参加します故、何卒お見知りおきを」
拱手をする手を下げるとあちらこちらから拍手が始まり、歓声も交わった。宁麗文は自然と口元に笑みが浮かび、気恥ずかしさに眉を顰めながら手を振る。同時に頭がわずかに痛み始めてきていることにも気付いていた。緊張しているからと無理やり自分を納得させることに必死だった。
宁浩然は手を空に向けて指で術を描く。すると空から沢山の様々な形を、種類の花たちが落ちてくる。
「今年も我らご先祖への手向けを」
宁浩然の声がまた高らかに空へと昇る。落ちていく花は様々な色を輝かせてながら落ちていき、群衆の頭や手に触れる。恥じらいを見せる少女は手に持った桃の花を髪飾りにし、勇敢な少年は梅の花を掻き集めている。花々の中には宁麗文の知らない花も存在していて、名前は知らなくとも夢中になって落ちていくのを見ていた。
ふと一輪の青い竜胆の花が落ちていくのを見た。それは他の花よりも存在が大きく、しかし小ぶりのものだった。それを目で追っていると上がっている誰かの手に着いた。その人物の顔を見た宁麗文は目を見開いた。
「肖寧」
彼に呼び掛けると、宁麗文を見つめ返して一つ頷く。今まで見つけられなかった友人をやっと見つけられた。宁麗文はひと時の安心感を覚えてそれまで解しきれなかった心がようやく解れきり、肩の荷が下りたように気の抜けた表情を浮かべる。目立たず、はしゃがない程度に肖子涵に手を振ると、彼もまた宁麗文に手を振る。竜胆の花は肖子涵の手にしっかりと握られており、しかし潰れないように柔く包まれていた。
降りしきる花の中で二人は他のどれよりも目を配らずに、ただお互いをじっと見つめていた。
ひとしきり花が降りやんだところで華伝投が終わる。舞台の下にいた人々は多くの花を持って輝く笑顔を魅せながらその場を去った。宁雲嵐は宁麗文の傍に寄って背中を叩く。
「お疲れさん。緊張したろ」
「うん……」
宁麗文が一息ついたところで瞼が一度痙攣する。それが始まり、頭痛と息切れが激しくなった。膝から崩れ落ち、宁雲嵐に肩を掴まれる。
「麗文!」
群衆に聞かれないように小声で彼の名前を叫ぶ。宁麗文以外の家族は彼よりも白い顔色を浮かべ、彼を囲う。宁麗文は白くぼやける景色の中で「肖寧、見てくれたかな」と冷静になっていた。白の世界が段々と暗くなり、瞼が落ちる。彼は宁雲嵐に肩を掴まれたまま意識を失ってしまった。
次に目を覚ましたのは二日後だった。ぼやけた頭と視界のまま天井を見ていると、段々と視界が明瞭になる。同時に華伝投の直後に倒れたことも思い出して寝台から慌てて起き上がる。その頃に深緑が無名に入り、宁麗文が目を覚ましたことに気が付くと安堵の表情を見せた。
「わた、私は……」
「落ち着いて阿麗。まだ身体がふらついているでしょう。座ってちょうだい」
宁麗文は狼狽えたまま寝台の上で上半身を起こしたままで、深緑は彼のいる寝台に腰を掛けた。宁麗文は頭を抱えながら「どうして」「なんで」と独り言を呟いていた。深緑は彼の背中を擦りながら困ったように笑う。
「あなた、二日も寝ていたのよ。初めての華伝投なのに。きっと緊張しすぎたのね」
「そ、それは……そうですけど……」
過ぎた数日間に驚きつつも、体調不良の理由に思い当たる節がない。深緑の言う通りきっと初めて参加した華伝投での緊張が原因だろう。もしこれが違うのならば、一体何が原因なのだろうか?
宁麗文は深呼吸をして彼を思い出した。身体を深緑に向けて戸惑いの表情を浮かべる。
「母上。肖……肖子涵殿を見かけませんでしたか?」
彼女は怪訝そうな顔をして首を傾げる。
「見ていないわ」
(そんな……)
彼は既に帰ってしまったのだろうか。宁麗文はまた落ち込んでしまった。たった一人の友人と行事の後に一緒に行動することさえできなかった。それは彼の人生初の悔いであり、情けないと感じる瞬間だった。膝の上に置いた手を握って震わせる。深緑は背中を擦っていた手を止めた。
「今からお粥を準備するわ。あなたはもう少し安静にしていなさい」
「……はい」
深緑は宁麗文の言葉を聞き入れた後に頷いて無名から立ち去る。宁麗文は深緑が向こうへ行ったことを確認して寝台の上で思いきり上半身を倒した。
(華伝投の後に肖寧と遊びに行く予定だったのに……ああ、もう!)
自分で自分に憤り、悔しさに目尻が涙で湿る。腕で目尻を拭うと手首にひんやりとしたわずかな冷たさが残っていた。これは宁浩然からもらった緑の宝玉が埋め込まれている腕輪だった。宁麗文はそれを眺めていると、戸を叩く音が聞こえて慌てて寝台から身を起こした。
「母上?」
しかしそこに立っている影は深緑ではなかった。彼女の背丈は目の前の影より小さく、また長い外衣もあるので広がり方が大きい。しかし、目の前にいる者はどうか。彼女より幾分か背丈が大きく、そしてすらりとした佇まいだ。宁麗文は寝台から身を離して戸へ向かう。
「誰だ?」
再び声を掛けると戸の向こうで身動ぎをした。宁麗文より背が高いその者には何となく見覚えがあった。
「もしかして、肖寧か?」
戸に手を掛けて少し開ける。わずかな隙間から顔を上げるとそこにはやはり肖子涵がいた。彼は息を呑み込んだ様子で宁麗文を見下ろしていた。
宁麗文は突然の訪問に驚き、戸を勢いよく開ける。あまりの勢いをつけすぎてしまったからか、それは滑りがよすぎる反動で彼の身体を挟んでしまった。肖子涵はまた驚いて戸を静かに開けてから宁麗文の身体を案じるかのように両方の二の腕を擦った。
「はは、いいよ。そんなに心配しなくても。たまにやってしまうんだ」
「あなたはもう少し自分を大事にしてほしい……」
「皆に口酸っぱく言われるな、それ。まあいいや、とりあえず入ってくれよ。母上が粥を持ってくる間に君と話がしたいんだ。付き合ってくれよ」
宁麗文は彼の腕を引っ張って無名に入れる。肖子涵は瞬きをして、引っ張られるがままに中へ入った。




