7 冷えた心と温かい心
「あの時……か」
ハッキリと覚えている。結局千葉選手は疎か、あの親子すら亡くなった事はニュースで見た。それがまさか天子が行なった神引きだったなんて。
「あの時の輝の言葉が、冷えきった私の心を温めてくれたの。命は平等って事をあなたから学んだ。それから私はあなたをずっと天界から見ていた。純粋に、誰にでも優しく接するあなたの事が気になってたの。そんなある時、輝は貧乏神になった。せっかく見つけた、この下界で優しいあなたを殺さないといけない。でも殺したくない。あなたの目の前に降りたあの時でもまだ迷っていた。迷って迷って結局、私は殺せなかった」
そうか、やっと分かった。どうして僕を生かしてくれたか。どうして他の女神と敵対してまで僕を守ってくれるのか。
「自分に甘かった。だから妹達が来た。母さんが来た。挙げ句の果てには、守ると決めた私が輝を殺しかけた」
天子の目からはポロポロと涙がこぼれていた。
「本当にごめんなさい……」
「でも昼間の出来事は今の天子の意思じゃないでしょ?」
「え……?」
「出会ってまだ数ヶ月しか経ってないけど、僕は天子を信じてる。だから天子が暴走したあの時、正気に戻せる事ができた」
「輝……」
「どんな過去があろうとも、僕は天子の全てを受け入れるよ。約束する」
「てるぅ……」
大粒の涙を溢れさせ、僕の胸の中で子供のようにワンワン泣きだした。
「吐け吐け。苦しかったもん全部受け止めるから」
背中をさすり、彼女の頭を優しく撫でる。これぐらいしか僕にはできないけど、これで天子の辛かった思いが軽くなるなら、それで構わないから。
「……お兄ちゃん」
「……が! へ?」
あれ、ここは……トイレ? なんで?
『確か……天子があの後泣き疲れて眠ったからベッドに寝かせてあげて、それでトイレに行って……』
なるほど、そのまま寝てしまったと。理解した。
「前隠して」
「え、あ!!」
慌ててパンツとズボンを履く。
「ゴメン、今出るから」
水を流し、水玖ちゃんと入れ違いに出る。
「あら、輝君。おはようございます」
「!?」
おっとりとした声が僕の名前を呼ぶ。声の主はもちろん、地佳。
あまりにいきなり過ぎたので思わず三歩後ろに下がってしまった。
「もう、そんな身構えないでくださいな」
「無理もないでしょ。まだ武器を交えて二十四時間経ってないんだから。兄さん、おはよー」
「オハヨ……。え、あの……え!? ちょ、ひいちゃん」
手招きしてひいちゃんに耳打ち。
「昨日と様子が違うんだけど?」
「まぁそだよね。戸惑っちゃうよね。もう大丈夫だよ。母さんも兄さんの命は狙わないって」
「あ、そうなの?」
「あなたには命を助けられました。ご恩は忘れません」
そう言って地佳さんは深々と頭を下げた。
「あ、そういえば傷は大丈夫なんですか?」
天子に滅多刺しにされていたのに、傷が全く見られない。
「えぇ。水玖ちゃんのおかげですっかり良くなりました」
水、氷を操るだけじゃなく癒しの力もあるのか。すごいな。
ちょうどよくトイレから帰ってきた水玖ちゃん。どうやら今の会話を聞いてたみたい。
「言うでしょ? ケガしたら舐めろって」
いや、君のそれと人間のそれじゃワケが違うでしょ。
分かりにくいドヤ顔をしながら水玖ちゃんは食卓の方へと向かって行った。
「ちょっと〜、誰か手伝ってよう」
台所で天子が救いの手を求めている。
「では、この続きは朝食の後でという事で」
そう言って地佳さんは台所の方へ行ってしまった。
「恐かった?」
ひいちゃんは僕の表情を覗き込むように尋ねる。
「ちょっとね。でも話してみれば、そんなでもないなぁって」
「母さんの考えが変わったのも兄さんのおかげだよ」
「なんで?」
「母さんと姉さんをボロボロになっても助けようとしたから。もし兄さんがあのまま逃げ出してたら、母さん殺っちゃってたよ」
あの時は必死だったから、そんな事考えてなかったけど。何故だろう渇いた苦笑いが出る。
「輝〜?」
天子が呼んでいる。彼女の声色も普段と同じ感じだ。昨日の事を引きずっていないようで良かった。
「行こうか」
今日からまた一人加わって、新しい一日が始まる。賑やかになりそうだ。
「屈辱ですわ。この私が天子どころか、水玖にすら……」
天界に戻った雷夢は苛立ちを隠せないままシャワーを浴びていた。
蛇口を捻るその拳は何度も壁を殴った為に腫れあがり、血が出ていた。痛みも感じていたが、気にならない。とにかく自分のプライドが傷ついた事に意識がいっていた。
「私の神力が全快するまで二日。待ってなさい、天子! 貧乏神!」