同棲の理由
午後21:30
「ただいま」
俺と舞は港区虎ノ門のど真ん中にある、自宅に帰って来た。
いつもの様にシゲさんが、正装のまま迎えてくれる。
「お帰りなさいませ、武将様、舞様。」
奥からツネさんが、飛び跳ねるように出てくる。
「ご夕飯の支度は整っておりますよ、坊ちゃま」
ツネさんは俺が生まれた時にはこの家にいた。
自分の息子の様に思っているのかもしれないが、高2で【坊ちゃま】はかなりやばい。
シゲさんの様に名前で呼んでくれるように頼んではいるのだが、頑として受け入れてもらえない、、、
ここにも頑固者がいる。
ちなみに舞の事は【舞お嬢様】と呼ぶ。
いやはや、今は令和だよ。
平成も終わったんだよ。
昔の武家屋敷じゃあるまいし、、貴族でもないのに、、、
所詮、商人よ俺の血筋は。
まぁ、ツネさんにしてもシゲさんにしても、祖父の時代から代々火吹家に仕えてくれている大切な家族だ。
祖父が精密半導体工場をいち早く、研究製造に取り掛かった時に、ツネさんのお母さんは他社の半導体製造研究を仕事しており、祖父が気に入り今で言うヘッドハンティングしたらしい。
シゲさんのお父さんは祖父と共に半導体工場の研究建設、営業に邁進し公私に渡り、戦友であったそうだ。
その成果も現実に出し、一時期では半導体シェアは国内最高を維持していた。
勿論品質もメイドインジャパンで当時、最新最高技術を誇っていた。
そして、曽祖父が作った、蓄財が何百倍にも増え、港区虎ノ門の一等地に35階建ての自社ビルと近くに自宅を建てた。
全国各地に営業所と工場を建設し東証一部上場に成功し社員も1万人を超える大企業に一気に成長した。
その屋台骨を支えたのが、ツネさんのお母さんとシゲさんのお父さんであったというのは親父から聞いていた。
そして、今では先代から代は変わっても、家族として一緒に暮らしている。
ちなみにツネさんの母上もシゲさんの父上もまだ健在で、火吹家の敷地内の自宅で暮らしている。
父はKABUKIコーポレーションを更に発展させた人物だ。
半導体技術が中国にキャッチアップされ、安価で提供されるのを見抜き、国内にある半導体工場を半数ほど閉鎖改装し、小型カメラの研究開発を軸に他業種へも手を出した。
小型カメラ技術は日本人に限らず、他国からも優秀な技術研究者を率先して、好待遇で迎い入れカメラの技術革新に大きく貢献した。
結果、小型カメラは時代の風潮にも乗り、自動車のバックカメラやドライブレコーダー、スマートフォンの高性能カメラ、デジタルカメラ、防犯カメラ等 次から次へと開発され、小型カメラでは世界トップシェアを誇るまでに至った。
他の業種では、残った半導体工場で作り上げた基盤やマザーボードを更に研究開発させ、革新的に小さく縮小させ
る事に成功した。
小型コア回路の完成である。
そのコアを使って、スマホやパソコン、タブレットなどに多く使われるようになった。
KABUKIコーポレーションの名前が無い製品でも、KABUKIコーポレーションの部品が使われるようになったのである。
物作り以外でも、AIプログラミング会社を始め、不動産事業や24時間営業のスポーツジム、貿易会社、芸能プロダクションなど幅広く事業を展開していった。
どの事業も黒字化して、KABUKIコーポレーションの資産総額は60兆円を超える。
そして今、、、
俺の親父とお袋は、、、
俺が15歳の時だった、、、
死んだ。
仕事で移動中、高速道路の交通事故で両親揃って死亡した。
運転手の脇見運転と後続の大型トラックがスマホをいじりながらのながら運転をしていたという、たまたま悪い事が重なったせいだ、、、
運転手は景色に気を取られて、1秒にも満たない脇見をした、前の車がカーブ先の渋滞に気付くのが送れ急ブレーキを踏んだ。
運転手の脇見運転のその一秒が、原因で前の車に衝突して、後続から大型10tトラックが、ながら運転をしていたせいでノーブレーキで突っ込んできた。
運転手を含め両親とも即死だったらしい、、、
様々なニュースでもトップで取り上げられた。
上場企業の社長夫妻事故死!
