第10話 ~闇夜に白~
掃除は、みんな嫌だろう?
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「チッ。宗教家というやつら、神のような顔をして金をせびるのだからたまったものではないな」
ガーンバルド城塞王国に本拠地を構える、それなりに大きなシヌゥ商会の主、シヌゥは、真っ暗な裏通りを腹立たしげに歩いていた。四人の護衛を引き付れて。
「しかしこれで御身の安全は保障されました。主様のご慧眼の賜物かと」
護衛長のイマリはシヌゥを大げさに褒めたたえながらも、通り過ぎるホームレスやゴロツキたちへの警戒を欠かさない。本来このような治安の悪い場所には立ち入りたくなかったが、秘密の商談を他の商会の人間などに知られたくはなかった。
シヌゥ商会の今夜の商談相手は、ティエチェ聖龍教会だった。ティエチェ聖龍教会は、龍信仰の教会の中でももっとも大きな勢力だ。シヌゥはこの商談の席を取り付けるために、多大な労力と費用を費やしていた。
「自然災害など、備えるものであって敬うものではなかろうにな……」
シヌゥは忌々しげに深く息を吐き、風で転がってきたゴミを蹴り返した。
この国において、強大過ぎる魔物は自然災害と同様、"避けられぬもの"として扱われる。故にドラゴンは、例えば台風、あるいは地震のような扱いなのだ。
その昔、台風による被害で村と両親を失ったシヌゥは、災害を恐れ、それ以上に憎んでいた。そのため、今回の"龍災"騒動に対して、大多数の国民のように楽観視せず、素早く行動に移したのだった。
「イマリ。ワシの商勘では、今回は当たりだった」
「ええ。主様の勘が外れたことはありません」
表向き、シヌゥ商会とティエチェ聖龍教会は、健全な商品売買を行っただけだ。
教会で取り扱う家具、食器、消耗品、本、食料など…ありふれたものを商会が売り、教会が買う契約書を締結した。それだけだ。少々大きめの額ではあるが。
だが一方で、シヌゥは世間話のように"龍災"の件を持ち出し、最終的に"緊急の際はティエチェ聖龍教会に匿わせてもらう"、"ティエチェ聖龍教会が事前に危機を察した場合、シヌゥ商会に連絡する"というような約束も取り付けた。
これは契約書の文章には記載されてはいないものの、その分商品の代金を他所からはわからない程度に値引きすることで重みを持たせた。この金額差による"無言の圧力"に勝る信頼はない……とシヌゥは長年の経験で理解していた。
シヌゥが今回の"龍災"騒動に、教会が関与していると確信したのは、被害分布を独自に調査させた結果を見たためだった。
単純に言えば、教会関連施設に不自然に被害が少なかったのだ。ゼロではないものの。
むろん裏は取った。
教会周辺だけ防御態勢がしっかりしていたか、と言えばそうではなかった。
教会に当日、勇者に相当する人物がいるか。龍がそれを避けた可能性はあるか。
この点については、いた。ティエチェ聖龍教会に、当日たまたま帰国していたS級蘇生術士がいた。
一年中諸国を巡って高額の蘇生を請け負うS級蘇生術士が、である。そんなたまたまがあるだろうか?
この違和感を元に、シヌゥは商会を動かしてティエチェ聖龍教会を詳しく調べた。そして最終的に──
「主様」
不意に、シヌゥの一歩前を歩くイマリが足を止め剣を抜き、主人を庇うような姿勢を取った。
その後ろを歩く二人の護衛も足を止める。
「どうした?」
商人たるもの、荒事はつきものだ。シヌゥもイマリも、修羅場を潜り抜けた経験は両手の指の数より多い。
シヌゥも素早く周囲を見渡し、敵を探しつつ逃走経路を計算する。
しかし、広がるのは漆黒の闇と静寂。
時折不吉な風が通り抜け、枯れた木の葉を運ぶのみだ。
「……あれ?」
後方の護衛の一人が声を上げた。それから、何も言わなくなった。
その護衛が持っていた松明が転がり、不意に消えた。
周囲の闇がより色濃くなる。
「何をやってる!!」
イマリが檄を飛ばす。
返事はない。
シヌゥとイマリは今や、ただ二人、巨大な怪物の腹の中にいるようにただ二人だった。
けぷっ。
子供の、げっぷのような。
間の抜けた音。
「ある──」
イマリの声がして、消えた。
さすがのシヌゥも額からにじみ出る冷や汗を隠せずにいたが、すぐに自分が襲われぬことで、ほんの少し冷静さを取り戻した。
「……ワシを最後に残したからには、理性ある獣だろう。姿を見せよ」
ややあって、正面の闇からス、と姿を現すものがあった。
ピッチリとしたスーツ姿の女性だ。
闇よりなお濃い黒のポニーテール。
手には抜身の刀。わずかに射した月光に、美しい刀身が怪しく輝く。
その細い目は閉じられ、瞳の奥は伺えない。
「……環境大臣か」
暗い中でも、シヌゥは一目であたりをつけた。
さすがに環境省の人間全てはわからないが、環境大臣──アオイ=アースイほどの有名人であれば判別はついた。
「しぃいいいいぃ……」
アオイはわざとらしく口で「い」の形を作り、絞り出すように言った。幽霊の嘆き声にも似て。
「ないしょだよ。誰が聞いているかわからない」
シヌゥは注意深くアオイの一挙一動を警戒する。
脱力した体。重心は真ん中。ぶらりと持つ刀には重さがないようにさえ見える。
襲い掛かられれば、反応もできないだろう。
「環境省の黒い噂──"掃除屋"か。しかし直々にとはな。人手なら融通できるが?」
「そりゃ、助かる。でもお高いんでしょう?」
「命には換えられん。勉強させてもらおう」
「ふむ……」
アオイはしばし、黒い手袋をつけた右手をアゴに当てて考え込んだ。
「キミは最近、龍絡みの教会や聖堂を手当たり次第回っているね。そして今日のが"当たり"だったと。それ以上は出せるかい?」
「……この国の龍信仰は根強い。それは建国神話や何度かの龍との関わりによるものだ。恐れでもあり憧れでもある」
「で?」
「だからと言って、彼らに龍を従わせる力があるとは思えぬ。神は縋るものだ」
「確かに?」
聞きながら、アオイは刀を一度、振った。
次は首だ。
「では、人ならざるものならどうだ?」
「……あの教会に、そういうものがいると?」
アオイは聞き、シヌゥは肩をすくめた。
「まあまあ有益だね。しかし決定的でもない。ところでキミ──商会の地下にシェルターを作るために、奴隷を薄給で酷使してるよね?」
「合意の上だ」
「ついでに、馬鹿を騙してこの地方には発生しえない災害に備えた設備を買わせまくってるよね?」
「可能性はゼロではない」
「さらにおまけに、東地区の第三倉庫──実質仮シェルターだろう? あそこに申告してない資産隠してるよね?」
「…………何割欲しい?」
ひゅおん。
闇夜に、刀が跳ねた。
白い線が鮮やかに、シヌゥの首を撫でる。
すぐに、闇が搔き消した。
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「ご苦労様、ザウ。今日はもういいよ」
「ういす」
人型に戻ったザウは、胃のむかつきに顔をしかめた。
人間は魔力も多め、複雑な味わいで消化が大変だ。
「ああ。今夜もいい月だ」
そんなザウを気遣う様子もなく、アオイはのほほんと空を見上げる。
まばゆい月は遠く、闇は今宵も、彼女らと共にある。




