2.若き絵描きの苦悩
「ヌードが描きたいな」
高校の美術室。放課後、副部長がぽつりと呟いた。
やおら男子部員共は立ち上がり、副部長と握手を交わしてまた座った。なんだこれ。
「なんスか。セクハラっスか」
部員Aは非難の声を上げた。美術部の部員は七名で、男子六名、女子は部員Aただ一人。つまり副部長の言わんとしていることはそういうことだろう。
「ん? なんだ。違うぞ。エロいな斉藤。前からお前はエロマンガの主人公っぽいなと思ってたけど、やっぱりエロいな斉藤」
「セクハラっス! 間違いなくハラスメントっス!」
部員Aは前髪で目線が隠れている。副部長曰く、そういう所がギャルゲーの主人公っぽいらしい。当人はモブキャラっぽいと思っているらしいが。
「ヌードが描きたいって、つまり、あれっスよね。ヌードデッサンって事っスよね。そして女子部員は自分一人。じゃあそういうことじゃないっスか。セクハラじゃないっスか!」
「誰も斉藤の裸が描きたいとは言ってないだろう。でもとりあえず脱いでくれ」
「脱がないっス! とりあえずでは脱げないっス!」
なんだ脱がないのか、と落胆した声がどこかから聞こえた。ので、部員Aは誰彼構わず睨み付ける。男はオオカミだ。油断するとすぐエッチぃことを言うし、する。そのことを部員Aは既に知っていた。理解していた。
「違うんだよ斉藤」
「何がっスか」
「それはお前の早合点というものだ。大体女子の裸が描きたいとは言ってない。男でもいいんだ」
「…………マジっスか」
部員一同のイスが若干離れた。
「引くな。違うと言うに。俺は純粋に美術的な意味で言っているんだ。
いい機会だから皆にも聞いてもらおうか。何故今日この場に部長がいないか。
知っての通り、我が美術部は人数は少なく、金もかかり、油臭いと苦情も来て、なのにコンクールで入選・受賞をすることもない。ハッキリ言って学校の厄介者という扱いだ。だから廃部の話も出ているし、存続のために部長が生徒会に直談判に行っている。ここまでは分かるな?」
部員一同、筆を置いて神妙な顔つきで話に耳を傾けていた。立場がまずいのは知っていたが、そこまで深刻には考えていなかったのだ。
「あの、でも、すぐすぐ廃部ってわけでもないんスよね?」
「まぁな。今年中は取りあえず大丈夫だ。来年も、まぁ、今の部員が辞めなきゃ大丈夫だろう。部長は流石に卒業してしまうが、それでも六人は在籍しているわけだから。しかし新入生が一人もいないってのはまずい。流石にまずいんだ。
というわけで何かしら対策を考えにゃいかんわけよ、次期部長としては」
なるほど納得である。
「しかしそこからなんでヌードに?」
「デッサン力を上げるためだよ。基礎を疎かにしていては上達など出来ようはずもない。風景画とかはお前ら普通に描けてると思うんだけど、人物画はどうだ? ヘタとは言わんが、何かしらに受賞できる実力があるか? 趣味で描いてるだけなら問題ないが、部として成果を求められているんだ。悪いとは思うが、ここいらで一つ努力をして貰わなきゃいかんのよ」
そう淡々と諭されてはグゥの音も出ない。
「そうだったのか」
「副部長、色々考えてたんだな」
「そうだよな、今やらなきゃいつやるんだって事だよ」
「やってやりますよ! ヌードデッサンだってなんだって!」
次々に賛同の声を上げる男子部員一同。これには副部長も感極まった様子であった。
「ありがとう、お前ら。じゃあ、そうだな。言い出しっぺの俺からまず脱ごうか。その後は順に、高橋、飯村、園田、和田ときて最後に斉藤でいいかな?」
「いや、自分は脱がないっスよ」
でも部員Aはかたくなだった。
『空気読めよ斉藤!』
「うっせーバーカ! そんな話に流されて脱ぐか!」
「ふーむ、困ったな。何が不満なんだ斉藤」
「何もかもが! 逆になんで今ので『分かりました。それじゃあ脱ぎます!』って流れになると思うんスか。下着姿でも抵抗あるっス!」
「いや、下着も脱ぐよ?」
「余計イヤっス!」
部員A、全力否定。当然と言えば当然の展開。しかし副部長は納得出来ない様子で首を傾げる。何故伝わらないのかと疑問に思っているようだ。
「なあ斉藤。わがまま言ってないで脱げよ。俺もチンコ見せるし」
「見せるとか言うなし! それ、見せるのもセクハラっスよ!」
「でも見せたら描くだろ?」
「…………」
否定はしない部員A。
「五人分。部長も入れたら六人分だ。俺達は見せるし、お前も描くんだろ? だからお前も見せるし、俺達も描く。そういうことでいいだろう?」
「良くないっス。いやいやいや、良くないっスよ」
「困らせてくれるな斉藤。言っておくが、俺達はお前の裸なんか見なくったって描けるんだぞ。だがそれじゃあイヤだろう。どうせならキレイに描いて欲しいだろう? じゃあ、脱がなきゃだろう? 脱いで見せなくちゃいけないだろう?」
「おかしいっス。うまく反論できないけれどその理屈はおかしいっス。そして無断で裸描くのも辞めて欲しいっス」
「無断でなんて描くものか。だからこうして許可を求めているんだ。俺が何か間違ったことを言っているか?」
「言ってるっス! 初めからここまで間違えだらけっス。勢いで誤魔化そうとしたって自分は騙されないっス。正当性はこちらにあるっス!」
「はぁ~、やれやれ」
副部長は溜息を吐いて深く座り直した。どうしても納得出来ない、といった風情で。
「おかしいなぁ。家で二人きりの時は脱いでくれるのに」
「それは二人っきりだから……あ、今のなし! 自分脱いでないっス。安い女と見られては心外っス」
否定するも時既に遅し。八つの好奇を帯びた目が部員Aに向けられている。
「誤解っス!!」
「なんだなんだ、元気だなお前ら。廊下まで聞こえてるぞ、うるさくするなら静かに騒げ」
「おー、部長。お帰りなさい。どうでした?」
「バッチオッケーよ。どのみち美術の授業で部室使うし、そうそう無くならんわな。ほんで、なんの騒ぎ?」
「いやー、実は斉藤が――」
「説明しなくていいっス!」
なんだかんだで美術部は今日も存続している。