22.世界は必ず変えられる
運とコネにより学校司書として就職できた花善咲は、忙しいような緩いような日々を過ごしていた。
そして今日も今日とて、常連の小学生が一人、彼女を訪ねてくる。
「こんにちは。探してる本があるんですけど」
「いらっしゃい赤星君。なんていう本かな?」
生意気そうな目付きのこの読書家少年は、名前を赤星健吾といった。放課後になるといつも図書館にやってきて本を読んでいる、いわゆる本の虫というやつだ。
普段は黙々と読み耽るだけなので、こうして貸出・返却以外の用事を話しかけられることは珍しい。余程読みたい本でもあるのだろうか、と興味をそそられる。
「えーと、なんだっけ。ボルチを調べてるんだけど、ピースウーマンっていう本はありますか?」
赤星少年が調べたいのは、エミリー・グリーン・ボルチ。ノーベル平和賞を受賞した経歴を持つアメリカの女性作家である。
「ピースウーマンね。ちょっと待って。検索してみるわ」
学校図書のデータベースにアクセスして本を探す。だが検索結果はゼロであった。
「ウチには無いみたいね。よかったら余所の図書館から借りられないか調べてみようか?」
「お願いします。宿題に使うんで、あんまり遅くなるようなら諦めますから」
それだけ言うと、赤星少年は本棚へ向かい、何を読もうかと選び始めた様子であった。
咲は赤星少年の大人びた物言いに感心していた。更に宿題で使う本を学校図書館で探すという当たり前のことにも。
当たり前のことを当たり前に出来ない子供は多いのだ。つまるところ、宿題だろうがなんだろうが、学校図書館を利用しようとする生徒自体が少ない。
そんな中で常連客に対し贔屓に似た感情を持ってしまうのは仕方のないことであろう。
(本当はいけないんだけど)
と内心では思いつつ、宿題に使うのならば早い方が良かろうと、調べ物をこっそり手伝うことにした。自前のスマホを取り出して検索をかける。
(えーと、ぼ・る・ち・お。検索、ぽちっとな!)
咲は「ボルチを調べている」と言う言葉を「ボルチオ調べている」と聞き間違えていた。
そして、ネットでその言葉を検索にかけるとエロいページが出てくる。
医学用語なのにね。おかしいね。
調べたいのは「ボルチ(Balch)」だが、出てきたのは「ボルチオ・ポルチオ(Portio)」であった。あと、付随して「性感帯」とか「イク」とか「感じる」みたいな単語もたくさん出て来た。
つまり、なんというか、おおよそ小学生が調べるような代物ではない。
(ひゃー! なんてもの調べてるの赤星くーーーん!)
誤解である。
(え? 宿題に使うって言ってた? な、なんの宿題? 保健体育?)
完全なる誤解である。
だが何かの間違いではないかと咲の理性的な部分が警告している。そう、たまたま似たような単語が偶然エッチかっただけかも知れない。そう思い直した彼女は、続けて赤星少年が探しているという本を探そうとする。
が、最近のスマホの機能で予想検索が出てきたところで、うっかり指を滑らせてしまい、打ち込み途中で検索してしまった。
すなわち『ポルチオ ピース』で。
するとドエロいページが出るわ出るわ。アヘ顔ダブルピースなんて聞いたこともないような単語が真っ先に目に入る。
(ひ、ひぃぃぃぃっ!)
驚きのあまりスマホを落としそうになり、慌てて持ち直す。ところがその拍子に画面を触ってしまい、画像検索の画面に変わってしまった。
表示されたのはほぼ女体。しかも裸。素っ裸。
(ぴやぁぁぁぁぁっ!)
思わずスマホの画面を消してうずくまる咲。神聖なる学舎でなんちゅーもんを検索してしまったのか。軽い気持ちで手伝ってやろうなどと考えたことに後悔してしまう。
だが同時に使命感も生まれた。年端もいかぬ少年がこんなものを調べるのはいけないことだ。性に興味を持つのは仕方のないことだが、度が過ぎている。ここは毅然とした態度で注意しよう!
ちらりと赤星少年を盗み見る。
いつも通り、真剣な顔をしてなにかの文庫本を読んでいる。
あまり厳しくしては常連客を一人失ってしまわないだろうか。いやいや、それでも教育機関で働くものの義務として……。しかし、使われてなんぼの図書館から利用者が減るのも……。
苦悩。煩悶。だがどうすべきか迷い続ける。
そうこうするうちに時間は経ち。
「あの、貸し出しお願いしたいんですけど」
「ぎゃっ!」
突然声をかけられ驚きで叫び、自制心をもって自分の口を塞ぐ。
降ってわいた事態に心臓はバクバクだ。しかも声をかけてきた相手は渦中のその人、赤星少年であった。飛び出そうな吃驚をなんとか押し込め、飲み込んだ。
「大丈夫ですか?」
「まるで大丈夫。なんでもないですの。貸し出しね」
口調も変だし目も泳いでいるが、「全く問題ないですし!」と自分で自分を騙して身体を動かす。動揺していても手慣れた作業だ。貸し出し作業はすぐに終わった。
そして彼女は咳払いをする。
言わねばならない。タイミングはここしかない。
青少年が道を踏み外さぬように、自分がここで防波堤となるのだ!
咲は己を心の中で鼓舞した。これも仕事の一つだと。やらねばならないことなのだと。強く注意してやる必要があるのだと。
内心で気合いを入れまくるものだから、えほんえほんと咳を繰り返していることにも気付かない。そして赤星少年はといえば、その様子から「これ何か言われるな」と察して待っていたのだが、長いこと動き出さないのでちょっと呆れ気味だ。なんだか様子がおかしいな、てな感じである。
そして! 遂に! 意を決して! 咲は口を開いた。
「あのね、赤星君が調べてることなんだけど、小学生には、まだ、早いんじゃないかなって、お姉さんは思うな」
「は?」
間髪入れずに返された呆れ声。短いその一音が「何言ってんだこいつ」と変換されて咲の脳内に響く。赤星少年に他意はないのだが、咲の心には冷たい言葉の矢として刺さった。
その後すぐに赤星少年は立ち去るのだが、「大丈夫かな」と心配するような視線も、落ち込む咲からはなんだか呆れて見下すような目に見えてしまい、無性に叫び出したい、悶え転がりたい、やるせない心境に支配される咲。
全部勘違いの独り相撲で心に傷を負ってしまった若き学校司書。
なお、家に帰って調べなおしたら「ピースウーマン」が真面目な本で調べているものもノーベル平和賞の受賞者であることを知り、畳の上でジタバタしてしまうのであった。
更に二週間くらい引っ張った。
ほんでこの時の黒歴史はフラッシュバックして長いこと彼女を苦しませる。
教訓:勘違いも程々に




