暗部
リュンクスの言葉に飄々と答える様子を背後から眺め、ウアトは自身の知る主と、朧げにしか分からないそれ以前の主との差が明確になった様に思えた。
クィーロの命を助けた際に、幾つかの思考や出来事、それらの記憶を垣間見ているが、他者に対する好悪や想いなどは決して見る事は出来なかった。クィーロが魔術師であるならば当然だ。
魔術師は世界の法則を己の自我で塗り替えんとする者である。そんな彼等が例えば同化や精神支配を最も嫌うのは当然と言えた。故に、己の心を何よりも大事にするし、それを蝕む物には命を賭けて牙を剥く。そんな魔術師たちは例外なく、無意識化に自我に防壁を張り、錠を掛けている。ウアトの力をもってしても覗き見る事が不可能なほどの防壁であり、錠を。
黄金瞳の男に敗れたとは言え、その当時で既にクィーロはロムグの大地では序列四位の大魔術師。身体付与魔術のスペシャリストであり、白兵戦と魔術を組み合わせた戦法で戦う魔術戦士であり、多くの兵を指揮した一軍の将。そんな彼であれば、その自我は強靭であり、防壁も錠も強固である。当然覗き見る事など不可能だ。
それ程の人物が復讐に取り憑かれ、人間性を削りながら多くの禁断の知識を身に着けるに至るその過程しか知らぬウアトには、元の部下に飄々と語りかける様子は何とも新鮮に感じるのだ。
しかし、語り掛けられたリュンクスは、何故にか一瞬恥じらう様に視線を伏せた。それは、例えばクィーロに好意を持っており、声を掛けられたが故の等と言う甘酸っぱい物ではなく、自身の現状を見られたくは無かったとでも言わんばかりに表情を歪めた羞恥である。
彼女の性格をウアトは良く知らない。確かにドールタウンは『赤い竜』の一派と敵対している様なのは確かだ。そうでなければクィーロが即座に攻撃されている筈。如何に時が経とうとも彼女らが黄金瞳の男の一派に与する事は無いのだろう。ならば――彼女の恥じらい、或いは苦痛の源は街の方にあると考えるべきだろう。
「――さて、旦那様は如何様な答えを出すのか」
小さく呟くウアトの声など誰の耳にも届かなかったが、唯一クィーロのみが一度振り返り、肩を竦めて見せた。
ウアトが如何様な答えを出すかと期待するクィーロには、この現状のあり様が違和感に満ちている茶番劇に思えた。その方と呼ばれた小娘は、そう呼ばれる以上は権力者かその家族だ。そんな彼女が一人で捕まっている事を考えれば、内通者でも居たのか、或いは……狂言ではないかと考えたのだ。
そう、この攻防が狂言であったならば如何だろうか。街と賊が手を結んでいると言う話では無い。賊と小娘に利害の一致があり結託した可能性がある。或いは双方の行動の結果、偶然、この様な間抜けな状況になったのかはまだ分からない。ただ、人質である小娘の助けも請わず、賊に刃向かうでもなく――恐怖に飲まれて震えている訳でも無いあの様子は、大分おかしい。
クィーロは、無法者が街を襲っていると言う現状を見たままには解釈せずに多角的に状況判断に努めた。誰が敵で、誰が味方になるのか、判断を誤れば黄金瞳の男にたどり着けずに死ぬ。背後のウアトを今一度ちらり盗み見てから、コートの裾を靡かせて更に前へと出る。
リュンクスが垣間見せた感情、人質の態度、そして見てくれからして無法者と思われた連中の、案外秩序だった動き。一方のリュンクスを含めた魔導人形達の動きの鈍さ。どれかが欠けてもこの間抜けな膠着状態は成立しない。
無言のままに、彼等に近づきながらクィーロは考え続けた。一体、今この場で何が起きているのか、正確に把握するために。
クィーロが感じている違和感は、概ね間違いではなかった。人質の小娘ことドールタウンの指導者と言う立場に追いやられているイリナは、立場に見合わぬ若い娘だ。生まれてから今に至るまで、街の外に出たことすら無い。いや、出して貰えないと言うべきか。魔術の才があった事から、魔導人形達の上位者としての役割を幼き頃より担ってきた。その窮屈さと責任の重さに加えて、閉鎖空間特有の人間関係の爛れに嫌気がさしていたイリナは、信頼する護衛の手助けを受けて街を逃げ出す算段を整えていた。
魔導人形達さえ居れば自分の存在など無くとも街は存続する。現に魔術の才が無い者しかいない時代でも魔導人形達達は見事に街を守り切っている。外の危険は伝え聞いた事しか知らないが、例え野垂れ死んだとしても、一度も外を見ずして街の中で生き続けるよりはマシに思えたのだ。
イリナのこの考えは愚かとも言えたが、若い――クィーロが小娘と評する歳の娘であれば、安全な生活よりも多少の刺激や波乱を望むのは当然と言えた。何より、爛れた人間関係のギスギスとした日常からの逃避を求めるのに、年齢は関係はない。ドールタウンは、ロムグの大地で最も安全な街であったが、安穏には程遠かった。
街の外に出れねば逃げ場は無いのと同じ事だ。そして、魔導人形達は外敵には有用であっても、内部の腐敗には有用とは言えなかった。意見を口にすることはできたが、人形である彼等にはそれを強要する権限が無かった。例え道義的に正しい意見であったとしても。
イリナが厭う人間関係の爛れについては多くを語るまい。母と間男、父の無関心、周囲の妬み、嫉み。まだ十代後半の娘には辛い状況が数年前よりずっと続いていた。街の自警団として数年前から雇われている比較的歳も近いコノトが居らねば、如何なっていたか分からない。依存とまではいかずとも、全幅の信頼を寄せる彼女が居らねば、イリナは当の昔に如何にかなっていただろう。
そのコノトは今は牢の中だ。イリナの逃亡を助けた罪を問われたところに、ラゾがイリナを捕まえ、降伏を迫ったのだ。コノトが姿を見せない事で、彼女が捕縛されたと朧に把握しているからこそ、イリナは決して助けを乞いはしない。同時に、ドールタウンの崩壊すらも望むような心地を覚えている。
凶賊であるラゾにしてみれば、何故かドールタウンの指導者が護衛もつけずに出歩いているのだから、捕らえるのは当然と言えた。その際に抵抗が殆ど無い事に驚きすら感じていたが、彼は彼で大魔術師の遺産を手に入れるために必死で、細かく考える余裕はなかった。だが、復讐のどす黒い炎が燃える胸中に微かに生まれた疑念には気付かざる得なかった。イリナは妹に似ていたからだ。氷のグレシャに殺された妹に。
この様に彼等にはそれぞれ都合があった。街には街の、無法者には無法者の問題や悩みがある。
だが、彼等は思い知る。大いなる力の前では、人の悩みや問題はおろか、思いもその命すら塵芥に等しいのだと。
空の彼方より羽ばたきを耳にしたのは、今の時点ではウアトだけであった。それが全てを焼き尽くす赤い翼のはためきである事を、彼女からしてまだ知らない。『赤い竜』の到来を、まだ誰も気づいてはいなかった。
【続く】




