三毛猫と憂鬱
「ああ、いらっしゃい。 よう来たねぇ」
祖母は満面の笑みで僕の手を握った。しわくちゃに丸めてからまた開いて伸ばした見たいな掌で、包み込むようにして。
「えっと……お久しぶりです」
祖母と言っても遠くに住んでいて極たまにしか会わない間柄で、僕はただどうすればいいかわからなった。相手は僕を孫として可愛がっているが、僕からすれば滅多に会わない祖母は殆ど他人。気まずくてそっと目線を右下の方へやった。足元では呑気な顔の三毛猫が不思議そうに僕を見上げている。
「あの、今日からお世話になります」
少し緊張で震える声でそう言うと、祖母はまたにっこりと笑った。記憶の中の顔よりも、ずっとしわの増えたその顔に少し郷愁の念を抱いた。
「二階の部屋が空いちゃーるさかい、荷物置いてき。」
祖母はそう言って花に水をやりにいった。
キシキシと音を立てる木造の家は少し広くて、一人で歩いていると心細い気分にもなった。陽の光が差し込んで、蝉の声が煩く耳にこびり付いて、不愉快で堪らない。
「帰りたいなぁ」
僕は早くもそんな言葉を零した。車の走る音とか、風に流されてどこからか聞こえてくる駅の接近メロディとか、すれ違う高校生の退屈そうな表情とか、そんなありふれたものがここにはなくて、自分の思い付きの行動を後悔する。
一応ここは僕の故郷らしい。と言うのも、僕はここに住んでいたことを覚えてはいない。両親曰く、幼稚園の頃まで住んでいたそうだが、全く記憶には無いし、きっと僕を覚えている友達なんてのもいない。
貸してくれた二階の部屋は少し広い畳の部屋で、ちゃぶ台や布団などの最低限の物が置かれていた。荷物をドサドサと床に下ろしてから、ぼーっとしていると、スタスタと何かが足元を通り過ぎた。
「あ、お前は」
小さく呟いた声にそれはくるりと振り返って、つぶらな瞳で僕を映した。さっきの呑気な三毛猫だ。
そいつはなにか閃いた様な表情を浮かべて、僕の鞄を漁りだした。
「遊びたいのか? 可愛い奴め」
僕がそう言って手を伸ばすと、三毛猫はするりと躱してみせた。こいつを暇つぶしの相手にすれば、少しは楽しいかもしれないとか、そんなことを考えては遠くを見ながら右手のふわふわした感触を楽しんでいた。
「案外懐っこいし、猫も悪くないな」
はしゃぐ三毛猫を愛おしいと思って見下ろした。穏やかな時間も悪くない、なんてのも束の間。三毛猫の手元を見て僕は目を疑った。ビリビリに破かれた白い布。間違いなく、それは僕のシャツだったものだ。
「ちょっ! 馬鹿っ!! 」
驚きと怒りと呆れとが同じぐらいの割合で混ざった、中途半端な声が出た。三毛猫悪びれもせず、僕を挑発する様にくるりと背を向けて部屋から飛び出した。
「待て! この……っ!! 」
僕も負けじと後を追って、玄関を潜り抜け、砂利の庭をサンダルで走り、門を通り過ぎた。