金曜日の夜
木下課長に頼まれた、資料データを作る仕事は午後4時には終了した。
俺一人でやっていたら、今夜一晩かけても終わる量で無いのは確かだ。
寸動永誇さんと近藤直子さんの能力に頼るところは、非常に大きかったと言える。
俺と安藤先輩は、18歳と19歳。
まだ、パソコンのスキルはそれほど高くない。
こんな時、帝城高校のITスペシャリストの御堂大智がいてくれたらと、真剣に考えてしまう。
ミッドも、楓真の成功と時を同じくして、来年にはアメリカのマサチューセッツ工科大学入学に準備が忙しい事だろう。
門田主任は、年齢と経験がある為、素早くこなしていた。
しかし、寸動さんと近藤さんのコンビは、門田主任のスキルを勝る、打ち込みの速さと正確さと集中力の持続時間だった。
約3時間、ぶっ通しでパソコンを打ち込む集中力は半端ない。
伊達に、優秀な大学を出ているわけでは無いのだ。
きちんとした、上司に恵まれ。
ちゃんと道筋の通った、仕事と人間関係があれば、大変優秀なスキルを発揮する持ち主たちなのだ。
元来の性格上、今まで腫れもの扱いされてきたのだった。
それをたった一日で、人間関係を築き。
良き上司として、火吹係長は采配を振るっていた。
「皆さん、お疲れさまでした。」
俺は、デスクから立ち上がり、自分のメンバーにお礼を言う。
門田主任が、やや疲れた顔をしながら
「何とか間に合いましたね。」
「それにしても、こういう仕事は、寸動君と近藤君にはとてもじゃないが敵わないなぁ~」
寸動さんは、全く普段と同じく
「普通ですよ。単純な打ち込み作業じゃないですか」
近藤さんが、俺を見て
「会食に間に合ってよかったですね、係長」
「そうですね。皆さん助かりました。ありがとうございます。」
背の高い、優しい門田主任が後を引き継いでくれた。
「後は、僕らで木下課長に渡しておくので、係長はもう上がっちゃってくださいよ、和装で行かれるのでしょう」
俺は、全員に向かって両手を両太ももに付け、深くお辞儀をする。
「感謝します。すいませんが、そうさせてもらいます。」
俺は腕まくりを戻し、シャツのボタンを留め上着を羽織るとタイムカードを押して、部屋を出た。
寸動さんが、近藤さんに向かって一言。
「火吹係長って、かっこいいわね」
近藤さんも答える。
「そうね、妻子持ちじゃどうしようもないけど、上司としては今までで最高点ね。」
俺の知らないところで俺の話をされるのは、毎度の事だがまだまだ、底が見えない男 火吹武将ではある。
午後5時
俺は急いで、屋敷に帰った。
ツネさんには、途中で連絡していたので、オヤジの着物を用意してもらっていた。
用意されていたのは、深く濃い銀色を基調とした、立派な着物であった。
俺は着替える前に、シャワーを浴びて汗を流す。
大事な人と、会食するのだ。
身だしなみとして、当然だと自分で思う。
シャワーを浴びて、風呂場から出てきて大きくフカフカのバスタオルで全身を拭うと、自然に気合が入る。
「よし!!」
リビングの隣にある和室に行き、飾ってある着物を見つめ、自分の頬を両手で叩く。
パン!!