当時は散々騒がれたものだ。
その時、俺は帝城中等部2年生の時だった。
授業中に学年主任の先生が教室に飛び込んできて、俺が呼ばれた。
その先生の慌てぶりからして、異常事態が起こったのはなんとなくわかったが、まさか今朝いつも通り、挨拶を交わした両親が他界したとは夢にも思わなかった、、、
警察に連れて行かれた時には事情を説明されていたが、何を言っているのか自分には全く理解できなかった。
遺体安置所で父の弟、竜治叔父さんが涙を流しているのを見て始めて、理解した。
親父もお袋も、いなくなったのだと、、、
不思議と涙は出なかった、、、
ただ、立っているだけの俺を竜治叔父さんが、ギュッと抱きしめてくれた。
遺体は損壊がひどく、中二の俺には対面が許されなかった。
何も考えられないまま、会社を上げての盛大な葬儀も終わり、知らない大人が沢山、俺を「可哀想にと」「頑張るんだよと」励ますが、全く記憶に残らなかった、、、
自宅に両親の骨壺を持ってきていきなり実感が沸いた。
俺の親がいないという、虚無な寂しい気持ちが止めどなく
溢れてきた。
始めて、泣いた、、、泣いて泣いて泣きまくった、、、
両親の運転手はいつもシゲさんが担当していた。
たまたま、事故当日 シゲさんの息子の授業参観があると親父に話した所、休みをくれたと言う、、、
そして、変わりの運転手が事故を起こした。
それ以降、シゲさんは俺と舞の運転手を他人に絶対任せなくなった。
シゲさんも相当悔やんだことだろう、、、
舞はずっと一緒に居てくれたが、よく覚えていない、、、
泣き続ける、俺を見て舞は自分の家に戻って行った。
舞の家は麻布にある。タクシーなら20分も掛からない。
自宅に帰るなり中二の舞は、父親に向かって言い放ったそうだ。
「今日から、私は武将君ちで一緒に暮らします。」
父親の葛城仁は俺の親父の大学時代からの親友だ。
勿論葬儀にも来ていた。
母親の唯は、心配そうな顔で舞を見ていたが、舞が「反対しても無駄よ。今の武将を一人にはしておけない。お父さんやお母さんが反対しても行くわ」
父親の仁は「舞はもう15歳だ、自分の行動にはしっかり責任を持つんだよ。一時の感情で失敗する事はよくあるものだよ」と優しく微笑み語り掛ける。
舞はキッと父親 仁の目を見て
「確かに、武将のご両親がこんな事になていなかったら今では無かったかもしれないけど、結果は早いか遅いかだけで同じよ。」
「私を心配してくれる気持ちはとても嬉しいけど、、、」
父親の仁は穏やかに優しく
「わかったよ。荷物をまとめたら、私が車で送って行こう。母さん手伝ってやりなさい。」
舞は仁に笑いかけ「お父さんありがとう。心配かけてごめんなさい。」
母の唯は決心がつかない様子だったが、舞の気持ちと夫の言葉に従い、荷作りを手伝いながら愛娘に話しかける。
「武将君と小さい時から一緒に育ってきた、舞が彼の事を心配する気持ちはとても良く分かるわ」
「武将君が、ちゃんとしている事もね」
「他人がどう言おうと、お母さんとお父さんは舞の見方だから、それだけは忘れないで頂戴。」
舞はスーツケースに洋服を入れる手を止めて
「ありがとう、お母さん。」
母に抱き着く舞は思わず、涙が頬をつたう、、、
準備ができ、父親の仁が車に荷物を積み込み助手席に舞が座る。
お父さんがお母さんに声を掛ける。
「母さん、行ってくる。戸締りはちゃんとしておくんだよ」
「はい、気を付けて行ってらっしゃい」
車は静かに走り出す。火吹武将の家へ向けて、、、
車中、父親の仁は何も喋らなかった。
舞の決意を聞いた後では、何を言っても無駄なのは我が子だから良く分かっている。
それなら、応援してあげようと、、、
世間がどう言おうと、仁は舞を応援してやろうと決意していた。
時間も遅く、道は空いていた。直ぐに虎ノ門の火吹家に着いた。
正門を抜け、玄関まで車を付けると、シゲさんが喪服のまま、毅然と佇んでおり、沈黙のまま荷物を運ぶのを手伝ってくれた。
葛城仁は舞に一言
「私は君の父親だ、どんな時も君の見方だからね」
と優しく語り、シゲさんに向かってお辞儀をする。
「娘をよろしくお願いいたします。」
っと、声を掛ける。
シゲさんは何も言わず、自然にいつもの様に慇懃にお辞儀する。
舞は静かに走り出す、父親の車に向かって深く頭を下げる。
バックミラーに移る、愛娘の姿に本心は大人の常識と父親としての感情が複雑に絡み合いながらも応援し続ける決心した葛城仁であった。