17.3回に1回本音が漏れる催眠術
「高崎、宮藤、前に出ろ」
有無を言わさぬ物言いで部長が俺達を呼んだ。
何事かと部員の皆が視線を向け、部長が本気の目をしていることに気付き、その手に『猫でも出来る催眠術』という本を持っていることを確認し、「ああ、これは下らないことなんだな」と悟って無視することに決めた。
呼ばれた宮藤も無視を決め込んだ。もちろん俺も無視をした。
「高崎、宮藤、前に出ろ」
だが部長は諦めない。同じ声音で同じ言葉をきれいに繰り返した。だが既に部員の心は『無視をする』で固まっている。故に反応する者はいない。
「高崎、宮藤、前に出ろ」
三度繰り返される。
しかし部長は無視されている。
部長は心に深い傷を負った(2日ぶり149回目)。
なので部長は泣くことにしたようだ。悲しい気持ちを募らせて目元に涙を蓄えている。
「びえぇぇぇぇぇ~」
案の定泣き出した。子供のように。
端正な顔つきの美人が全力で泣き叫ぶ姿のなんと見苦しいことか。
しかし、やる。この女はやるのだ。そうすれば皆が構ってくれると覚えてしまったから。なんてしょうがない女だろう。
仕方がないので部員総出で慰める。赤子をあやすように宥めすかす。そして最初に呼び出しを受けた俺達二人は、他の部員達に責任を押し付けられる形で結局部長の前に立つこととなった。
この間、十分。なんだろうこの無駄な十分。毎日々々ローテーションで部員達の時間が削られる。
「さて、二人を呼び出したのは他でもない」
「部長。俺、部活辞めます」
「おぁー、ちょちょちょ。ちょっと待とうや、な? 宮藤もなんとか言うたって」
「わたしも辞めます」
「お、おいおい、冗談きついぜ。ドッキリ? ドッキリなんだろう? うぇーへへへへ、怖い顔しちゃって。いやんいやん。嫌いだなー、こういう空気。ここは一つ、親睦を深めるために、私が一芸披露しようじゃないか」
見るからに不機嫌な後輩二人を前にしてよくこんなにおちゃらけられるな、と逆に感心してしまう。
皮肉の一つでも返してやろうか、と思った時、部長が一つ柏手を打った。『ぱんっ』と音がする。破裂した? 瞬間、真っ暗。途切れる。意識。時間が。テレビが消えるイメージ。倒れる。
◆
「高崎」
――――なんだっけ。
ボーッとしていた。薄ら笑いの部長と、横目で呆れる宮藤。
「私はね。君達二人の仲の悪さを憂慮しているのだよ。幼なじみなんだろう? 人が羨む間柄だというのに、もったいないね」
「たまたま隣同士で生まれた同い年の男女なんてこの学校だけでも腐るほどいますよ」
「えー、そうかなー、私にはいないけどなー」
口を尖らせてふて腐れる部長。美人は特だな。ふざけた態度でも様になる。
「まあとにかくだね。私は二人に仲良くなってもらいたいのよ。部長として。
思うに、必要なのは対話だよ。さあ、二人ともそこに腰掛けて。お互いの気持ちをさらけ出して素直になろう。そしたらきっと仲良し、ハッピーさ!」
部長の言葉を受けて宮藤を見る。向こうも同じ様子で、自然と目線が合った。
そうは言われても今更感がある。長年兄妹のように育ってきたのだ。高校生ともなれば歳の近い兄妹と疎遠になるのは普通じゃないかと思う。思春期的に。
しかし、まあ、なんだ。尊敬する部長の言葉だ。無碍にするのもしのびない。
「ですが、話すと言っても…………何について?」
二人揃ってイスに腰掛けながら同じ言葉を同じタイミングで口にした。
「あっははは! 息ピッタリだな。本当は仲良しさんか? 話すといったら、そりゃあお互いについてだよ。高崎は宮藤を、宮藤は高崎をどう思っているか、思ってることを吐き出せばいいさ」
思っていることねえ。目の前の幼なじみを改めて見定める。
「じゃあ、わたしから」
と挙手をするので、「どうぞ」と先手をゆずる。
「あんた、中学に上がった頃から口数減ったね。暗いよ。もっと、何でも良いから話したら?」
そうは言われてもなぁ。
「必要性を感じないんだ。無駄なことならしたくない。話したいこともないし」
言われて宮藤は溜息を一つ漏らした。
「思ってることとか、何でも良いけど、口にしてもらわないと分からないのよ。いつもムスッとした顔して黙り決め込んでさ。不機嫌に見えるし、近づきにくいのよ」
そう言われて、「あー」という納得と「えー」という割り切れ無さが募る。
そんな風に思われていたのか、という気持ちと。
お前も大概しゃべらんじゃろがい、という不服。
「でも好き」
「…………」
「…………」
「…………ん?」
「…………んんっ!?」
あれ、なんだろう。今告白された? いや、ちょっとボーッとしてたからよく聞こえなかったんだけど。何故だか言った当人もビックリしてるし。
「高崎ぃ~、返事はどうしたよ」
「ええ? あ、あり、が、とう?」
「っかぁ~! 締まらないなぁ。なんだよその返事。ヘタれてんなよチェリーボーイがよぉ」
「部長ちょっと黙ってて。おかしいでしょ。わたしに何をしたんですか!?」
「なぁにぃもぉしぃてぇなぁいぃよぉ~~~」
「怪しすぎる!」
「よせよ宮藤。部長は横で聞いていただけだ。何もしてないって言ってるだろう」
「こういう素直な高崎のこと、どう思う?」
