業火の中で
森に入ってすぐ、異臭に気が付いた。
それは掃除の行き届いていない公衆便所の臭いにそっくりであった。それも、一週間以上詰まったまま放置され、糞の上に糞を乗せたような臭いだ。糞の山の中を落ちていた枝で掻きまわすと、中から黒い糸のようなものが絡みついて来た。
「……髪の毛だ。長さからして女の物だ」
その長さは30cmを軽く超えていた。その黒髪に小石ほどの大きさになった小さな白い粒が絡みついてとぐろを巻いていた。
食われている。
化け物は食った獲物を消化し、消化しきれなかった骨と髪の毛だけをこうして排泄したらしい。遅かれ早かれ、この村の近くにいる人間は、冒険者も村人も無く皆あの獣の腹に収まるだろう。
「上級冒険者を呼ぼう」
「そんなこと言ったって片道二日はかかるぞ」
「分かっている。だから今すぐ足の速い仲間に行ってもらう」
「じゃあ俺達は? 一緒に逃げていいのか」
「森に火をはなとう」
骨狼が火を怖がらないのは昨日のキャンプで襲われた状態から明らかだった。だが、同じく火を恐れない人間も火事では焼死体に変わる。同じ生き物が死なない訳もなかった。
「奴が本物の化け物かどうかすぐに分かる」
その言葉の通りになった。
■
この事故で怪我を負ったのは獣が一匹。体の半身を焼く大変な大やけどの中で事態の収拾が行われた。
これは、実は実戦という名目での試験だった。
骨狼は教官の召喚獣で、大切な物だという事だった。
食われたエルフも、実は俺達に見せられた幻術で、実際には存在しなかった。
「……君たちのとった行動は他のどの班よりも鈍重で、攻撃性にかけ、瞬発力に劣っていた」
「はい」
「君たちが仲間の死を知ったうえでとるべき行動は逃げることだ」
「はい」
「だが君たちは森に火をつけた」
「はい」
「腕立て伏せの姿勢を取れ!!!」
周りに集合した同期の目が痛い。何しろ俺はこの集団の中で最も年配者だった。肩は回らないし、階段を下りると膝に痛みが走る。当然腕立て伏せも満足にできず、10回を超える頃には腕がプルプルと震えるばかりになった。
「見ろよ。最下位が地面を舐めてる」
同級生は俺達を見下し、指をさして笑っていた。
あの試験では早い段階で危険を察知し、逃げることが正解だった。道を誤った。
教官が怒った様子で拳を作って歩いて来た。ずんずんと足音が聞こえそうな勢いに、俺は必死に腕立て伏せを再開する。
バキッと骨でも折れたような音と共に、同級生が足元の水たまりに顔から落ちた。おい大丈夫か。口の周りに泡がブクブクと立っているじゃないか。
教官は怒った様子で大きな口を開き、唾を飛ばすように怒鳴る。
「こいつらは逃げずに戦った!なんでだ!!!それは、逃げたら村人が死ぬと分かっていたからだ!!向かって行ったところで死んでいたがな!!!弱いこいつらは今日死んだ!だが村人は一人助かったかもしれない!お前たちよく見ておけ!これが冒険者だ!!」
因みに、その痕真っ暗になるまでみんなで腕立て伏せをさせられた。
例の骨狼は病院送りになったらしい。ざまあないさ。