9 神様のカルテ
「ついたよ、輝!」
「わきゃあ!!」
いきなり大声で部屋に帰ってきた天子に驚いた妹二人はジェンガを倒し、こちらを見た。
「え! 姉さん、その傷どうしたの!?」
「私は大丈夫。水玖ちゃん!」
「何?」
天子は一旦深呼吸して息を整えてから、二人の目を見る。
「二人とも、落ち着いて聞いて。輝が雷夢にやられた」
「え!?」
「容態は?」
「右胸を刃が貫通した。さっき私の神力を入れたから、出血とかは少しだけ抑えられたけど……」
「任せて」
水玖ちゃんはここにいる誰よりも落ち着いていた。ひとつひとつ慌てず、的確に姉達に指示する。
「姉さん、布団敷いたからここに寝かそう」
ひいちゃんは床に布団を敷き、その上に血で汚れてもいいようにバスタオルを敷いた。
「輝、ゆっくり寝るよ」
寝かされた時に見えた天子の後ろ姿。髪や服、背中には運ばれる最中で流血や何度かの吐血によって、スプラッター映画の血糊のように真っ赤になっていた。
「服切るから、動かないで」
刀で丁寧且つ慎重にワイシャツだけを切っていく。
「ひっ!?」
露わになる傷。傷自体はえぐれていたりしてはいないものの、出血の量が凄く、今だに止まる様子は見られない。ひいちゃんが思わず目を逸らすのも無理はなかった。
露わになった傷をまじまじと見つめ、時折流血を指で触れ、真剣な眼差しで水玖ちゃんは診ていた。
「水玖ちゃん……」
不安そうに声をかける天子。水玖ちゃんがお手上げならもう、何をしてもダメなのだ。
「正直言って、かなり酷い……。傷自体を塞ぐのは簡単だけど、肺が片方やられてる」
僕のこの呼吸のしづらさはそれが原因か。
「でも、治せるよね!? ね!?」
珍しく天子は取り乱していた。こんな彼女を見られるのは後にも先にもこの時だけだろう。
「……分からない。でもやってみる。お姉ちゃん達も手伝って」
「分かった。何をすれば良い?」
「よし!」
ひいちゃんはパンパンと自分の顔を叩き気合いを入れる。
「輝君は大丈夫ですか?」
玄関からフワフワとした声が聞こえた。地佳さんが帰ってきたようだ。
「母さ……雷夢!!」
天子は雷夢の姿を見るや否や、すぐさま刀を生成し、雷夢に向かった。
「おっと。天子、やめなさい」
地佳さんは振り下ろそうとする天子の刀を素手でスッと止める。雷夢の方は顔が俯き、天子の刀に一切の反応を示さなかった。
「話は私の方でつけときましたから。ね?」
「……」
雷夢は無言で項垂れていた。
明らかに河川敷での戦いと様子が違う。何というか覇気が感じられない。
「……そう。なら」
ここは母親の言葉を信じよう。だが、雷夢の行動に細心の注意をはらう。またいつ命を狙うか分からない相手だ。そう心に留め、天子は刀をしまった。
「お姉ちゃんとひい姉は腕を押さえて。足はお母さんと雷姉」
「分かりました。ほら、雷夢」
分が悪そうに地佳さんの隣へ行き、言われた通りに押さえる。
こうして大の字になった僕の手足の自由は奪われた。この瞬間が一番怖い。心なしか身体が震えてきた。その震えに気づいたのか、水玖ちゃんの顔が耳元に寄ってくる。
「お兄ちゃん、これから治療を始めるけど絶対生きて。お姉ちゃんを独りにさせないで」
ふと見る天子の顔。不安でいっぱいで今にも泣きそうだ。
「…が……んば……る…」
僕は出せる限りの声を出し返事をする。全ては水玖ちゃんの腕と僕の気力にかかっている。
「始めます」
水玖ちゃんの言葉に他の四人の女神も息を呑む。(無論僕もだが)
水玖ちゃんは傷口に顔を近づけると、舌で傷口の周りと中を舐め始めた。その刹那、刺された時とはまた違う、強烈な激痛が全身を駆け巡る。
「うあぁああぁあっ!!」
思わず悲鳴を上げ、押さえつけられている手足をばたつかせる。
「輝、しっかりして!」
ドッと汗が出てくる。エアコンの効いたこの部屋が寒く感じるほどだ。
「周りはこれで大丈夫。あとは肺組織だけ」
あんなに叫び声を上げて我慢したのに、まだ序章だったのか。
「お兄ちゃん、今度は傷の中。肺に空いた穴を塞ぐ。だから……」
分かってる。さっきのより段違いな痛みが来るんだろ。耐えてみせるさ。
天子とまた話したい。
また笑いたい。
一緒の時を過ごしたい。
これが僕の思いだから。
「いくよ」
息を荒げに首を一回縦に降る。これで終わり。これさえ耐えれば、またみんなと一緒に過ごす事ができる。
水玖ちゃんは馬乗りになって傷口をゆっくり開き、舐め始めた。
「ぐっ!? あぁああぁあ!!」
再びやってくるさっきの倍以上の激痛。ヤバイ、意識が……。
「水玖ちゃん、まだなの!? 輝が……輝が死んじゃう」
僕の手を押さえながら、握る天子の手がより強くなる。
「天子、あなたがそんな考えでどうするんです?」
見かねた地佳さんが慌てふためく天子を宥めるように、優しくも厳しい言葉で諭した。
「だって……輝は私にとって大切な人なんだもん」
「だったら尚更。今苦しんでる輝君に必要なのは、あなたの弱気な声じゃないでしょう?」
「……そっか。そうだよね」
自分に言い聞かせるように何度も呟いた。
そうだ自分が弱気なままでは治るものも治らなくなってしまう。天子の心に巣食うネガティブな考えがだんだんと消えていく。
「天子、そこを押さえるのを私に任せなさい。母様、いいですわよね?」
「雷夢……」
「か……勘違いしないで。これは私がしたいからですのよ。別にあなたの事を思ってとかは……」
高飛車な彼女なりの思い。天子は微笑みながら頷くと、雷夢にその場を任せ、僕の顔の方に寄ってきた。
「輝、聞こえる? 私はここにいるよ。輝が元気に回復するのを信じてるから」
汗ばむ僕の額と天子の額が重なる。ずっと叫び続けてたけど、彼女の声は僕の耳にちゃんと聞こえた。
「終わった!」
水玖ちゃんの口から待ちわびた言葉が出る。
やっとこの痛みから解放できる。
「輝!」
「兄さん!」
「輝君!」
みんな、痛みに歪んだ僕の顔を覗き込んでいる。何か仕草をして、安心させようとしたけど身体が動かない。
『あぁ……ダメだ…』
心配するみんなを残したまま、僕は気を失った。




