12 いつか恋人ができたら絶対に
「中の方もよくなったね。もう大丈夫だけど、無理すると傷が開くかもしれないから気をつけて」
「ありがと、水玖ちゃん。やっと胸が解放された」
翌日、傷の痛みもすっかり治った僕は学校に行く事にした。時雨さんとの約束もあるしね。
「んでさ、天子。慌てなくていいからね?」
「だってぇ〜」
珍しく寝坊した天子は急いでお弁当を作っているのだが、僕もそろそろ遅刻が危うい時間になってきた。
「疲れが残ってるんでしょ? 寝ててもいいんだよ」
「いや! 作るったら作る! 輝とお昼食べるの!」
かわいいが、まるで駄々っ子だ。
「泣かないで。じゃあこうしよう。お昼になったら屋上に届けてもらって一緒に食べよ、ね?」
天子は「分かった」と一言頷くと、ようやく落ち着きを取り戻した。
「昼休みは十二時半だから、その時間に待ち合わせね。いってきます」
「いってらっしゃい。後でね」
玄関のドアを開けると、むわっとした空気が僕を覆う。今日も真夏日になりそうだ。
学校までの道のりでだいぶ汗をかいた。昇降口は影になっていて幾分か涼しく感じる。この涼しさが教室にもあればいいんだけど……。
階段を上がり、二階の教室に入る。うん、暑い。
「あれ、真? 今日は随分早いじゃん」
いつも遅刻ギリギリの彼がすでにこの時間にいるとは。
「まぁなぁ……。朝一来てこれをやれってよ」
そう言って机にあった一枚のプリントを指でつまみ、ヒラヒラと宙を泳がせる。
「何これ、……課題?」
一昨日くらいに配られた化学のレポートだった。確かこれの提出期限はまだの筈だけど。
「俺だけ今日までなんだとよ。やれやれだぜ」
「提出期限守らないからでしょ」
「やっぱそれかぁ〜」
去年からそうだったな、真は。頭は悪くないが、進級に響くくらい提出物が疎かで、そのせいで成績も僕と変わらない評価だった。
今年もまたそんな目に合わなければいいけど。
「そういや、あと少しで夏休みだな」
「まぁその前に期末があるけど……」
「今年の夏休みは……」
「ネカフェに泊まり込みはもうやらないよ」
そう、あれは去年の夏休み。お互い部活や塾などの予定が無い僕達は共通の趣味であるネトゲのレベルアップの為に、年齢を詐称し、ネカフェに泊まり込むという生徒指導の先生が聞いたら発狂物の悪事を行なっていた。
幸いにも学校や警察にもお世話にならずに帰る事ができたが、体力、精神力がギリギリとなった僕達は危うく交通事故に遭いかけ、死にそうになるという黒歴史がある。
「……」
図星かよ!
