初出社
シゲさんの偉大さに、改めて感心する俺にシゲさんは優しく語りかけてきた。
「今、お話しした内容や私の行動は全て、先代の虎雄社長に叩き込まれたものでございます。」
「常に先を読み、こうなったらこうする。こうきたらこう返す。柔軟にそして豪胆に動けと教え込まれました。」
「そして受けた、【恩】と【怨】を決して忘れべからずとおっしゃられておりました。」
こんな話、シゲさんとは今まで一度もしたことが無かった。
シゲさんなりに、俺が明日から社会人になるにあたっての心構えを教えてくれてるのかもしれない、、、
「ありがとうございます。これからも気が付いたことがあったら、助言をお願いします」
「私などでよろしければいつでも。」
シゲさんはソファを立ち上がり、ツネさんに目配せする。
ツネさんは間髪置かずに
「坊ちゃま、明日から着るスーツを虎雄様の物から選んでおきました。」
俺は思わず、苦笑して
「高校中退で新入社員の俺が、親父のオーダースーツなんて着ていけないですよ。」
「もう、買って有るので大丈夫です。」
新入社員様に、安価なセットで売られている、フレッシュマンスーツを自分のお小遣いで、購入していたのだ。
シゲさんとツネさんは、不服そうだが、、、
いつか、親父のスーツを着るのに相応しい人間に成長したら着ようと心の中で思った。
葛城仁は礼服のネクタイを解きながら、にこやかに微笑んでいた。
仁父さんと同居の件は、亡き両親の使っていた部屋。
と言っても、寝室それぞれの私室に書斎、小リビング、クローゼット室、風呂が着いた立派な家だ。
そこを使ってもらう事にし、仁父さんの自宅の件は一度棚上げとなった。
舞も実家が無くなるのは寂しいだろうし、、、
しかし、今の時代3組に1組が離婚する時代だと言うのに、高校中退の俺と舞が離婚するとか、考えないのかな?
っと、考えもするが、俺自身は無いなと確信する。
何よりも、浮気などしたら、舞に殺される。
それはかなりの確率で実感する。
いわば、肌で感じるって奴だ!
夜も更けっていき、それぞれ皆、戸締りを確認して寝室に帰っていく。
俺と舞は当然、同じ寝室で寝るわけだが、同じ屋根の下に舞の両親がいると思うと何とも気まずいような気持ちに取りつかれるのは俺だけじゃないはずだ。
舞は全くそんな事は、考えていないようでいつものように、シースルーのネグリジェの上にローブを羽織ってゆっくりくつろいでいた。
(絶対、こんな姿、学校の連中には見せられないなと思う)
高校生で、この色香、、、
妊婦で秀才。
スタイル抜群で超美人。
語学が堪能で、ピアノの達人で声もとても綺麗だ。
天は2物を与えずと言うが、例外はあるようだ。
「今日は疲れたろう、ゆっくり休みなよ」
と優しく話しかける。
っと、突然に
舞はその小さな蕾の様な口を俺の口に押し当ててきた。
俺は一瞬びっくりするが、優しく腰に手をまわし軽く抱きしめる。
時が止まったように二人の息づかいだけが、聞こえる。
何度も何度も、舞は俺の唇に自分の唇を重ねて来た。
(おいおい、そんな下着が見える様なシースルーのネグリジェで、色っぽすぎるって、やばいだろって、、、)
(おまえは妊婦なんだから、、、)
思わず俺は、数3の方程式を思い浮かべ、頭の中で暗算を始める。
冷静になれ、冷静になれ、冷静になれ
知ってか知らずか、やっと自分の唇を俺の唇から離して、一言。
「今武将、頭の中で数3の方程式解いていたでしょ」
(ズキ)
「それだけ私が、魅力的だから仕方ないのよね」
(はい女王様、その通りでございます、、、)
「18歳になるまで、婚姻届けは出せないらしいけど、今日から私達夫婦になったのよね」
「残念だけど、新婚初夜は私が妊婦だから、おあずけね」
「・・・・・・」
「だから、今日はキスで許してあげる」
(あ、ありがとうございます、、、)
「胸だけなら、触ってもいいわよ」
(ご、ご勘弁ください、、、)
これは、拷問か?俺、悪い事した?今日は頑張ったよな。
ひょっとして、桜木優香の告白の御返しか、、、嫉妬?
(絶対、絶対言えない!言ったら破滅だ、、、俺と言う存在ががこの世から消えてなくなる、、、)
そんなこんなで、滅茶苦茶ハードな1日はやっと終わりを告げた。
翌朝、6時に俺は起床し、顔を洗い、髪型を整えスーツを着て、ダイニングという名の食堂に行く。
既にツネさんは、朝食を準備しており俺が扉を開けると
「おはようございます。坊ちゃま、背広も似合いますね」
っと、声を掛けてくる。
(背広とは今の時代、言わないんじゃないかな?)
