先輩の恋
散々だった、この二日間は何とか無事に終えることが出来たようだ。
マスコミもその後は何の反応も無く、映像にも報道にも【京仁織物株式会社】の名前が上がることは無かった。
そして、夕刻18:30。
俺は帰宅しようとしていた、帝城高校先輩の安藤聡課長を見つけ、声をかける。
「安藤課長、何とか無事終わったことですし、軽く一杯行きませんか?」
隣にいた、秘書の寸動永誇係長が鬼の形相で反応する。
「所長!昨日は一睡もしていないのに、これから飲みに行くって常識外れにもほどがありますよ!!」
「え?いや、別にそんなに可笑しなこと言ったかな?」
「十分すぎる程、所長のアホさ加減には慣れたつもりですけど、一番駄目なところは本人の自覚が全くないという事ですね。」
(いやいや~そんな風に言わなくても~)
だが、安藤課長の返答は寸動係長のまたもや想像を超えていた。
「ええ、かまいませんよ。実は私も所長に聞いてもらいたいことがあるんです。」
「えっ!」
高学歴の才女も流石に、この安藤課長の反応は予想を超えていたようで、驚きの顔をしたまま固まってしまう、、、
「それじゃ、いつもの駅前の甚太郎亭でいいですか?」
甚太郎亭は、京仁織物株式会社 戸塚営業所支店お馴染みというか常連のお店だ。
火吹武将が、所長として赴任してきた時に初めて行ったお店でもある。
禁煙店で、洋食屋さんっぽいがアルコールも何種類も取りそろえが合って、今日は有給をとっている元所長の十柄氏源吉さんのお気に入り日本酒が一升瓶でボトルキープされている特別なお店でもある。
「はぁ~」
溜息と共に、駆け出しながら言葉を投げ捨てる
「5分だけ時間をください。」
寸動永誇係長が、身だしなみを直しに化粧室に疾風のように走り出す。
(寸動さんも行く気なのかな?)
俺と寸動さんのテンションとは異なり、珍しく安定安全の安藤課長が元気ないように見えるのは、付き合いの長さで感じる俺だけの感性なのだろうか?
※※※※※※※※※※※※※※※※
場所は変わり甚太郎亭の扉を俺が開けると
カランコロン
っと、爽やかな音色がして年輩の清潔感ある女性がすぐに出てきて
「所長、いらっしゃいませ。3名様ですね、奥の何時もの席が空いてるのでどうぞ」
所長になって2年。
20歳を過ぎて、アルコールも飲めるようになり自分が結構、アルコールに対して強いことに気付いたのはこの1年くらいだろうか?
お付き合いや接待で、お酒の席でもどれだけ飲んでも自分を見失ったことは無い。
安藤先輩と今日の様に、飲みに来ることも間々ある。
安藤先輩は、滅茶苦茶お酒が飲めるというタイプではない。
嗜む程度に飲んでいるが、アルコール自体は嫌いではないようだ。
仕事で酒席に付くときは、自分の酒量をよく弁えており上手に交わしている。
甚太郎亭の俺達の馴染みの席は、一番奥のテーブルだ。
背もたれのあるソファの一番奥に俺が座り、横に寸動永誇さんが自然に陣取り、俺の前の椅子席に安藤先輩が腰かける。
社会人にとって、酒席での座る席はとても重要だ。
俺は亡き父に小さい頃からよく教わったものだ。
自分が成長し、社会人になった時。
親父の教えが、これほど助かるとは夢にも思わなかったのも事実だ。
実際、大分前になるが
この京仁織物株式会社に、入社した時。
今では常務取締役になっている、当時人事部長の神戸正志さんにも高校中退だった、俺の評価がA+++と言われたのをよく覚えている。
そういえば、皆さんお元気かな?
渋谷にある本社勤務時代にお世話になった人たち
社長秘書の剃刀のような切れ味と美しさを重ね持つ
今では取締役である。
木原柑奈さん。
営業本部長から副社長に大抜擢された、戸田さん。
人事部の神戸常務の片腕。
春日百合さん。
法人営業部の皆さん。
半年に一度くらいは、本社全体合同会議があるので全く会っていないわけではないが、お世話になった方達の恩を忘れることは俺は決してない。
「お待ちどおさま。」
一人思い出に更けている所に、先ほどの年輩の女性が声をかけてくる。
俺と寸動さんには生ビールのジョッキがキンキンに冷えたジョッキと泡がクリーミーに乗って美味しそうに配膳され、先輩にはカシスオレンジという果実酒が、頼んでもいないの運ばれてくる。
何時ものことだ。
俺達の好みを全て、知り尽くしているお店だからこそのサービスだ。
こういうサービスを最近の若者は嫌がる人も多くいることは知っているが、俺は嬉しく感じる。
痒いところに手が届く思いやりサービス。
形や規模は違えど、やっていることは俺達だって同じだ。
「お疲れ様です!」
カチャン
軽やかに鳴る乾杯の音。
俺と寸動さんは、何時ものことだが
「ぷはぁ~」
っと、一気に飲み干す。
ダン!!