「神様がいるからか?」
「それもあるし、もうあんな黒歴史なことはしたくない」
「仕方ねぇ。今年は俺一人で行く」
行くのか。懲りないな、こいつは。
「あ、そうだ。真、屋上の鍵貸してくれ」
「……お前、俺よりあそこを満喫してるな。お前用に一個作ってやろうか?」
「見返りはネカフェか」
「いや、レポートの考察を参考に見せて欲しい」
「……バレないようにしろよ」
そう言って、机の中にしまっていたファイルの中からほぼ完成したレポートを真に渡した。
「助かったぜ」
「は〜い、席着いて」
一時限目、現代文の先生が来た。他のクラスメイトは急いで自分らの席に着く。
「鍵は今日作業に取り掛かって、明後日渡しでもいいか?」
「それでいいよ。よろしく頼む」
僕も席に着き、急いで教科書とノートを取り出した。
数多の授業を乗り越え、迎えた昼休み。朝に約束した場所に来たけど、天子の姿が見えなかった。
「時間間違えてるのかな」
いや、絶対に一緒に食べると言った彼女がそんなミスをする筈ないな。
「てぇ〜るぅ〜」
お、噂をすれば。とびっきりの笑顔でやって来た。初めて屋上に真と来たように、神力のジャンプで上がってきた。
「待った?」
「ううん、ちょうど来たとこ。誰にも見られてない?」
「もちろん。私達を神様と認識した人以外には見えない『神隠し』を発動したからね」
この間の真の一件で、他の人から見られるような目立つ事をしてはいけないと口を酸っぱくして注意した。
「今日はね、ホラ。レジャーシート持ってきたの!」
「おお、ありがとう!いつも持ってこようと思ってたけど忘れちゃってたんだよな」
玄関に置いて、そのまま忘れる。あるあるですよね。
早速敷いて向き合う形になって座る。少し窮屈だけど、体制と位置さえ工夫すればどうって事はない広さだった。
「はい。お待たせ」
三段に積み重なった弁当箱を分離させ、それぞれの蓋が開かれた。そこには色とりどりの美味しそうなおかずがぎっしり詰まった愛情を感じられる代物だった。
「いただき……あれ、箸が足りなくない?」
「え? そうなの? 困ったなー、それじゃ今日は『あ〜ん』だね」
棒読みで、まったく困った様子には見えない。謀ったな!? かわいいじゃないか。
「はい、あ〜ん」
差し出された煮物が口の中へ入る。
「すごく味が染みてる」
「ふふん! どうよ?」
ドヤ顔の天子。恐れ入りました。
彼女の持つ箸を渡してもらい、今度は僕が食べさせてあげる。
「あ、ホントだ。すっごい美味しい」
「でしょ?」
また天子に箸を渡し、食べさせてもらう。ツバメの餌付けみたいな光景だ。
「天子さぁ、今日は予定あったりする?」
「え、別に特には無いよ」
「じゃあ、もし良かったら放課後に一緒に出かけない? ずっと前の服屋みたいに神隠しを解いて」
ここ最近、戦闘や負傷でまともに天子と過ごせていない気がする。
「天子?」
「はぇ!? な、何?」
「顔がすっごくにやけてる」
嬉しさが隠しきれてない。かなり嬉しいんだろうな。
「だって、憧れだったんだもん! わーどうしよ! どこ行こうかなぁ……」
一人舞い上がる彼女を見るのは楽しいが、お弁当をおくれ。
放課後、先に校門で待機していた天子は神隠しを解き、そこで僕と合流した。他人の目から見たら、校門で待ち合わせしたように見えただろう。
「お待たせ。どこか行きたい所はある?」
「カフェ行きたいな。ケーキ食べたいの」
ケーキか。学校からちょっと歩くけど、駅前に評判のいいお店がある。
「オッケー。いい所知ってるから散歩がてら行こうか」
「うん!」
元気のいい返事をすると、彼女は僕の腕に抱きついてきた。
「恋人同士に見えるかな?」
「バッチリだね」
僕達はゆっくり歩き出した。
砦川や例の公園を通るルート。色んな事があった風景もこうして幸せな時間を過ごしながら振り返るのも、また一興だった。
お喋りをしながらだと駅前までの道のりはあっという間だった。
「ここだよ。結構前からあるお店なんだけど、地元じゃ有名なんだよ」
偉そうに説明するが、実際来たのは初めてです。ただ、有名なのは事実。
