帰還
空に浮かぶ魔城と燃え盛る様な恒星が見下ろす大地ロムグ。黄金瞳の男が齎した『破壊の夜』が肥沃な大地を荒野へと変えて久しい。嘗て存在していた国々はその枠組みを維持できず、都市国家のような小規模な物へと変遷を余儀なくされた。
『破壊の夜』が変えた物は数多あるが、この地の生態系も大きく変えた。今では魔物が荒野の闇に蔓延っているが、危険はそればかりではない。魔甲を纏う魔術師や徒党を組んだ荒くれなど力に溺れた人間も危険に含まれている。
力こそが正義、法と秩序は限られた場所でしか意味をなさなくなった大地ロムグに一人の男が舞い戻ったのは、つい先日の事だった。
その日は暗い嵐の夜だった。多くの事例で語り尽くされた天候を帰還の日に定めたのは、彼の趣味性には寄らない。ロムグの中央にある、ロムグの奈落と呼ばれる深い大穴に投げ捨てられた彼が、這い上がって来た日が偶々嵐だっただけだ。
「……久々の娑婆だ。空気は美味いが、荒天の歓迎はいらんなぁ」
黄金瞳の男との戦いで失った白銀の魔甲の代りに、黒いコートを羽織り、その下にはシャツやズボンと言った姿は荒天時向きではない。吹き荒れる風雨にずぶ濡れになりながら、岩肌ばかりの大穴を昇りきれば、彼は大きく深呼吸をして先程の言葉をつぶやいた。
銀色の髪を伝い流れ落ちる雨粒が、不意に滞るのは彼の恐るべきメイドが何とも言えぬ優雅な振る舞いで傘を差して、雨粒を遮ったのだ。嵐の夜だ。普通に傘を差した程度で雨風が防げるはずも無いが、彼はそれ以上は濡れる事は無かった。
また、驚くべき事に、金の髪や褐色の肌を雨露で濡らす事も無くメイドはこの絶壁を踏破したらしい。その衣服は勿論、手足も左目を覆う革製の無骨な眼帯も濡れてはいない。片手には傘を、もう片手には今はまだ純白のタオルを手にしている事を考えれば、全くもって信じ難い。
「相変わらず、完璧だな、所作が」
「恐れ入ります、旦那様」
差し出された白いタオルは見る見る七色に汚染されて行く。彼女が直に触れる者は全て七色に変じる。そこは欠点と言えたが、その程度の事は彼女の完璧さからすれば微々たるデメリットだ。七色の毒々しいタオルを受け取り、雨粒を拭いとる。
「晴れていれば、見えたのだろうな。今はお前の敵が住まうあの城が」
「見えようが見えまいが地上に出てくれば嫌でも感じますよ。ワタクシの敵は、常に頭上にあります。故に復讐の炎は絶えることなく燃やし続けられますが――旦那様は如何でしょうか?」
雨粒をぬぐい取った主の耳元に紅い唇を寄せて、そっと囁くメイド。その言葉に口元を歪めて黒衣の男ことクィーロ・ルスティアは答えた。
「借りは必ず返してやる。そう決めたのだ、存在など感じられずとも何が揺らごうと言うのだ。僅かな痕跡を辿り、必ず復讐は果たす」
深淵の地で生命を繋いだ男の決意は固い。それを聞き、恐るべきメイドであるウアトは深く頷きを返して笑った。
嘗て七色の泥土へと姿を変えられ封じられていたウアトを、クィーロが本来の姿に戻してから如何ほどの年月が過ぎたかも定かではない。今、分かっているのは例え如何ほど時間が過ぎようとも、彼等の復讐の炎が消える事は無いと言う事だけだった。
【続く】