物言わぬ屍
二日目
俺は震えながらテントを這い出した。
目を閉じ耳を塞いで震えている間に、草原を静寂が包んでいた。あんまり静かなので、皆が俺を置いて逃げ出してしまったのではないか思った。
だが戦わねばならない。猫だって逃げる猫じゃらしを追いかける。動物は逃げるものを本能的に追ってしまうのだ。ならば、せめて一撃をその鼻先に入れて人間がどんなに恐ろしい存在か刻み込まなくてはいけない。
自分は今日死ぬだろう。
その死によってなにか変わるかと言われれば、何も変わらない。だが、逃げれば死ぬ。戦っても死ぬ。ならばと戦う道を選んだ。
昨日窓から見た薄汚れたエルフのテントが朝日に包まれる中、洞窟のように薄暗い内部だけがあの世の入口のように思えた。
心臓が嫌なほど早く脈打っている。
剣を持つ手には、じっとりと汗をかいていた。
テントの中に体をねじ込むと、昨日と同じ様子でちょこんとテントの中に腰かけている姿が見えた。よかった。全部夢だったに違いない。初めての仕事だ。悪夢だって見るさ。
でもなぜか、エルフはこちらに背を向けて壁を見つめていた。
「やけに元気がなさそうじゃないか。今日も一杯やるか?」
おかしい。座っているのに返事がない。
まだ眠っているのだろうか。
「おい、聞いているか?」
肩を掴んで揺すると、重い頭がコテンと傾いた。同時にラズベリージャムのように赤黒い液体がボタボタと床に広がる。
「……」
怖かった。声なんて出ないほど怖かった。
エルフは座ったまま息絶えていた。おでこから顎にかけてをざっくりと失い、頭がひび割れていた。
「おいどうした? そんなに慌てて」
「エルフが、殺されとる」
俺と同じ人間の冒険者のニールが顔をひきつらせた。
この仕事には危険がつきものだと分かっていた。分かっていたはずだった。
ひどい状態に陥るのは、きちんとした準備を怠った冒険者だ、という常識が俺達にはあった。
昨晩は、魔物の嫌う焚火を消していない。十分な準備をしていたのだ。
煌々と燃える炎の一番そば、それがエルフのテントだった。
「こいつの嫁は?」
テントの壁には大人が通れるほどの大穴が開き、そこには獣の物と思われる灰色の毛がわずかに残されていた。そして点々と血の跡が森へと続いていたのだった。
「逃げたんだろうか」
「俺達の助けを待っているかもしれない」
エルフの嫁は同じ冒険者で妊婦だった。来月には冒険者を辞めて家を買うつもりだと嬉しそうに話していたのを覚えている。
冒険者は小さなコミュニティー。皆顔見知りだった。
できれば助けてあげたい。
彼女は間違いなく森に逃げたのだ。骨狼に追われているとすれば、村の方に逃げないのは正しい。武器を持たない村に逃げれば、被害が大きくなるのは必至だ。
「流石エルフの嫁だ。胆が据わっている。一人で戦いやすい森に入ったか!」
ニールの言葉には、少し引っかかる所があった。戦うにしても俺たちに声をかけなかったのはなんでだろう。
1人よりも複数で囲んだ方が圧倒的に有利なはずだ。
相手は人間よりもはるかに大きいのである。なぜ、助けを求めなかった。
皆、少しは思っていただろうその疑問をついに口にすることは無かった。
皆が朝食の準備をする中、俺を含めた冒険者3人が松明を手に森へと足を踏み入れた。俺はただ、エルフが襲われたあの草原を少しでも離れたいという気持ちでいっぱいだった。残れば次に食われるのは自分だと思った。