「いつか、僕に恋人ができたら絶対来ようと候補に入れていた所なんだ」
「じゃあ念願叶った訳だ」
「そうゆう事。入ろっか」
木造のドアを開く。途端にケーキの甘い匂いとコーヒーの香ばしい香りが鼻をくすぐった。
中も木造で作られ、落ち着いた曲が流れるムードのあるお店だった。
「いらっしゃいませ。二名様でよろしいでしょうか」
「はい」
「こちらのお席にどうぞ」
店員に案内され、二人がけの席に向かい合って着く。
「天子は何にする?」
「私はね……レアチーズケーキとアールグレイ」
「じゃあ、僕はチョコケーキと抹茶ラテを」
店員は「かしこまりました」と一言いい、厨房へと戻っていった。
「天子は洋菓子の方が好きなんだ」
「どっちかって言われたらね。洋菓子ってさ、次々に新しく発明されるじゃない? だからかなぁ」
なるほど、確かに洋菓子って他の国の素材を使ってアレンジするもんなぁ。
「輝はどっち?」
「僕も……洋菓子かな」
「洋菓子好きが抹茶のラテ頼むのか〜」
「いやいや!『ラテ』がつくから洋でしょ!? 違う!?」
「アハハ! 変なの!」
天子の笑顔につい釘付けになった。心からの笑顔なんだなって、改めて感じる。
「失礼します。お先にケーキをどうぞ。お飲み物は後ほどお持ちします。ごゆっくりどうぞ」
程なくして注文したケーキが運ばれてきた。どちらも『映え』な代物だ。
「素朴な中にかわいさがある。何これ、すごい!」
二つの皿をくるくると回転させ、色んな角度から見ている。このお店の評判の良さは味はもちろん、視覚の楽しさもあるようだ。
「いただきます」
一口大の大きさに切ったチーズケーキを口に運ぶ。
「どう?」
「しあわせです」
本当に幸せそうな顔してる。連れて来てよかった。僕もフォークを取り、一口食べる。
「なるほど、ちょっとビター。食べてみる?」
「うん」
一切れサイズにして、彼女の口の中に入れたげる。
「あー本当だ。ほろ苦で大人の味ってやつだね。じゃあ、お返しに私のも、はい」
差し出された一切れのチーズケーキをいただく。
「ビターの後の甘いチーズケーキ、最高だね」
「ねー! ハァ……口の中が幸せ」
この後もケーキを食べながら、お喋りをした。学校の事や、ひいちゃん達の事。こうやって落ち着いた雰囲気で二人っきり
で話しができることなんて指で数えられるくらいしかなかったから新鮮な気分だった。僕達は時間も忘れ、お喋りをした。
ふと時計を見ると、もう十九時を回っていた。
「天子、こんな時間だ」
「え、あ! 本当だ」
つい話し込んでしまった。店内にいたお客さんも疎らになっている。
天子の帰り支度をしている間に僕はお勘定をし、二人で外に出る。夏で日が延びたとはいえ、薄暗い。早めに帰らないと地佳さん達が心配するな。
「ごめんね。ケーキ代」
「大丈夫。いつも美味しい料理作ってくれるから、そのお返し」
「そうゆう事なら、御馳走様でした。今度は映画とかに行こうよ。暗い部屋の大きなテレビでドラマ見るんでしょ? 想像できないんだけど」
大きなテレビでドラマ。映画館を知らないなら仕方ないけど、その例えすごく面白い。
「映画いいね。なにか観たいのあったら今度一緒に行こう」
「うん。帰ろうか」
彼女の空いた手を握って帰る。これも恋人ができたらしたかった事。
「温かい」
「冬だったら良かったのにね」
「手の温かさは心の温かさなんだよ。輝は心が温かいから夏とか冬とか関係ないよ」
握られる手が強くなった。それに応えるように僕もギュッと握り返す。それ以上の言葉はいらなかった。僕達は帰路を歩いて行く。
「あ、まだやってない事があった」
砦川の橋の上で天子はその場で立ち止まり、僕の顔を覗き込んだ。
「やってない事?」
「そう。デートの最後にする事」
「あぁ!」
改めて天子の方を向いて優しく肩を抱き、僕達はそっとお互いの唇を重ねた。
夕日に照らされ、時が止まる感覚。これが彼女と二度目のキスだというのに、心臓の鼓動が激しすぎる。
「今日はありがとう。輝から誘ってくれたのが嬉しかった」
「こちらこそ。すごく楽しかったよ」
初めてのデート、彼女が嬉しそうでなによりだった。




