怒りの残り香を浄化しよう
はじめに、これは先日身内から非難の感想を貰った筆者が、自分自身の心を落ち着かせる為に書き連ねた物です。
小説の指南講座でもためになる話があるわけでもないので、それを期待する方は別のエッセイをご覧ください。
さて、前置きをしといてなんだが。それ以外の事はない。
このお話は、ただ単に作者が心を落ち着かせる為に書いている。
筆者は、感情が落ち込んだり、嫌な事があったとしても。睡眠を取れば機嫌が元に戻る体質で、悩んでいた事も綺麗に忘れる事が出来る。まぁ能天気な性格をしているのだが。今回は流石の筆者でもまだ怒りが収まりきらず。こうして筆を執りながら吐き出している始末だ。
事は先日の出来事だった。もう10数年の付き合いである知り合いが自分の作品を見てくれていた。その感想をSNS上であげているのを目撃した事が原因だ。
肝心の内容はというと。「中身がない」「単純につまらない」「意図が伝わってこない」「便所の落書きの方がマシだ」 少し盛ったが大体こんな感じだ。
批評されるのは良い事ではある。どうしても自分の作品というのは色眼鏡で見がちだからだ。批評された内容を元に、作品を見直すことで自信のクオリティの上昇と成長を望めるからだ。批評なき小説は名作にはなり得ない。
今回の感想の件でこれに怒りを覚えるのは間違いだという意見はもちろんの事だろう。何故その批評が出て来たのか。そこには必ず理由がある、自分の作品が魅力的ではなかった。他者から見て面白いと言える小説を作ることが出来なかった。筆者の実力が足らなかったからだ。
だから、この批評に対して否定的な意見を述べるのはそもそも間違いなのだ。作品というのは公表した時点でどう評価しようが個人の勝手であり、そこに作者がどうこう言う資格なんて持ち合わせていないのである。
もし、それが分からずに、訂正しろ!俺の作品は賞賛されなければならないんだ!!って言うのなら。作品を公表するのが間違いなのだ。それならば、黙ってチラシの裏にでも書き散らしていた方が面倒な事にならないし、非難される事もなくなるだろう。そこに書き連ねた物は小説とは言えない代物になるだろうが、非難されたくないのならそうするしかないのである。
頭で理解している事だが。実際にこの発言を見た自分は、沸き出て来る怒りを抑える事が出来ずに荒れてしまった。最後には不貞寝を決める始末。その日は寝たら気分がすっきりした。腹も減っていたので飯を食ったらすっかりどうでもよくなった。
ただ、心の中にはまだもやが残っていたようで。こうして残った怒りの残り香を執筆によって消化しようとしているのだ。自分は単純に見せかけて結構根に持つタイプのようだった。
作品に対する感想には、肯定的な方が望ましい。自分の作品を読んでもらい、それでおもしろかったと言われると、口角は上がり。その場で小躍りを始める程にテンションが上がってしまう程嬉しくなる。感情というのは驚くほどに素直なものだ。我ながら相当にちょろい存在だと思う。
ただし、そればかりではいけないだろう。確かに肯定的な感想があれば嬉しいが、人というのは褒められ続けるとそこで満足してしまう生き物だ。こうなってしまうとそれ以上の成長は望めなくなる。時には、たまに出て来る批判の意見も素直に受け入れる心のもちようも大切なのである。
むしろこれまで批判をされなかったのが不思議なくらいだ。だから目についてしまったのだろう。そして怒りを爆発させてしまったのだ。癇癪を起す頻度を筆者は少し抑えた方が良いと思うが、これが中々上手くいかないものである。
分かってはいても感情を抑える事は難しいので、こうして文字に起こしつつ。自身の怒りを少しでも発散しようと思う。思った事をそのまま文字にすれば良い執筆作業は、ストレス発散としては良いものだという事に気づいた。これを機に、自身が少しでも成長し、さらに面白い小説を描き上げる事が出来たのなら、こうして筆を執った事も間違いではないのだろう。