一気に飲み干した、ジョッキを机の上に元気よく置く。
すると、注文しなくてもお代わりのジョッキがテーブルに運ばれてくる。
イヤハヤ何とも、気遣いがにくい。
安藤先輩は、始めのひと口はグラスに口を付けたが、その後はグラスを置いたままだ。
らしくない。
何時もの先輩ではないことは事実だ。
「所長のその無限の体力は、どこから来るんですかね?私達は多少、睡眠取りましたが所長は貫徹で朝から雪掻きして、マスコミ対策に仕事に、、、滅茶苦茶ハードなのにその後、こうして飲みに来るなんて信じられませんよ。」
「ははは、、、寸動さんすいませんが、おつまみを注文してきてもらってもいいですか?」
「、、、わかりました。ついでに実家にも連絡してくるのでいったん席を離れますね。」
頭の切れて、気遣いのできる素晴らしい女性だ。
安藤先輩が俺に話があることに気づき、店を一旦離れる。
俺は前に座る、親友と言っても構わないほどの信頼感を抱く帝城高校先輩に向き合う
「先輩何か、悩み事ですか?」
「、、、支店長は菊池陽子さんを覚えてますか?」
「ええ、もちろん覚えてますよ。僕が神谷町で傘を貸してその後、先輩と一緒に食事した方ですよね。」
この歯切れの悪い、物言いは先輩にとってはとても珍しい
「確か、その後先輩とお付き合いされているんじゃありませんでしたっけ?」
「・・・・」
歯切れが悪い。
何時もの安藤聡とはだいぶ雰囲気が違う。
このような、彼を見ることは俺は初めてだ。
どうしたんだろう?
ジッと、俺は先輩が話し始めるまで
待つ。
すると少しずつ口を開き始める。
俺はただ黙って聞いている。
「・・・・所長は、以前格差など無いとおっしゃていました。・・・・格差は、自分の中で作ってしまうものだと、、、僕もそう思っていました。」
俺は沈黙を守る。
「だけど、どうにもならない現実。格差というものがあるんだな、、、って、最近思わされました。」
俺は下を向きながら話す先輩の話を真っ直ぐ向きながら聞いている。
「・・・・・・」
こんな辛そうに話をする、先輩を俺は見たことが無かった。
「菊池陽子さんとのことで、何かあったのですか?」
俺は優しくゆっくりと尋ねてみる。
下を向きながら、先輩は苦しそうに話始める。
「・・・僕は菊池陽子さんを愛しています。」
「陽子さんのご両親に、ご挨拶と交際していることを許可いただこうと思って、ご自宅に伺いたいと陽子さんに伝えたのですが、、、、」
「・・・・・」
「陽子さんのご両親は、僕とは会わないとおっしゃられて、、、、」
「理由を聞いたのですが、、、そ、そのどうも僕が高卒でシングルマザーだから陽子さんとは【釣り合わない】から会わないとおっしゃられて、、、、」
ダン!!
俺は一瞬で、怒りに包まれた。
ジョッキをテーブルに叩きつけて、立ち上がる。
丁度、その時寸動永誇係長がスマホを握り締めて戻ってきた。
俺が立ち上がっていることに、すぐに気づきこの場が普通ではないことをすぐに嗅ぎ取る。
「寸動さん、急用です。申し訳ありませんが、私と安藤課長は出ますので、後をお願いできますか?」
「かしこまりました。」
業務用のお辞儀に代わり、戦闘モードになった寸動さんは実に頼もしい。
安藤先輩を連れて、店を出る時にお店のおかみさんに一言。
「すいません。急用で、この穴埋めはまた次回しますので」
「お気になさらずに、気をつけて下さい。」
このお店はやはり素晴らしい。
大手チェーン店にはない、味わいと心がこもっているお店だ。
残された、寸動係長は作ってもらっている料理全てをテイクアウト用に包んでもらい、自宅に持って帰ることにして支払いを済ませ、藤沢の実家に帰宅の途に就く。
上司2名の事を気にかけながらもこういう時は沈黙を守り、心配することしかできない自分を悔しくも思うが、今はまだ自分は二人の仲に入り込むことはできない。
そこまで達していないと、確信する。
一方、その二人は戸塚からすぐにタクシーを捕まえて乗り込む。
俺は隣に座る安藤先輩に向かって
「菊池陽子さんにこれから、火吹財閥本家当主の火吹武将が先輩と実家に向かう旨、連絡していただけますか?」
「は、はい。」
こちらも自分のせいで、俺が異常事態に突入したことを感じ取り、逆らう愚策を取らずただ俺の言うがままに自分のスマホを取り出して、連絡する。
相手のスマホはワンコールですぐに出る。
珍しく安藤先輩は焦りながら喋る。
「陽子さん、慌てないで聞いてほしんだけどいいかな?」
「は、はい。」
「今から、君の自宅に【火吹財閥本家当主の火吹武将氏】と一緒に僕が向かう事をご両親に伝えてもらえるかな?」