「かわいい――――ぅぎぃやぁぁぁっ!」
凄い苦悩だ。一体何に抗ってるんだこいつは。
「高崎はこんな宮藤のことどう思う?」
「うーん。エクソシスト?」
「ぶははははは! 何に取り憑かれてるんだろうねぇ。悪霊はだーれだ!?」
部長、楽しそうだなぁ。組織のリーダーが喜んでいるのは良いことだ。
「ありえないありえないでも本当だからありえないありえない嫌われたくないありえないありえない好きって返して欲しかったありえないありえない部長のくせにありえないありえない許せないありえないありえない体が動かないありえないありえない何されたって言うのよありえないありえないあぁあぁぁありえないありえないぃぃ」
一方ウチの幼なじみがサイコホラーですんごい怖いんですけど。
「まあまあ、落ち着きなさいよ宮藤。君らの仲が進展するように、この部長が! 一肌脱いであげよう。ていうか、今から脱ぎなよ」
「嫌ですよバカたれ」
「バカって言う方がバカなんですぅ~。男は本能で生きてるんだ。しかも高校生。思春期真っ盛り。女の子の裸なんか見ちゃったらイチコロだよ。責任取ってよね、って迫ってもいいし」
「やるわけないでしょう。下らない」
「あー、なんだか今日は暑いなぁ。上着とか着てらんないよね。ほら、宮藤も脱ごう?」
「そうですね」
あれれ。部長と宮藤が上着を脱ぎだしたよ。上半身が肌着姿になる。中シャツを着ているとはいえ、肌に張り付くような伸びる素材の布が丸みを帯びたラインを強調していて――なんだ、おかしいな、目が離せない――――部長から!
「あんたどっち見てんのよ!」
「理不尽!」
殴られた! 痛い! 目がチカチカする。
「なんだなんだ。高崎は私の部長ボディーの方が好みだったのか。宮藤よりおっぱいあるもんなぁ。オスの本能か。仕方ない。
どうれ、私を褒め称えてごらん? 部長はサービス精神旺盛だから、テンション上がった状態なら過激なサービスも吝かではないよ?」
――――ええと? あっ! 把握した!
「高崎……」
そう心配してくれるな宮藤。
「だいじょうぶだ…… おれは しょうきに もどった!」
「台詞的には完全にダメっぽいんだがなぁ」
「やってくれたなぶちょう。もうがまんならん。みんな、こいつをとりおさえるぞ! てつだってくれ――――えぇ? 誰もいない……」
「はぁん? 今何時だと思ってるのかね君は。二十時だよ。外も真っ暗。私達以外誰も残っちゃいないさ。
さて。では、続けよう。高崎、君は動くな。喋るな。考えるな。結果だけはあとで教えてあげるよ。動画でね!
そして宮藤ぃ。この状況で自分がどうしたらいいか、分かるね? 素直になればいいのさ。やりたいことをやって、なりたい者になるんだ」
俺の体は動かない。ただ目の前で、宮藤が悪魔の甘言に唆されるのを見ていることしかできないのか。
「やりたいことをやる……。
なりたい者になる……」
「そうだ。本能のまま動くと良い。全ては上手くいく。いや、私がうまく取りなしてやる。あはは、最後に君達は、私に感謝するだろう。短い学生時代、恋人と過ごすのは楽しいはずだよぉ。うふふふふ」
「わたしは…………わたしは…………」
部長は宮藤の身体を後ろから抱きしめ、耳元で誘惑を続けた。その手に宮藤の手が、そっと添えられる。
それから掴んだ手を捻り上げ――
「あれ?」
背負い投げ、のち、マウントを取り――
「あれれ?」
顔面に振り下ろされる拳。殴打! 強打! 連打!
「わたしは部長を殴る! わたしは! 自分の意思で! プライドを持って生きる、そんな自立した人間になりたいんだぁっ!!!」
宮藤は誘惑に打ち勝った。
悪は滅びた。
俺達は助かったんだ!
「ありがとう」とお礼を言いたかった。言葉は出なかった。
「よく頑張った」と俯く宮藤を慰めたかった。言葉は出なかった。
宮藤は声を上げて泣きながら俺に抱きつき、動けない俺はそのまま押し倒されるような形で床に倒れた。
こんな状況で申し訳ないが、肌着の女の子に抱きつかれる状況というのは、なんというか、戸惑ってしまう。
がむしゃらに拳を振っていた宮藤の身体は汗ばんでしっとりとしていた。呼吸は荒く、落ち着かない。触れ合った肌は熱を帯びていて――
「――っ! ――! ――――!!?」
キスをされた。貪るようなキスだった。
気持ちいい。驚いた。興奮する。恥ずかしい。歓喜と困惑がせめぎ合う。
「ちょっと待った! 待った! 一旦落ち着こう!」
しかし、言葉は出なかった。
逃れようにも動けない。どうにかしなければ、と思うのだが、頭がうまく働かず、為されるがままに流されてしまう。
言い訳になるが、許して欲しい。
抗う術がなかったのだ。
◆
事が済んだあと、身体も動くようになって、ぼんやりとする。
傍には力尽きて寝てしまった宮藤と、血まみれのまま倒れた部長。
この後どうするのか。
俺の気持ちは決まっているのだが、果たして、宮藤はどうだろうか。どこまでが部長の仕業で、どこまでが宮藤の本心なのか。
分からない。不安になる。
だが、誠意を見せる他あるまい。やるべきことをやるのだ。
俺は――俺も、か? 自分の意思で動き、誇りを持って生きたいと、そう望んでいるのだから。