27.言葉が足りない
バンドマン・野木友夫は決意していた。
ドラムだ。ドラマーが必要なのだ。
生活のために足抜けしたバンマス(バンドマスター)を責めることはできない。彼にも生活がある。嫁さん妊娠しちゃったんじゃあ、金にもならないバンドを続けるわけにもいくまい。
だから勧誘に来た。
ライブ会場で数度見かけただけの少女だが、助っ人ドラマーとは思えぬ程息のあったメンバーとのセッション。正確なリズム。タムを活かした大胆なフィルイン。
欲しい。是非ともウチのメンバーに。
ふぅ、柄にもなく緊張してきやがった。この成否がバンドの未来を決めるのだ。
知合いのツテを辿り彼女の通う学校を突き止めた。下校時間を待ち、校門から出てくる学生の顔を見る。
しばらくして、見つけた。彼女だ。
化野冴香。俺の求める新しいドラマー。
下校中の女子高生に話しかけるなんて、今の時代じゃ事案問題だ。チャンスはそう何度もあるまい。友人二人と一緒のようだが、ここは勢いで押し切ってしまおう。
意を決して化野の前に立ちふさがる。
不穏な空気を感じたのか、友人共々警戒心を露わにしている。まあ、当然だが。
「化野冴香さん。不躾で済まない。少し話を聞いて欲しい」
「わたしに話はありません。失礼します」
化野は友人の手を取り立ち去ろうとする。だが、こちらも必死なのだ。回り込んで進路を塞ぐ。
「頼む。真剣な話なんだ」
「関係ありません。大体誰なんですかあなた!」
「あ、すまない。野木だ。『フラジャイル』というバンドで、ベースをしている」
「バンド? …………ああ」
バンド名については、悲しいかな覚えが薄いようだ。仕方ないとはいえ、少しさみしいものがある。いや、それはともかく。
「君のことは知っている。何度かドラマーとして他のバンドとセッションしたことがあるだろう。力強いスティック捌きだった」
「いや、それは…………」
また逃げられては困る。反論もできないように押しの一手だ。
「初めて見た時から感じていた。君(のドラムの腕)は最高だ。とても野放しにはしておけない。もう我慢の限界なんだ。頼む!」
俺は近づく。彼女は逃げる。
しかし、後ずさる先には壁があり、遂に逃げ場を失った。ここだ、ここで畳み掛けるしかない。彼女が逃げられないように壁に手をつき、退路を塞ぐ。
「(ウチのメンバーに)君が欲しいんだ!!」
周りから「キャー!」という甲高い声が上がる。
しまった、顔が近すぎたか。興奮しすぎたようだ。知らぬうちに息も荒くなっている。怯えさせてしまったのも無理はない。
だがここで引いてはいけない。警戒されているのは明らかだ。この先、同じように勧誘するチャンスは来ないかもしれない。
今しかない。今しかないんだ!
