ドールタウン
人形の街、そう呼ばれる街へ進むクィーロとウアト。嘗てはレンガで舗装された街道は、今では砕けたレンガと乾いた土で舗装された悪路となっていた。それでも、道と呼べるだけマシなのだと気付くのにそう時間は掛からない。
「この近辺はインフラの整備に力を回せないようだな、それも長い事」
「ワタクシが奈落に落とされた頃には道など無い場所でしたが――人は生き急ぎますね」
既に朝日が昇り暫しの時間が過ぎている。嵐の後の晴天であれば、雲一つなく。忌むべき方角とされる北西に浮かぶ魔城も、小さな黒い点として垣間見る事ができる。あれこそが、今、己の背後に控える従者の嘗ての持ち物なのだと思えば、クィーロは何とも奇妙な感覚を覚える。
何時の頃からか、ロムグの北西に浮かぶ魔城。多くの魔物が住まい疫病を放つだとか、地獄の君主が地上を監視するのに作り上げたのだとか噂されていたあの城の主が、従者になったのだから当然と言えば当然だ。
例えそれが、嘗ての主であったとしても。そして、証明する物とて今はないにしても。そうだったのだと思わせる力と凄味がウアトにはあった。それだけに、彼女が従者として自身に従う事が、奇妙な感慨を抱かせた。
一方で彼等が向かう先、人形の街では厄介な問題が持ち上がっていた。轟炎のラゾと呼ばれる魔術師率いる凶賊の群れに狙われていたのだ。
火の元素に関する魔術を得意とする凶賊ラゾ。魔甲纏う魔術師と言えども、『破壊の夜』以前の魔術兵器である魔導人形達は容易な敵ではなかった。
人形の街には、その魔導人形達が十体も稼働し、守護者として存在しているのだ。並の凶賊ならば敢えて手を出す必要のない場所だ。
事実、人形の街が狙われた事は、『破壊の夜』以降の三百年の間に五度を数える程度であり、これは他の街に較べれば圧倒的に少なく、そして、その全ては失敗に終わっている。
先日、五度目の襲撃を行い追い払われたラゾは如何しても人形の街を手にする必要があった。なんと、あの街には大魔術師の遺産が眠ると言うのだ。
赤い上着を纏った謎めいた男にそう教えられ、その力の一端を示されたラゾは、すっかりその遺産とやらに魅せられていた。
それを得る為ならば、多少の犠牲など如何でも良い。いや、自分以外は全て犠牲にしても良い。魔術師でもある彼はそう考えていたが、無論、それは部下達に総意では無かった。ただ、彼等のボスに逆らえる者など部下の中には居なかったのだ。
そんな状況下の只中にある人形の街。黒衣の主と虹色の瞳を持つ従者が辿り着いた時には、状況が大きく動いている最中であった。これは、果たして誰にとっての不幸であったのか。
悪路と呼ぶべき道を踏みしめながら、街にたどり着けば水の一口は貰いたい等と一人考えていたクィーロの背に、不意にウアトが声を掛ける。
「旦那様、諍いの臭いがします。お気を付けを」
ウアトの言葉には肩だけ竦めてクィーロは応える。黄金瞳の男が勝利した世界。奴の目指していた物を思えば、今、ここで何が起きていても驚きはない。
それからすぐだ。微かにコートの裾を揺らす風が、血の臭いを運んできたのは。諍いの声は、まだ殺し合いには発展していない様だが……。それも時間の問題と言えた。
「その方を離せ!」
「ははっ、離すかよ、馬鹿が! こいつを殺されたくなけりゃ、俺に遺産をよこせ!」
響いてきた声にウンザリとしたようにクィーロは息を吐き出した。深淵に落とされて戻って来るほどに時が過ぎても、人は人の愚かさを抱えたままの様だ。或いは、タガが外れ一層酷くなったか?
「如何いたしますか?」
不意に耳元に唇を寄せて、ウアトが囁く。静かな声音は、何処か面白がるようにも聞こえた。耳を擽るその声と同じように、鼻腔を擽る香りは既にこの身に馴染んだ彼女の香。その近さに身じろぎはせずとも、微かに動じるクィーロは小さく息を吐き出して喧騒の方を見据えて。
「私がやる、下手に手を出すなよ、騒ぎが大きくなる」
「心得ました、旦那様」
その静かなやり取りにクィーロは微かに羞恥を覚え、ウアトはただ楽しげだった。周囲の緊迫具合など、彼等には無縁である。
塀に覆われた街の出入り口。そこで武装した街の自警団達と砂色の魔甲を纏ったラゾ率いる凶賊達が対峙している。ラゾが無造作に掴んでいるのは……年端もいかない少女に見えた。
そんな場所へとコツ、コツとブーツを鳴らしながら進むクィーロ、そして音もなく後を追従するウアト。二人が砂塵舞う荒野より現れたのを最初に認めたのは、街の住人たちだ。凶賊ラゾの仲間かと身構えた者が殆どだが、魔導人形達の一人でありリュンクスの名で呼ばれる女守護者だけは違った。彼女は現れた黒衣の男を認めると、そして緊迫した状況下であるにも拘らず、困惑し狼狽し声を上げた。
「ま、まさか――まさか! 貴方は……貴方様は!」
後半の言葉は驚愕と畏怖に打たれ震えていた。それがどれ程異様な事か、街の住人達、特に同じ魔導人形達には良く分かった。リュンクスは、魔術戦士団を率いたルスティア将軍の下で研鑽を積んだ古強者。それがここまで感情を乱すその訳とは……。一層の緊張が街の自警団やほかの守護者に走る。
一方の凶賊達には空気も読めない旅人がやって来ただけと言えなくも無かった。だが、このご時世に二人だけで旅をするなどと言う自殺行為を行って、無事に街までたどり着けたと考えれば、愚かな旅人として一蹴するのは憚られた。彼等は無法者だが、それだけに街以外での生活の過酷さを知っているからだ。
また、しがらみのない旅人だ。下手に手を出して、この二人が手練であったならば手痛い攻撃を喰らい、計画が潰える。何より人質など意味を成さず、一方的な状況を覆されるかもしれない。頭目のラゾはそう判断して、様子を見守った。
「貴方様はルスティア将軍閣下! ロムグの奈落に散った筈では!」
放たれた言葉の意味を正確に把握できた者が果たして何人存在するのか。クィーロのみが右手を軽く上げて、その声に反応を示し。
「よう、リュンクス。深淵より這い戻ったぞ。時に、黄金瞳の男は今どうしているか知って居るか? それと魔城に昇る手段を」
そう問いかけながら、背後の従者を見やって笑う。これで分かれば苦労はないなと。
【続く】