気合が入った。
(オヤジ、借りるよ)
着替えは、ツネさんが手伝ってくれた。
午後6時前、俺のスマホの着信音が高らかになる。
候葺縁さんからだ。
「武将様~帝都ホテルの前で、18:30にお待ちしておりますわよ~」
「わかりました。午前中は、気を使わしてしまいすいませんでした。」
「お安い御用ですわよ~私、武将様の妾ですから~」
「・・・・・・」
「あら~お返事が聞こえませんわよ~」
「・・・・・・」
「あらあら~まだ無視なさるの~つれないわね~」
「18:30に帝都ホテルの前で、お待ちしております。」
この人と、会話で勝てる自信がない事は、明白なので最近では無駄な会話はしないよう努めている。
勝てぬ戦いをするほど、俺は愚かではない。
スマホの画面にタッチして、通話を切る。
相手の気持ちに、嘘偽りはない事は分かっているが、俺の気持ちも変わることはない。
その上での言葉遊びを楽しんでいる、女王陛下には悪いと思うが、付き合う気持ちはない。
週末金曜日の帝都ホテルの入り口前は、混雑していた。
高級一流ホテルとはいえ、週末となれば宿泊する人や、食事に来る人、接待や会議で使う人々で溢れかえる。
そんな中、帝都ホテルの豪華な作りの入り口前に、タクシーで到着した和装美人は、当然ながら候葺縁本人だ。
渋めの赤色に金色のデザインが入った、とても豪華で素晴らしい着物を着た女傑は、長い髪を見事に結い上げ、帯は漆黒で今風のお洒落な色使いの帯が巻いてあり、帯を止める紐は金色に輝いていた。
タクシーから降りた途端に、周囲の注目が集まる。
これまた、候葺縁にとっては日常の事だが、見られる事に慣れるというのは、一種の芸能人の感覚に近いかもしれない。
そこに、黒いロールスロイスファントムが静かに、そして威厳と豪華さを載せて静かに、滑り込んでくる。
もちろん運転するのは、重道勘蔵ことシゲさんであり乗っているのは、火吹武将本人である。
今晩の武将の出で立ちは、亡き父、火吹虎雄の来ていた深く渋い銀色に黒の柄が少し入ったこれまた、見ただけで高級そうな和装であった。
髪の毛は、ワックスで固めてオールバックにしている。
帯は偶然にも、候葺縁さんと同じく、漆黒の渋い黒色に、高そうな扇子を差し込んでいた。
とても、未成年には見えない出で立ちと、振る舞いであった。
「まぁ~とても素晴らしく凛々しい、お姿ですわ~」
身を捩りながら、腰をくねくねして俺の着物姿を見て楽しんでいる、縁さんだ。
(とても、午前中に会ったCOOBデザイン株式会社社長と同一人物とは思えないって)
「こんばんは、縁さんもとてもお綺麗ですよ。」
「まぁ~、わたくしの姿に惚れ込んだなんて~私嬉しくてたまりませんわ~」
(いやいや、そこまで言ってないから)
等と、帝都ホテルの入り口でじゃれ合っていると、周囲の視線がどんどん集まってくる。
(これは、またまずいパターンだな)
「縁さん、先にホテルに入りましょう。ここでは目立ってしょうがありませんから」
「ええ、よろしくてよ」
自分の右手をそっと、しなりながら俺に差し出す。
和風にエスコートしろってか?
俺は後ろを振り向き、シゲさんに声をかけ縁さんの手をそっと支える。
「終わったら連絡しますので、屋敷に戻っていてください。」
昭和の執事は慇懃に
「かしこまりました」
っと、言い深くお辞儀して来た道を静かに走り出す高級車。
俺は縁さんの柔らかく、細く長い指を優しく握りながら、帝都ホテルに入り、最上階まで行くエレベーターの扉の前に行く。
突然、それは起こった!!
エレベーターの扉が開くと同時に、長身の細身のひげ面の男がサングラスに帽子、マスク姿といういかにも怪しげな奴が乗り込んできたのだ!!
咄嗟に反応したのは、候葺縁さんの方が、コンマ何秒か早かった。
しかし俺は、直ぐに事情を察して、縁さんが右足を大きく踏み出し左手を曲げて、左肘で相手の顔面を殴り倒そうとした、左肘を俺は 全力で両手で受け止めた。
ガシッ!!