「いや、あの……」
「戸惑うのは分かる。急な話だ。だが俺が真剣だと言うことは分かってくれ。生半可な気持ちでここまで来たんじゃないんだ」
壁から手を離し、彼女の左手を掴み取る。「ひゃっ!」と驚きの声を上げ、右手に持っていたカバンを落としてしまった。すまないと思う。申し訳ない。それでも聞いてもらわなければいけない。
周囲が五月蠅い。きゃーきゃーと騒ぐ雑音にかき消されてしまいそうだ。なので、声を張る。彼女の心に届くように。
「俺は(音楽を)愛しているんだ! だから、君が必要だ! 必要なんだ!」
「あば、あばばばばば…………きゅ、急にそんな…………」
彼女が手を振り解こうと力を入れる。
いかん、逃げられてしまう。
つい、危機感を感じて力を込めてしまった。手ではなく彼女の肩を掴み、逃がすまいと試みる。
だが彼女の怯えるような瞳を見て一気に冷静になった。
自分の都合ばかりを押しつけてしまったが、相手の都合もあるのだ。バンドの危機だからといって無理を押し通しても悪感情を持たせるだけだ。
そうだ、それに、彼女にも知ってもらわなければ。俺達を。俺達のバンドのことを。
「すまなかった。急ぎ過ぎちまった。知らない男に突然誘われても怖いよな。悪かったよ」
「あ、いえ……はい。それは、まあ」
「今すぐ返事をもらうのは諦めるよ。君にも時間が必要だろう。
だけど、チャンスをもらえないか」
「チャンス、ですか?」
「ああ、チャンスだ」
俺達の音を聞いて欲しい。そして認めて欲しい。ちゃんとした仲間になって欲しい。
「一度だけ。一度だけで良い。(リハに)一晩付き合ってくれ!」
叫ぶように提案した。
化野はぽかんとして、周りが再びざわめき始め、それから真っ赤な顔をして目を見開き、ひどく驚いたような顔をした。
「ひ、一晩──?」
引きつるような声で聞き返してくる。緊張しているのか。リハに一晩付き合うなんて、他のバンドでもやっていたはずだが。
「そうだ。一晩だけで良い。一晩もらえれば、必ず君の心を掴んでみせる!」
甲高い雑音が上がる。うるさい。邪魔をしないでくれ。
いや、往来で歩行者の邪魔をしているのは俺の方か。いかんいかん。まだ冷静に戻り切れていない。
返事を待つ。しかし彼女は赤い顔をして口をぱくぱく、開いたり閉じたりを繰り返すばかり。金魚か鯉のようだと思い、少しおかしくなる。少し落ち着いてきたかもしれない。
予め用意してきた紙を取り出し、彼女の手に握らせる。
「俺の携帯の番号だ。気が向いたらかけてくれ」
祈るようにその手を包み込み、目を閉じる。
「君が(色んなバンドから)引く手数多だって事は知っている。そいつらが君のことを独占したがってることも。俺だって(凄腕ドラマーを確保したいのは)同じ気持ちだ! 君を(バンドメンバーとして)欲しいって気持ちは誰にも負けない!
だから、せめて、チャンスを! それがダメなら、気が向いた時だけでも良い。助けると思って、連絡をくれ。
いつでも良い。待っている」
話は全て終わった。想いは伝えられた──と、思う。
後は天任せだ。
最後にだめ押ししておくか。
「俺の(音楽への)愛は本物だ。待ってるからな!」
けたたましい喧噪の中で、化野の「なんなの……」と呟く声だけがはっきりと聞こえた。
◆
一週間後。
化野は来てくれた。俺達の元へ。
そして殴られた。
俺が押しかけたことを切っ掛けに学校の内外で凄まじく噂になったのだとか。
曰く、「年上の男性から熱烈な告白を受けていた」とか、「色んな男をとっかえひっかえして遊んでいる」とか、「一夜の男遊びを繰り返している」「夜の街で何百人ものハーレムをはべらかしている」「許嫁がいる」「婚約者がいる」「ストーカーが腐る程いる」「常に周囲を護衛されている」「化野のためなら命も投げ出す部下があらゆる場所にいる」エトセトラ、エトセトラ。
「どうしてそんなことに」
「あなたのせいでしょーーーーーーーっ!!」
いやあ、ちょっと身に覚えがないんだが。
「まあ、折角来たんだ。聞いていけよ。それとも、ドラム、演奏ってくれるか?」
「やってやるわよ。あなたのせいでストレス堪ってるんだから。今日は思いっきり叩いてやる!」
化野はポジションに着くとイスの調整からペダルの具合、ハイハットの距離、スネア、タム、シンバルと順に具合を確かめ、軽く音を確かめ始めた。
そのとき、何かに気付いた様子でハッとした。
「わたしが欲しいって、ドラムメンバーのこと!?」
何を今更。ドラムのくせに会話のテンポがずれてておかしくなる。
「言ったろ?」
「言ってないし!」
そうだっけ? いや、言ったよ。言ったよな?
まあ、いいか。結果オーライって事で。
音楽を奏でよう。ワクワクするな。まったく、最高の気分だ!