プロローグ ~龍災対策室、始動~
城塞王国ガーンバルドは、未曾有の災害に襲われていた。
それは意思を持つ災厄、巨龍ベルダドラゴンによる度重なる襲撃である。
一度火を吐けば大地は三日三晩燃え盛り、大木ほどの太さを持つ尻尾が振られれば、城壁は容易く弾き飛ばされた。
国民にも死亡者こそいないものの相当数の負傷者が出ており、このままでは王国の存続に関わる――といった切実な事情で設置されたのが、「龍災対策室」である。
「は? 俺が……ですか?」
最初にその辞令を受けた時、ザウは思わずそう聞き返してしまった。
彼の名前はザウ。影の国出身のためファーストネームしか持たない、ただのザウである。
影の国の民は光が苦手なため、体がすっぽり隠れる大きなコートを着て、頭をフードで隠している。
「うん、そうそう。君が室長になったから。今日付けで」
ガーンバルド環境大臣、アオイ・アースイは、普段の軽口と変わらぬ調子でさらっと言った。
自慢の長く艶やかな黒髪は、この地域ではあまり見られないものだ。
「環境省龍災対策室長、いやーいい響きだね。よかったじゃないか、昇進だよ昇進」
二人は今、環境大臣であるアオイの執務室にいた。
アオイは彼女専用の大きな椅子に座っており、その前にあるこれまた大きな机を挟んでザウが立っている。
執務室はこの一部屋で生活ができそうなほど広く、中央には王国の立体透過図が魔法によって投影されている。その中の自然がある箇所は色がついて強調されている。
この図は王国の各所に設置された観測用魔石から送られてくる情報を元に形成されており、ほぼリアルタイムで現在の状況を把握できる優れものだった。ただしわかるのは基本的には自然に関することだけだ。
部屋の周囲には環境省の業務に関する書籍や書類が雑然と並んでおり、その全てにアオイは目を通している。彼女の私物らしいものと言えば、強化ガラスケース内に飾られた、一振りの刀だけだった。鞘はすでに失われ、白銀の刀身は自ら光沢を放つかのように輝きを湛えている。
閑話休題。
「いやいやそんな馬鹿な。俺より適任が幾らでもいるでしょう!」
ザウは、アオイの机を叩かんばかりに身を乗り出し、少し語気を強めた。
「そうかもね。でも仕方ないじゃん、王命だし」
アオイは書類に何か書き込む手は止めず、空いた手で隣に置いてあった辞令通知書をすっと差し出した。
ザウは引ったくるように受け取ると、上から下まで素早く目を走らせる。
「マジかよ……」
書類の真ん中に燦然と輝く、王国の紋章。
それは他ならぬ国王しか使用することを許されない、王印そのものだった。
これに逆らうということはすなわち王国そのものを敵に回すことと同義である。
ザウは頭を抱えてその場にへたり込んだ。
「悪夢だ……。俺はただ、平和に日陰で日向ぼっこしたいだけなのに……」
「まあそう言わない言わない。龍災は他人事じゃないんだから」
アオイはそこでようやく手を止めると、一度伸びをしてから椅子から立ち上がるとザウに歩み寄り、肩をポンと叩いた。
「今は世界樹の結界が機能しているけど、だからって万全じゃないのは一般国民ならともかく君は知ってるだろう?
このまま放置したら死者も出る、それを見て見ぬフリをするのが、君の求める『平和』かい?」
「それは……」
「それに国だって馬鹿じゃない。すでに専門家を召集して、本格的な対処に乗り出す予定を立ててるよ。
君の役目はあくまでもその前段階、情報収集と懸念材料の洗い出しってとこさ。ま、気負わずやることだね」
もっともそれだけではなく、諸々の準備が整うまでには多少の時間がかかるため、国民に「対策してますよ」というアピールをするためのとりあえずの形作り、という側面もあったが、アオイは伏せた。それはすなわち、実際の対策が遅れるほど、龍災対策室が槍玉に挙げられることを意味するからだ。
はたして、アオイの説得、というか慰めにザウはようやく覚悟を決めて立ち上がった。境地としては、諦めのほうが近いかも知れないが。
「……わーかりましたよ、とにかくやれるだけやってみます」
「うむ、結構結構。で、早速で悪いけど、君にしか出来ない仕事がある。このあとすぐ」
「はい?」
「さすがに一人じゃ何をしようもないだろうから、秘書を手配してあげようと思ったんだけど、候補が三人ほどいてね。だから面接して決めることにしたんだ」
アオイは机の上にあった三枚の書類をザウに渡した。それぞれに顔写真が貼っており、三人の経歴が書かれている。
「つまり、その面接に俺も出ろと」
「そりゃあ、君の秘書だからね。会ってみないとウマが合うかもわからないだろう?」
「まあ、確かに」
「じゃあ行こう、もうそろそろ時間だ」
アオイは三人の履歴書だけ持つと他の書類は机の引き出しにしまった。引き出しのサイズから見て明らかに入りきらない量の紙束が、スルスルと飲み込まれていく。
アオイは最後に魔法南京錠でしっかり封をすると、トレードマークの、鮮やかな赤い花が印象的な羽織を颯爽と着流した。
「ほら、早く。こう見えてわたしは忙しいんだ。なんたって環境大臣だからね」