「わかりました。お待ちしております。」
ちょっと、天然なところがある女性だが、安藤聡が選んだ女性だけあって、飲み込みも早く対応もしっかりしている。
「お気をつけて下さい。」
っと、これからのことより俺達のことを心配してくれる心優しい出来た女性だ。
菊池陽子さんは慶応幼稚舎から慶応大学経済学部まで学業に専念してきた清楚な女性であるのは俺は知っている。
ちなみに慶応幼稚舎から大学までエスカレーターで進学できるのは幼稚舎入学の約3%に過ぎないと、京仁織物株式会社元人事部、今では常務取締役の神戸正志さんから聞いたことだ。
誰でも幼稚舎に入ったから、慶応大学に行けるわけではないんだよと教えてもらったことがある。
それだけ、本人の努力は当然ながら、本人の育つ環境がとても重要だと言っていた。
幼稚舎から大学まで慶応と言うブランドを背負って、行くにはそれなりのお金も必要だという事だ。
それが出来る、家だという事は菊池陽子さんの実家は、かなり裕福なのであろう
菊池家は、世田谷の一角にある高級住宅街に周囲の家が、4軒は建ちそうなくらい広い屋敷とまではいえないが、かなりの裕福そうな家だった。
新築で建てたら、3億円以上はかかるだろう立地と広さだった。
とても、普通のサラリーマンが購入できるレベルではなかった。
元々、ご先祖から引き継いだものだとしても一般庶民の枠はかなり超えている。
後で、聞いた話だが【菊池家】はマンション、持ちビル経営で生計を立てていて、所有財産のビルやマンション、アパートは全部で15棟以上あるそうだ。
俺達が乗るタクシーが家の前に付き、黄色く点滅するハザードランプ越しに、菊池陽子さんは自宅からいち早く飛び出してきた。
「火吹さん、お久しぶりです。」
真っすぐ伸びた、黒髪が両肩から滑るように下に流れる程、お辞儀をして俺達を迎えてくれる。
「急で、すいません。ご両親はいらっしゃいますか?」
「はい、中でお待ちしてます。」
「それでは、行きましょう。」
俺と先輩は、菊池陽子さんの案内で門扉をくぐり横開きの玄関を入り、2重扉になっている中のドアを開けて菊池家の中に入る。
陽子さんは、俺と先輩分の客用のスリッパを玄関先に用意してくれた。
俺はズカズカと、中に入っていく。
いくつかの扉を開け、かなり広いリビングに案内されるとそこには、威厳のある男性と品のある女性が座っていた。
勿論、菊池陽子さんのご両親である。
威厳のある父親が、俺の方を向き
「かけたまえ」
っと、自分たちが座る1枚岩でできたテーブルの向かいに座る様に手で指し示す。
俺は黙って、席に着く。
先輩は、席に着く前に礼儀正しくお辞儀をして
「失礼します。」
っと、言いながら俺の横の席に着く。
まぁ~派手なテーブルだ。
1枚岩を削り、ピカピカに磨き自分の顔が映るほど輝かしく、とてつもない大きさであった。
聞きたくもないが値段は、途方もないのだろう
父親が話し始める。
「娘の勤めるKABUKIコーポレーション創設者の火吹財閥当主である、火吹君に会えて大変嬉しいよ。」
俺は沈黙のままだ。
挨拶すらしない。
すると、俺の横に安藤先輩がいることにやっとその時、父親は気づいた。
「君は誰かな?」
俺が何も言わないものだから、安藤先輩に声をかける。
安藤先輩は立ち上がり
「私は、京仁織物株式会社 戸塚営業所勤務の安藤聡です。」
先輩の自己紹介を聞いた途端に、菊池家の父親の顔が厳しいもの変貌する。
ある程度は、先輩の話を聞いていたという事だろう、だが言葉は激しく残酷だった。
「君を招待したつもりはない。ここは君が来れるような場所ではない。直ぐ帰りなさい。」
「・・・・・お父さん、聞いてください。」
安藤先輩は必死に、この威厳と言う威圧に反抗する。
だが、帰ってきたのはただの暴力と言う名の蔑みだった。
「君にお父さんと呼ばれるいわれは全くないな。貧乏人には、私は用が無いんだよ。今は火吹財閥家当主との大事な話がある。とっと帰りなさい!!」
「お父様!!聡さんに対してそれは失礼なお言葉ですわ」
愛娘である、陽子さんが思わず声を荒げて実の父親に対して反旗を挙げる。
「うるさい、お前は黙って私の言う通りにしていればいいんだ。」
俺はずっと、黙ったままだ。
先輩は立ち上がり
「大変失礼いたしました。」
と言い、出ていこうとする。
そこへ更に追い打ちをかける言葉は想像を遥かに超えていた。
「とっとと、失せるがいい。虫けらの分際で菊池家の敷居を跨ぐなどもってのほかだ!」
ドン!!
