納得いかないことだらけ
とりあえず、で走り出したツバキは町のはずれまで来ていた。
なにもかも置き去りにしてしまえたらよかったのかもしれないが、体力の限界がそれを許しはしない。
第一、置き去りにされたのは自分自身な気がしていた。
自然と下がりたがる視線。
ツバキもそれを止めはしなかったが、その視線が少し先に小川を見つけた。
その小川がなにかの境界線に思えたツバキは、少しだけ走るスピードを上げた。
小さな川だ。
アーチ状に組まれた石で、橋がかかっている。
上げたスピードを落とさないままツバキは橋を渡り切る。
橋を渡り切ったツバキは、自分の走ってきた道を振り返る。
どのくらい走ったのか、自分でもわからない。
着ている黒色のロングのTシャツが濡れているのは、始めに浴びせられた水だけが、原因ではないだろう。
額に滲む汗と、それに張り付く前髪が物語っている。
かなり長い距離を走ったのだろう。
暑い。
ツバキは身体を冷まそうと小川に降りていき、川の水で顔を洗った。
綺麗な水だ。
それを確認したツバキは、少しだけ口に含んで、飲み下した。
自然と大きなため息がでる。
日差しが強い。
こちらの世界に四季があるのかはわからないけれど、夏の終わりのようだ。
日差しから逃げるように、重たくなった足を上げて橋の下へ向かった。
橋の影は疲れ切ったツバキを優しく迎え入れてくれた。
その優しさに甘え、しばらくぼっーとしたツバキは自分の両頬を勢いよく挟むように張った。
「よくわかんねぇけど、これ、異世界転生ってやつだ。
この前深夜アニメで見た、これ。」
誰にともなく呟き、少しずつ自分の状況を理解しようとする。
まず、持ち物を確認する。
ポケットからはタバコの新箱が2つと半分ほどしか入っていないタバコ、お気に入りのライター。
財布と携帯電話はない。
使えるかわからない金も携帯電話も困らないだろう。
普段から荷物の少ないツバキだが、持ち物はタバコとライターだけだ。
「とりあえず、山でサバイバル生活で生き延びるとか、そんなんは無理だな。」
昨晩、帰宅してうたた寝した時と同じ持ち物だ。
山に分け入って生き延びることなど、到底無理だろう。
このとき、ツバキを違和感が襲う。
「持ち物も服装も、昨日帰って部屋にいた時と同じだ。
靴脱いで、靴下脱いで、布団に座ったよな。
ポケットの中身も出さずに缶ビール開けて飲んで、、、
タバコとライターは部屋のやつだ。」
ツバキは冬でも、部屋の中では裸足で生活する主義だ。
靴下を履いたまま布団になんて絶対に入らない。
そしてタバコを愛するツバキは、部屋のあちこちに100円ライターを配置し、いつでも流れるような動作でタバコが吸えるようになっている。
世界からどれだけ喫煙者が迫害されても、世界最後の喫煙者になるとツバキは決めていた。
この2つはツバキにとって絶対であった。
「持ち物が居眠りした時のままなら、なんで俺ブーツ履いてんだ?」
違和感の正体にツバキが気付く。
寝ている間にこちらの世界に来たのならば、裸足のはずだ。
「それだけじゃないよな。
普通こういう世界に飛ばされても、言葉くらい通じるはずだろ!
ふざけんな!」
ツバキは絶叫する。
自分の耳には自信があった。
小さなころからずっと音楽に親しみ、多くの楽器の音をひたすらに聞いた。
大好きなヒップホップや、ラップバトルだって聞き逃さない自信があった。
もちろん町を走り抜ける最中、耳に入ってくる言葉も例外ではなかった。
「あれ、何語だよ。
全くわかんねぇ言葉だったぞ。」
不満の声を上げるが、叫ぶ元気はもうなかった。
「ってか、異世界転生ってなんだよ。
転生ってことは俺死んだのか?
いやいやいや、生きてるよな俺。
生きてるよな?
なら異世界召喚ってやつになるんだろうけど、異世界召喚の知識なんて、テ○ーのワンダーランドと深夜アニメくらいしかねぇよ。
しかも、テ○ーのワンダーランドはクリアしてないし、深夜アニメもつけてただけで見てねぇから。
でもどっちも言葉は通じてただろ。
ってか、テ○ーのワンダーランド的にモンスター集めるとか大丈夫なのかよ。
さっきの獣人?は、普通に生活してたっぽいし。
生肉エサに仲間にしようとして、差別がどうのとか人権がーとか、大丈夫かよ。
俺、何言ってんだ。
俺が大丈夫かよ?」
ふざけんな。
そんな風に吐き捨てて、ツバキは倒れこむように寝転んだ。
悪態つく様は、異世界でもチンピラだ。