「ひっでぇ~な、いきなり問答無用でぶん殴られるとは思わなかったぜ」
不審人物は、扮装した彭城楓真だった。
「楓真さん!!どうしてここに、それにその恰好は、、」
珍しい、この女王陛下でも動揺することがあるんだな。
最近、滅茶苦茶有名人になった、彭城楓真は、昨晩の話を聞いていて、話もせず、許可も取らずに変装して無理やり参加しに来たらしい、、、
(おいおい、ドラマ撮影は大丈夫なのか?こんなわがままな新人いねぇだろぅ~)
「どうせ、今更【帰れ】って言っても、聞かねぇよな」
「無論。」
(せめて、もう少し言い訳しようよ)
彭城楓真は変装を全て取り、本来の自分の姿に戻ると、全身漆黒の超細身のスーツを見事にカッコよく着こなしていた。
パンツは、細く長い足をこれでもかというくらい、かっこよく見せていて、シャツは黒と銀の間の色合いで、裾はパンツの外に出していた。
ジャケットは、パンツと若干色合いの異なった、艶無し漆黒の色で、銀色に輝く糸が縦に使われている。
ウエストはこれまたよく引き締まっていて、丈がやや長い。こいつだから似合うが、普通の人じゃ着れねぇだろうって上着だ。
流石は、芸能人本職だけはある。
俺や、候葺縁さんが、どんなに着飾ってもこのオーラと雰囲気は出せねぇなぁ~
髭は、撮影現場から借りてきた付け髭だったらしい。
何とも手の込んだものだ。
そこまでして、ここにお前が来る必要あるか?
等と、悶々としていると、エレベーターは最上階に到着して扉が静かに開く。
流石は、一流ホテル。
エレベーターの扉迄気配りを感じる。
【虜・夢味庵】は最上階の一番広く目立つ場所に、高級レストランに相応しい門構えと雰囲気を漂わせていた。
受付で、【葛城仁】の名前を告げると、直ぐに丁寧に個室の部屋に案内された。
部屋に入る前に、案内してくれたスタッフから
「葛城様と豊様は、お先にお待ちです。」
っと、伝えられた。
今、午後6時40分。
約束の時間は午後7時。
20分前に来たのに、大切な先方様を待たせてしまった。
俺の中に、焦りが生じた。
気付いたのは、恐らく楓真だけだと思うが
草履を脱ぎ、座敷に上がる。
部屋の前で、案内してくれたスタッフが、両ひざをつき両手でそっと取っ手に手をかけ、「お連れ様が起こしで、ございます。」と言い、襖を開ける。
20畳はありそうな、大きく贅を尽くした和風の部屋には、中央に朱色に染められた、一枚板の高そうなテーブルが置いてあり、テーブルを挟んで葛城仁社長ともう一人、ユタカ自動車社長、豊 一颯が座していた。
豊社長は、中肉中背で、年の頃は仁父さんより少し上に見えた。
年齢に割には、お腹も出てなくシャープな研ぎ澄ました、日本刀のようなイメージを受けた。
髪の毛もグレーで、7:3にワックスでキッチリと分けていた。
スーツは、紺色でシンプルだが、生地といい体格にピッタリ合ってることとで、完全高級オーダースーツだとわかる。
イメージと同じで、目付きも鋭く眉毛は、意志の硬さを表すように太く濃かった。
俺達3人は、音を立てず部屋内に入り、正座して挨拶する。
「豊社長、遅くなりまして大変申し訳ございません。火吹武将と申します。」
俺が3人を代表して、頭を下げながら挨拶する。
豊社長は、威厳と風格を伴って、俺に低い声で話しかけてくる。
「私を待たせるとは、随分偉いじゃないか、火吹家の若き当主は!」
「「「!!!」」」
俺達3人が、頭を下げる。
珍しく、楓真も俺に習い、土下座する。
「遅参しました事、誠に申し訳ございません。」
豊社長は、変わらず威厳という鎧を纏って、静かにそして低く話す。
「詫びをしてもらおうか」
俺は頭を下げたまま
「【詫び】と申しますと、どうすればよろしいでしょうか?」
嫌味など何も言っていないとばかりに、静かにそして無理を宣言する。