俺は立ち上がり右こぶしで、一体いくらするか想像もできない岩のテーブルを殴りつける。
先輩が、驚愕の顔をして、俺を見る。
こんな火吹武将を見るのが初めてなのだ。
常に、冷静。
常に、豪胆。
常に、行動力に飛んだ人物が俺であり、感情的な面は一切見せないのが、【火吹武将】という人間。
だった、、、、
その火吹武将が目が血走り、口から暴力と言う火炎を絶対王者として、吐き出す。
「火吹財閥当主に対して、礼を失っているのは貴様の方だろうが!!」
今迄、一度も聞いたことが無いような言葉を火吹武将が吐き出す。
「玄関まで迎えに出もせず、座ったまま私を迎えるなど、比礼にもほどがある。」
「お前の娘の勤める会社社長は、私の叔父だ。仕事を無くすこともできるぞ、それとも火吹財閥の権力と金で、貴様を叩き潰してやろうか?」
「好きな方を選ばせてやる」
「な、な、な、、、、」
菊池陽子さんの父親は、しどろもどろになり言葉が出てこない。
俺はすべて無視して言葉と権力の暴力をぶちかます。
「しかも一番許されないのは、私の友人である安藤聡先輩に対しての暴言の数々、貴様も無一文になって考えを改めるがいい」
何がどうしてこうなったのか、全くわからずに菊池家当主はおろおろするばかりで、先ほどまでの威厳は一体どこに置いてきたのやら
「お父様!!私、安藤聡さんと駆け落ちいたします。今日まで育てていただいてありがとうございます。そして、もう二度とお会いすることは無いでしょう」
菊池陽子さんは父親とは違い、まっとうな人柄のようだ。
安藤先輩の元に駆け寄り、先輩の右手を掴んで引っ張る。
だが、安藤先輩は全くその場から動くことは無かった。
「聡さん、行きましょう。こんな家から早く出ましょう」
先輩はゆっくりと自分の右手を持つ、美しく品のある女性の手を優しく包み込み、首を横に振る。
そして、優しく諭すように話しかける。
「陽子さん、それはいけないよ。」
「えっ!」
「実のお父様に対して、そんなことを言うものではないよ。」
「で、でも、、、」
「僕は大丈夫。お父様には日を改めて、キチンとお話しさせていただいて、お許しを頂くから、そんな悲しいことを口にしてはいけないよ。」
「お父様、いえ、菊池様。突然、このようなことになってしまい心よりお詫び申し上げます。」
深く深くお辞儀する。安定と言う名の俺の先輩。
「陽子さんとの件は、また日を改めて伺いますので私のことでご家族で諍いを起こすのは、お止めください。」
「重ねて深くお詫び申し上げます。」
っと言い、再び深くお辞儀する。
俺は口調を変えて、菊池家の大黒柱に向かって話し出す。
「菊池さん、安藤聡と言う人間はこういう人間なんですよ。」
「家柄、お金、権力、そんなものは幸福とは全く関係ありません。」
「私が保証しますよ。彼は信用に足る人物であると」
横から女性の声が割って入る。
「火吹君の言う通りね、あなたが間違ってましてよ。」
菊池陽子さんの母親の声だ。
「あなたが、納得なさらないのでしたら私も陽子と一緒にこの家から出ていきますわ。一人で寂しく生きていかれるといいでしょう」
血は水より濃いというが、親子の絆とはやはり素晴らしいな。
(オヤジに会いたいなぁ~)
菊池家の威厳が無くなった、父親は苦しそうに
「わ、わかった。私が悪かった。」
「すぐには変えられないかもしれんが、少しずつ変えていこう。安藤君、気付いたことがあったらドンドン言ってくれたまえ」
「はい!!」
絶対安定。絶対安心。
これが、安藤聡と言う人間だ。
どんな欲にも権力にも屈しない。
俺の片腕。
そして、俺は何時もの自分に戻り礼儀を重んじ、堂々と
「菊池様、私の様な若輩者の先ほどの比礼の数々ご容赦ください。」
俺も安藤先輩と同じく最敬礼する。
「これでは、私が一番の悪者だな」
「「「「はは」」」」
乾いた笑いが、静かに木霊する。




