退避
ウアトに肩を担がれるクィーロの魔甲は、いつの間にか霧散して消えていた。その足取りは覚束ず、額からは大量の脂汗を流している。
連日と言うべきか、一日に二回とカウントするべきかはともかく、魔甲を纏い力を振るった代償でもあり、凝固した炎に貫かれた結果とも言えた。
腹の傷の周りの衣服は焼け焦げているが、その程度で済んだことが異常である。驚くべき事に傷自体は既に塞がりかけている。だが、それでもまだ焦げた衣服をぬらぬらと日に輝く朱が染めても居た。
クィーロの呼吸は荒く、体も熱くなっている事はウアトにも分かった。それでも、クィーロのその灰銀の瞳は光を一向に衰えさせる事無く、歯を打ち鳴らそうとも肩を借りながら自身の足で歩いている。
魔城よりの刺客を恐れて、当てもなくクィーロを担ぎ歩いてきたウアトだが、その行いに後悔を感じていた。土地勘が全くないので、クィーロの身を休ませる場所など皆目見当がつかないからだ。
「……っ」
ウアトは唇を噛み、自身の判断の甘さを悔いる。己のミスであの輝きが消えてしまうなど、到底耐えられる物では無い。摩耗し消えかけていた心を蘇らせた輝きが。
かつて、暗い地の底で感じたぶつかりう合う魔力の余波。片や全てを凍てつかせる様な尋常ならざる金色の暴虐。片や、必死にその力に抗い、何度となく吹き消されそうになりながらも立ち向かい続けた弱くも美しい輝き。
その輝きの持ち主が、地上から降ってくる事に気付いた彼女は、ただ、その持ち主を守りたかった。
あの輝きは、深淵と言う牢獄の中で朽ち果てた心を震わせた唯一の物。あの魔力のぶつかり合いの時間など、囚われた時に比べればそれこそ一瞬であるにも拘らず、抗う輝きの眩さだけがウアトの心を震わせた。
故に守り切らねばならない。
確かに魔城の者達への復讐は大事だが、ウアトにとってその輝きの持ち主が健やかに生きる事も大事なのだ。つまりは、クィーロ・ルスティアと言う名の魔術師が、だ。
それは最早執着と言って良いほどに、彼女の行動原理になっている。血を失いながら落ちてきたクィーロを己の体内で傷を癒し生かし続けたのも、目覚めて以降その傍にいたのも、すべてはその思いの為だ。
無論、戒めを解く事が出来るかもしれないと言う打算もあったが。だが、戒めを解かれてしまうと一層執着が強くなった事を彼女は自覚している。
そう執着だ。輝きの持ち主であるクィーロの傷を癒やした頃は、彼をただ守り、生かしたかった。その気持ちに今も変わりは無い。だが、今ではより多くの感情がその胸中に渦巻いている。アウトはその感情、想いを何と呼ぶか分からずに居る。しかし、その中の一つに独占欲がある事は把握していた。
ともあれ、深淵に封ぜられたウアトにとって、クィーロの持つ魔力の輝き、或いはその精神性の輝きは頭上を照らす恒星の様に他に変えが無い唯一の物である。それを、自身のミスで失うかもしれぬとなれば、言い様の無い恐怖を覚えるのだ。
一方のクィーロは如何であろうか。彼にとって成すべき事は一つだけである。黄金瞳の男の抹殺。その一事の為に足掻きもがいて地上に戻って見れば、到底そこまでの力が無い事を知らしめられた。
だが、実の所、それほどショックは感じていない。今のクィーロにとって、出来る出来ないと言う事実は如何でも良いのだ。ただ、やるのみ。その為に全てを注がねばならないため、ショックなど受けている暇はない。
それに……深淵で多くの知識を得て、魔力が増したとは言え、そう簡単に事が進んでは面白くない。己の我もまだまだと自戒はすれども、全く気落ちはしていなかった。
ただ、一気に魔甲を用いて生命力を削った事や、魔術師『赤い竜』による一撃による傷によって、肉体が弱っているのは如何しようもなかった。休める場所があれば良いがと思わぬでもないが、それ以上に自分に肩を貸す従者の事が気に掛かった。
「……焦るなよ、ウアト。何を気に病んでいるかは……知らんが、焦りは禁物だ」
「無論、無論でございますよ、旦那様。ただ、ワタクシは自分自身が言うほど大した者ではないと――」
「否、だ。お前程の者が、他に何処にいる?」
純粋に能力だけの話であるならば、ウアトはクィーロの遥か上を行く存在だ。確かに随分と人間味を感じる事が増えているが、そんな事は問題ではない。灰銀の瞳はそう言いたげにウアトの横顔に向けられた。その瞳は力を全く失っていない。
「――聊か弱気になっておりましたか」
口元に笑みを浮かべて、ウアトはその瞳を隻眼で見つめ返した。右目の青き瞳には先程までの焦燥は消えて、力強さが戻ていた。灰銀の瞳は、彼女に落ち着きを取り戻させていた。
それが功を奏するのは、半刻と経たない時間の内だ。魔城より放たれた刺客が、正確にウアトの後を追い彼等の行く手を遮る様に現れたのだ。
【続く】