「ワシを楽しませてくれ。」
「・・・・・畏まりました」俺は返答し、静かに着物姿で立ち上がり、帯に刺していた扇子を持つ。
俺が立ち上がり、扇子を持った時点で、頭の良い候葺縁さんは俺が何をしようとしているか気づいた。
姿勢を正し、両手を膝の上に置く。
楓真も気づいたらしく、頭をあげ真っすぐ前を見る。
俺は、姿勢を正し すり足で、音を立てずに前に出る。
そこで、いきなり縁さんが気合を発する。
『はっ!!』
腹に響く、魂の籠った、覇気をだす。
俺は、静かに舞を踊る。
バッと、扇子を広げて、メリハリ付けて踊りだす。
【日本舞踊】を俺の舞う姿に、縁さんが合の手を入れる。
『はぁ~はっ!!』
驚きなのは、その後だ。
彭城楓真が、日本舞踊ではあり得ない、高く響く声で、アカペラでハーモニーを歌いだす。
時には、熱く高く激しく、そして踊りに合わせて、静かにそして低く。
俺が踊っているのは、父に習った西川流という日本舞踊だ。
日本舞踊5大流派のうちの一つで、日本舞劇とも呼ばれてドラマ性の高い日本舞踊だ。
亡き父が、こよなく愛し よく屋敷でも練習していたので、教わった踊りだ。
ただ、今踊っているのはかなりアドリブの入った、舞踊だ。
候葺縁さんが、合いの手を【気】と共に発し、彭城楓真がアカペラで、バックで歌う。
始めて、突然やった芸にしては、完成度が滅茶苦茶 高い出来栄えだった。
楓真は、アーティストでプロだから当然だが、俺の舞と魂の籠った気合を発する候葺縁さんとのトリオは充分プロとして通用するレベルだった。
候葺縁さんのポテンシャルの高さをまたも感じた一瞬だった。
もしかして、こうなることもあり得るからと、和装にしたのか?
舞を踊りながら、無性に感心してしまう俺だった。
でも、俺が舞を踊る事なんて、想像できないだろうに、、、
【出来る限りの対策を考えて、手を打っておく。】
これは、とても重要な案件だと、俺は手の先から足のつま先まで神経を研ぎ澄ませ舞いながらも、勉強していた。
そして、15分ほど経ち 日本舞踊は終了する。
3人、横並びに正座し俺が、代表して話す。
「お粗末様です。」
豊社長は、雰囲気がガラリと変わり、大きな声で俺に話しかけてきた。
「がっははは。素晴らしい!!見事じゃて、まるで火吹虎雄の面影を見ておる様じゃった。」
「君を試すような真似をしてすまなんだ!皆、近くに来なさい」
どうやら、またしても葛城仁父さんの罠にはめられたみたいだ、、、
道理で、何も助け舟を出してくれない訳だ。
そこで、始めて仁父さんが、そこにいる全員を豊社長に紹介する。
「今更ではありますが、彼が私の義理の息子で、火吹家当主。火吹武将君です。」
俺は、即座にその場に対応して、テーブルの前で頭を下げる。
「よろしくお願い申し上げます。」
続けて、仁父さんは候葺縁さんを紹介する。
「COOBデザイン株式会社の社長の候葺縁です。」
女王陛下は、しずしずと
「候葺です。お見知りおきくださいませ。」
豊社長は、微笑みながら
「経済界の女王と呼ばれる、あなたにお会いできたのは嬉しい事ですじゃて、それに噂通り大変美しく、品がおありだ。」
「褒めすぎですわ、豊社長」
「ほっほっほ」
(このおっさんも、年とっても【男】に違いはない。)
密かに俺は、思う。
仁父さんは、イレギュラーのプロの色男。楓真に顔を向けて
「そして、彼が彭城楓真君で、武将君の親友で、一緒に生活してます。」
楓真は黙って、お辞儀だけする。
意外なのは、豊社長の方だった。
「彭城君、本人とこんなところで会えるとは思わなんだ。うちの娘と孫が君の大ファンでね。是非 後で一緒に写真を取ってくれんかな?」
楓真は、黙って頷く。
超意外な展開から、会食は始まった。