思いながら「おはようございます」と返事をする。
そこに、葛城仁父さんと唯母さんが、入って来る。
俺は自分から挨拶する
「おはようございます。」
仁父さんが「早いねと」俺のスーツ姿を見て言う。
唯母さんは、ツネさんの所に行き、自分達の朝食を準備するのを手伝う。
その間、仁父さんは俺に会社の事を話してくれた。
仁父さんの会社は、織物会社で京仁織物株式会社という。
仁父さんの実家の歴史ある京織物から最新の合成繊維まで幅広く取り扱があって、京織物に関しては海外に輸出する窓口になっていて、海外では日本の着物人気が、高くなっているそうだ。
正装として、日本とはまた違ったデザインに仕立て、着物生地で作ったドレスなどが、アメリカやヨーロッパの富裕層で流行しているとの事だ。
また、新技術で作った、合成繊維は超軽量で、完全防水の為、登山用などの高級雨具として世界中で認知されつつあり、右肩上がりの売上らしい。
そして、俺はまず社会人としての教育を2週間受けて、各部署や工場を見て回り、始めは営業として配属される事になっていると聞かされていた。
今日が、初出社である。
さすがに、社長と一緒の車で出社する事も出来ないので、俺は地下鉄で京仁織物会社本社のある、渋谷駅まで向かった。
シゲさんには、舞を送迎してもらうように頼んでおいた。
舞はいつも7時に起床するから、起こさずにそっと寝室を出て来た。
京仁織物本社ビルは、渋谷から歩いて10分くらいの所に、15階建ての立派な自社ビルだった。
この本社には、約50人ばかりの社員が働いているとの事だ。
日本中に支社が5店舗あり、工場が2か所。
社員数1500人を抱える、大きな会社だ。
ジャスダックに株式を上場しており、資本金は2億5千万円、昨年の売上高は約250億円、通期の利益は150億円を超える。
超一流の大企業とまではいかないが、立派な企業である事に間違いはない。
何しろ、葛城仁社長一代で全て築いた会社だ。
俺は、一般社員が出社する45分前に出社して、仁社長から言われた、人事部の部屋で待っていた。
ちょっと早く聞過ぎたか、、、
やる事ないのも、退屈だな、、、
上着を脱ぎ、腕まくりして、人事部の窓のサンから棚や扉を水ぶき始める。
掃除を始めるていると、自然と体のエンジンがかかり始め汗をかくほど夢中になっていた。
っと、そこに人事部の社員の女性が出社してくる。
俺は自分から挨拶する。
「おはようございます。今日からお世話になります。火吹武将と言います。」
女性社員は、見た所20代後半で、清潔感のある素敵な人だった。
「おはよう、、、君が特別入社の火吹君ね」
「特別入社???」
女性は、右手を差し伸べて握手を求めてきた。
「ええ、この時期に新入社員なんて、あり得ないもの」
「私は、春日百合よろしくね」
「それでも、初出社日に腕まくりして、掃除をしている新入社員なんて、今時いないわよ」
握手しながら、にこやかに笑う。
(笑顔が素敵な、女性だ)
「早く来てしまって、やる事が無かったもんで、、、」
「掃除はもういいから、早く上着を着て。部長が来るから」
「はい。」素直に忠告を聞き、腕まくりを戻し上着を羽織りボタンを留める。
っと、そこにシュッとした感じの35歳くらいの背の高い体形だが鍛え上げた、細マッチョのがっしりとした、いかにも仕事が出来そうな人が出社してきた。
先程、紹介してもらった春日百合さんが声を掛ける
「神部部長、おはようございます。」
「本日入社の火吹武将君が来ております。」
神部部長と呼ばれた人物は、35歳という若さで人事部長まで上り詰めた人柄らしく、立ち振る舞いにオーラがあった。
「よろしくお願いします。火吹武将です。」
しかし、物凄いオーラを持つ奴が身近に居たので、臆することなく堂々と挨拶を交わす。
神部部長は鋭い眼光で黙ったまま、俺をじっと眺める。
「私は神部正志。人事部長を務めている。」
「君の長所と短所を言ってごらん」
俺は直ぐに答えた。
「長所は、我慢強く感情的になりにくいとろです。」
「短所は、今の所自分ではわかりません。」
神部部長は腕組みをして、考え込む。
「長所は良いとして、短所が無いと言うのは君はそれほど欠点の無い人間なのかな?」
俺は聞かれた事に素直に答える。
「いえ、欠点が無いと言うよりも自分で自分を嫌いになった事が無いと言うか、自分を嫌いにならないようにしているといった感じです。」
神部部長が初めて、笑顔を見せた。
かすかに微笑み「面白い事を言う新入社員だね」
「うちの会社は、こう見えてMARCH以上の大学を出ていないと普通は入れないんだよ」
MARCHとは、関東にある私立大学で、明治大学、青山学院大学、立教大学、中央大学、法政大学の事を言う。
おおよそ偏差値60位は無いといけないと言う事だ。
高校中退の俺が、どうしてここに居るか知りたいようだ。
しかし、神部部長は違う事を話してきた。
「でもね、勉強ができるからって会社にとって優秀な人材とは限らないんだよ」
「今の質問だって、大抵みんな似たり寄ったりの事を言うもんだよ」
「火吹君みたいに短所がありません。なんて答える人は始めて見たよ。」
「社長特別枠で、入社してきて、細かい事は聞かないようにと社長から言われている。」
「面白そうな人間だね君は」
思わず、俺は頭を下げ「ありがとうございます」と大きな声で答える。
仁父さんが、選んだ人事部長はとても立派な大人の様だ。
さぁ、こっから俺の社会人が始まる。
全力疾走だ!!




